ひとりで暮らして、半年。

会社からほど近い実家を出て、
会社からそれなりに遠い場所で一人暮らしをはじめて、もう半年を過ぎた。

なんで?の嵐は止んで、最近はお弁当の中身を訪ねてくる、会社の人たち。

この「なんで」で思うことがあったので、書き連ねてみる。

一人暮らしを始めた目的は端的に言うと、親からの自立。
それと、うえから目線な言い方だけど、親に子離れして、楽になってほしかった。

子供の頃から病弱だった私は、親にたくさん世話を焼いてもらいてきた。元々心配しいの親は、とにかくとにかく、私の身体の心配をしたから。

だから、病気が治ったら、とにかく親を安心させてあげようと、無理してでも元気な素振りをした。たくさん勉強をして良い大学に入って、山岳部に入って死ぬような思いで山に登った。

私これだけやれてるよ、元気だから安心して。
このメッセージを伝えるのに、必死だった。
でも今思えばこの裏には、病弱でかわいそうな子という親から見た私の像を払拭したかったと言う思いも、あったのかもしれない。
病弱というアイデンティティがない私を、認めて、と。

大学を出て、社会人になった。
私は、もう元気だからひとりでやれるよ。だから安心して自分の時間を自分の好きなことのためだけに使って。私は家を出て、ひとりで暮らすから。

これが、「なんで」のところ。

今日はあらかじめ実家に帰ることを言っていたのに用意されていたのは、半額の焼き鳥と、味のないスパゲティと、塩辛すぎるぬか漬け。これが親の普段の食事なんだけど、私はおごっていて
せっかく帰ってきたのに、これか。
そんなに大切に思われていないのかな。と思った。
でも、こうも思う。
好きなことを好きなだけやれているから、料理に手間をかける暇もないんだ。
これを思いついたとき、止めどなく涙があふれた。
自分で望んだことなのに、実際そうなるとこんなに悲しいことなんだって。私のことは普段は忘れていていいから、自分の好きなことを好きなだけやって。私は大丈夫だから。

泣きながら帰ってたら、何度も見た番号から電話がかかってきた。
「買っておいたさくらんぼ持って帰ってもらうの忘れちゃった。いまどこ?」
買っておいた、さくらんぼ。私のために。
「疲れてるから、いらない」

内心、電話だ、やった!ってなってるのに、こんなところでツンデレ発動してどうするんだ。
数分考えた。
「賞味期限、近い?」既読つかず、送信取り消し。
かけてみた。
「さくらんぼ、そっちまで持ってくよ」
「ありがとう」

一人暮らしして一人で生きてる気になってたけど、ひとりじゃないんだなぁ。
ほっとした。
っていうのが、思ったこと。

駄文乱文を、校正もせず「次へ」。
またあしたも一人で暮らして、親と、だれかと生きる日なんだな。

#一人暮らし #ホッとした #親  

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