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頑張れ!なんて、大嫌い。

頑張るって、なんだ?

頑張るかどうかなんて、自分で決めることなんじゃなかろうか。
人様から頑張れと言われて頑張れたら苦労しないし、自分で決めかねているところに「頑張れ」とバシッと勝手に背中を押されるなんて、私、転んじゃうけど?というお話です。(結論)

こんばんは。にゃんちーです。星読み屋さん時々タロット使い。noteは徒然なるままに、筆ならぬ指を走らせよう。
(キーボード打ってるわけだし)
何者でもない私としてを徒然なるままに書こうと思います。

頑張れを当て字なのか顔晴れと書くのもぞわぞわします。顔を晴らすってなんだ。意味を成してないだろうに。

頑張れって、とても便利な言葉です。

応援するのによく使う言葉。
しかし頑張れ以外に応援する言葉が思い浮かばないのだとしたら、誠に失礼ながら語彙力の問題だと思ってしまうのである。
そうは言っても、私だって使っている。
でも極力使わないようにしている。

理由は簡単で、頑張れと言われるのが、私は嫌いだから。

頑張れって、割と無責任な言葉だと思うのです。

頑張れという漢字そのものが当て字で、我に張るとか眼張るから転じたものなのである。
我を張るって、結構わがままな漢字だよね。

頑張るとは、困難に耐えて努力するという意味なのだけれど、それを他人から言われるって、どうなの?と思うのだ。

頑張ってないと、ダメですか?

今以上にもっと、努力しろってことですか?
つまり努力不足ということですか?

とてつもなく捻くれた考え方、受け取り方なのかもしれません。
でもそう感じてしまう。

似たような言葉は、頑張れ以外にもある。

次はもっと出来るね!とか。
もっとって、なんだ。

もっと出来るねとか、頑張れって、こちらの心の準備が出来ていないのに勝手に背中を押された気分になるのだ。
準備がまだなのに、走り出さなければならない。
私の中ではまだ、よーい、どん!のピストルは鳴っていないのに。

昔々、その昔。
まだ小学生だったころ、私は100点満点のテストを学習机の下に隠していたことがある。親にバレて結局怒られたのだから、なんとも言えないものがあった。100点満点なのにこんこんと怒られる、不条理。

テストを見せるたびに、次はもっと…と言われるのが、怖かった。
100点より上の点数は、ない。
ということは次も100点を取らなくては「いけない」と思ってしまったから隠していたのである。

大人になっても、頑張れと言われるのは好きじゃない。

頑張れと言われて素直に受け取れる時は、私が自分で「頑張る」と決めた時だけなのだ。

頑張っているかどうかは他人が決めることだ、なんてのも良く聞きます。
果たして、本当にそうなのだろうか。

頑張れるキャパは個人差があるし、仕事かプレイベートなのか、結果重視なのかそうでないかなど、状況によって異なるだろう。
そもそも、頑張るの尺度がみんなそれぞれ違うのだから、見る人が違えば頑張っているかどうかの判断も違ってくるのである。

なんて曖昧なんだ、頑張るという世界は!

そんな曖昧なものの全てを他人が決めるのが正解だというのも、なんだかぞわぞわするのです。

だから時々考える。
自分が予期せぬタイミングで人から「頑張れ」と言われるたびに、考える。

私は勝手に人の背中を押してないだろうか。
その人、転んでやしないだろうか。
背中のその重そうな荷物、ちょっと持ってあげられないだろうかと。

私も背中の荷物、降ろしていいのかな、とも。

何も背負わないほうが、速く走れるんだもん。
背負いたくて背負ってるわけじゃないんだもん。

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