【誰かの独り言】 キャッチボールの定義

「会話のキャッチボール」という言葉がある。
なぜ「キャッチボール」というのだろうか。

本来、キャッチボールは、投げて捕ってを繰り返すものだろう。であれば、ボールをキャッチするだけではないはずであり、純粋な気持ちで和製英語をつくるなら、スローキャッチボールのような言葉ではないだろうか。

しかし、元の英語を調べてみると、「play catch」というのだそうだ。

やはり、キャッチだけが言葉として表現されている。

不思議だなあと無邪気に感想をいだいていたが、ここで気づく。投げるという言葉の傲慢さに。

ここで冷静に言葉を見直そう。

キャッチボールの、ボールを持っている側が、ボールを持たない側にする行為を、「投げる」と表現するのであれば、それはボールの持たない側に対しての配慮を完全に排した「投げつけ」ではないだろうか。

一方、ボールを持たない側が「投げたボールを捕る」のであれば、投げられた側に対する「投げたあとのことは知らん。どんなボールを投げても捕ってくれるはず」という、ボールを持っている側のなんとも身勝手極まりない無意識が垣間見られる。

つまり、キャッチボールは、ボールを「投げる」ではなく、「捕ってもらう」でないといけないのではなかろうか。

「どう投げれば捕りやすいか」「どう捕ることを相手は望んでいるのか」ということを、ボールを持っていない側がなんならの形で表し、ボールを持っている側がそれを推し測ることで、ボールを「捕ってもらいあう」のが、キャッチボールなのではないだろうか。

そう考えれば、会話のキャッチボールという言葉にも納得がいく。

そして反省する。

会話において、「伝えたい」と思ってきた自分は、なんて浅はかさなことを期待していたのだろうということを。

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