非人間的なもの―人間の代替としてのロボットおよびAIが及ぼす心理的影響 ①

1.     導入

 「非人間的なもの」とは何か。文字通りに受け取ると、同じ生命体の括りの中でも人間とは明確に区別される動物や細菌を想起することが多いのではないだろうか。しかし本稿ではリオタールのテクストを受けて、「非人間的なもの」の定義を人工知能AIとロボットに置きたい。日々進化を遂げているそれらの中には機能性や知能指数の向上に留まらず、人間や動物の姿かたちを模し一見の見た目ではロボットと判別できないあまり我々人間の恋愛感情や母性本能を引き出す可能性を孕んだものや、ロボットらしい見た目はそのまま、しかし人間の求める癒しを自発的に提供することによってセラピー的な効用をもたらすことが期待されるロボットが存在する。両者とも、今までは人間が他者もしくは動物に対して抱くような感情や欲望だったが、現在では人造の有機体がそれら情動の受け取り手を担うのも珍しくない。

その一方で、我々はロボットらの感情の起伏や言動が事前にプログラミングされた人為的で無機質なものであることを理解しているし、ましてやそれらを造り出しているのは他でもない人間自身である。にも関わらず、我々はなぜ無機質なAIやロボットに対して本質的な感情や欲望を抱くことが出来るのだろうか。無論そのプロセスを経験したことがない、もしくは理解できない人々が多数を占めていることは事実だが、その類の人間は少数ながら確かに存在する。昨年度の本講義のレポートで取り上げた通り、その界隈に片足を突っ込んでいる私自身が今回、その存在証明を行ってみたい。

従って今回は非有機体が人間の感情の起因となる理由やその経緯を考察する。

 

2.     本論

セラピー型ロボットが及ぼす人間への心理的作用

 2009年から2010年にかけてアメリカで大流行したハムスター型ペットロボット、ズーズー。「どんな本物のペットよりも好ましい」「愛らしく、呼べば応え、掃除もいらず、死ぬこともない」という謳い文句で、男女問わない子供用プレゼントとして人気を博した。当時の人間は本物の生きたハムスターの代替として生命のないハムスターを贈り物に選んだのである。

ジャニーズJrのYouTube公式チャンネル12月26日更新分で行われたクリスマスプレゼント交換会ではHiHiJetsの作間龍斗から7MEN侍の今野大輝にクッション型セラピーロボットQooboが贈られた。それは一見、何の変哲もない柔らかそうなクッションに猫よりも若干太い尻尾が一本生えていて何らかの動物の姿を模したものではない。

「そっと撫でるとふわふわと、たくさん撫でるとぶんぶんと、そしてときどき気まぐれに、しっぽを振って応えてくれます。それは、動物のようにあなたを癒やすコミュニケーション。しっぽセラピーで、癒やしのある毎日がはじまります。」[1]という公式サイトの説明文の通り、遊び方は愛玩動物のように撫でるだけと至ってシンプルで、個々の撫で方によって変わる尻尾の振り加減や稀に行われる自発的な尻尾の動きによって人間に癒しを提供するといった具合らしい。また尻尾は音や声にも反応したり、クッション部分に耳を近づけるとトクントクンという鼓動が聞こえるのだという。

公式サイトによるとQooboによる人間への心理作用を計る実証実験も行われていて、ストレスオフ効果やポジティブ反応効果が10代~30代の男女、また特別養護老人ホームおよび介護老人保健施設の男女に確認されている。

 尻尾以外の目や鼻、口といった生物に必要不可欠な器官が排除された形状は少々グロテスクに見えなくもないが、なぜ人間はこの形状のロボットに癒しの感情を覚えることが出来るのだろうか。獨協医科大学教授の坂田信裕氏は「音声や表情をあえて省いて、しっぽの動きだけでコミュニケーションを生み出そうとするコンセプトが面白いと思います。しっぽの動きに自分の心理的な部分を投影することで、癒やしの効果に繋がる可能性があると感じました」とコメントしている。

対に面している相手の言葉や表情は我々人間の感情の揺らぎを最も左右し、またそれらはポジティブな反応と同時にネガティブな反応を引き出す大きな根源の一つである。対して、尻尾のみが残され「尻尾を振る」というコマンドのみが与えられているロボットから受ける心理作用は限られており、特にポジティブな影響だけを及ぼすことが可能だと推測できる。尻尾のゆらゆらとした動き、ぶんぶんと嬉しそうに激しく振れる様子だけが見て取れる尻尾からマイナスな感情を得る人間はそうそういないだろう。加えて自身の意思は撫で方に投影されるため、それによって変化する尻尾の振られ方に自己承認の実感を得ることも出来そうだ。

ロボットやAIの発達が著しい近年では、ロボットの及ぼす心理作用は人間が人間に及ぼすものととりわけ差別化されていないように感じる。臨床心理学者シェリー・タークル(1948-)はその根拠として「擬人観」を取り上げ、「擬人観はロボットが私たちと目を合わせたり、私たちの動きを追ったり、親しみを示す動きをしたりしたとき、ロボットを人間に近いものとして認識することだ。ロボットのそうした動作は人間が持つ“ダーウィンのボタン”を押して、人間はロボットを自分と同じ生命を持つ「他者」であると想像するようになる。平たく言えば、家で誰かが待ってくれていると思い始めるのである」[2]と述べている。

また、以前は存在する生物の代替にロボットを選択する、といった行動プロセスをとっていた人間がQooboのようなロボットを自ら好んで愛玩の対象に選んでいることも興味深い。「本物のハムスターは飼えないからロボットでいい」と話していた子供が10年後の現在、「ハムスターや犬じゃなくてQooboがいい」と、クッション型セラピーロボットを愛おしそうに撫でているといったことも起こり得るだろう。

しかしQooboを受け取った今野はポメラニアンを飼っていることもあってか、開封した際に何とも言えない微妙な表情をしており「これは多分使わないだろうな…」と一視聴者の分際で察してしまった。やはり本物の生物が与えてくれる温もりや充足感を既に知っている者からすれば、ロボットの提供する癒しに違和感を感じざるを得ないのだろうか。これは一昔前までは当たり前とされてきた事象であったと考えられるが、今後はロボットおよびAIの心理的作用を肯定的に受け止めたうえで「ロボットに感じる温もりはなぜ疑念が残るのか」を検討する必要があるのかもしれない。


②に続きます…。


[1] Qoobo公式サイトより https://qoobo.info/index/

[2] シェリー・タークル『つながっているのに孤独 人生を豊かにするはずのインターネットの正体』渡会圭子訳、ダイヤモンド社、2018年p43

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