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Vtuberの属性と概念と信念を愛している話

中の人がきっと社長でもマッドサイエンティストでもピエロでも中学生でも無いことを僕らは暗黙の了解で分かっているんだ。
でも彼らはそこに夢を与えてくれる、夢を演じてくれるから、僕は彼らが言う属性と概念を信じている。

Vtuberというものは生まれからして「電脳世界を生きるバーチャル存在」であること、を主体としていた。始まりからしてそこを受け入れられるかどうかで違うのだ。

狼男でも吸血鬼でも本当はないかもしれない。けれど、そんなふたりが一緒にルームシェアをする。その文面だけでどれだけ楽しいか。

テーマパークの着ぐるみの中に誰が居るかなんて誰も言わない。あの世界を、パークを楽しむ為に来ているのだから無粋なことはしない。「わかっていて我々は楽しんでいる」のだ。

そしてそこには楽しませよう、魔法をかけようと努力する人が居る。その努力が我々に信じる魔法をかける。

だからこそ、その魔法が解けてしまったら、人は冷めてしまうものなのだ。

この信じる魔法は一方通行では通じない。
楽しませよう、信じさせようとする努力と、その楽しさに引き込まれ信じる努力が双方に必要だ。

そのために必要なのが一貫性という名の信念だと思う。1度その概念を提示したならば、そこを揺らがせたり覆す場合には責任が伴う。魔法が1度解けてしまうかもしれないという覚悟の元行う必要がある物であると考えている。

だからこそ大手さんはキービジュアルを変更する場合は盛大な発表をするし、きちんと説明をして、ファンに納得ないしとりあえず現状の自分の意見を伝えるということをしている様に思うのだ。

お互いに納得した上で一緒に進むのか、そこで別れるのか。キービジュアルだけでも賛否両論あるというのに、概念(性別、属性等パーソナル部分)となると更に混乱を招くのは必須。

推し活というのは一種の宗教だと思っているので、信じていた神が変わること自体本来はあってはならないことなのだ。

だからこそ、一貫性を守り、属性として有り続ける努力をしてくれる人が大好きであるし、今後も期待して夢を見せてくれると信じることが出来る。

ただ、この魔法は本当に体力を共に使う物だとも感じていて、信じさせる為の労力は我々の目には見えにくい物だ。

活動を続ける為のバイタリティ、行動力、社交術、新しいものを生み出し続ける発想力、マルチタスク力、活動内容によって様々だがこれを全て維持したまま活動し続ける事は一般人には割と難しい事だ。

また視聴者にとっても日々新しいコンテンツを追い見続けるという行為自体が重荷になることもあるだろう。

何になりたいか、何をしたいか、どうなりたいか。活動スタンスと視聴者との距離感。そこがハッキリしている人程ブレが少なく活動も活発なんだろう。そしてブレがないということは夢を魅せやすいということで、そういう人に皆集まっていくんだろう。

僕自身Vtuberでありながら何に、何を、どう、という部分が強くある訳では無い。だからこそ強い人間に焦がれる。

魔法をかけきれなくてもいい。魔法はお互い信じてなるものだから。そこに本気さや真面目さがどれだけあるか、人の心を動かす魔法の中身はきっとそれだけなんだ。

貴方の好きなVtuberはどんな人ですか。

猫缶代、いつでも待ってます。