「17歳のエンディングノート」映画感想
製作 2012年 英
監督 オル・パーカー
出演 ダコタ・ファニング ジェレミー・アーバイン
白血病と医者に宣告された17歳の少女テッサ(ダゴタ・ファニング)は、
残された時間を人間らしく生きる「尊厳死」を選択し、あらゆる治療法を止め、
「セックスをする」「ドラッグをやる」「法律を破る」と死ぬまでにしたい【TO DO リスト】を作り上げ、友人のゾーイと共にそれを実行していく。
娘の奇行になすすべなく困惑する父親。
現実を受け止められず娘の看病すらできない母親。
「お姉ちゃんが死んだら旅行に行こうよ」と無邪気な弟。
そんな家族をよそに、一見、気丈に振舞っているテッサだが、
心の中は絶望と死への恐怖が支配していた。
そして、テッサの前にひとりの青年アダムが現れる。
―――と、ようするに
白血病の主人公が、死ぬまでにしたいことリストを作って実行し、恋をして、精いっぱい生きる話で、まあ、ありふれた「病気もの」です。
「スイートノベンバー」「死ぬまでにしたい10の事」「最高の人生の見つけ方」
「世界の中心で愛を叫ぶ」「ノッキン・オン・ヘブンズドア」「僕とアールと彼女のさよなら」
類似作、多数思いつきますが
そんな中で、とりわけ僕の心に残っているのがこの作品です。
本作が他の類似作と一線画すのは、
冒頭から化学療法も放射線治療も諦め、(ふつう治療方針をめぐる周囲の人との葛藤がクライマックスになるのですが)家族も本人も死を受け入れ、かなりの終末期に入っているところです。
もちろんそれは、残された生を、より人間らしく生きるためでもあるんですが。
その選択は、なかなか簡単にできるものではありません。
そしてそれを、まだ僕のイメージの中では「アイアムサム」の印象が色濃く残るあの
ダコタ・ファニングちゃんが演じているのが驚きです。
「あら大きくなったね」と思ったら、17歳にして不治の病を受け入れ
死と向き合う役どころですから、かなりインパクトありました。
こういう病気の話はラストは死ぬにしても
前半から中盤にかけては楽し気に、気丈にふるまい、死を感じさせない描き方をするのが一般的でしょう?
しかし、この作品の主人公テッサは
口では死を受け入れているようなことを言っていますし、表向きは友達と、破天荒な青春をエンジョイしてるようにふるまってはいますが
本当は怖くてつらい、必死に死を受け入れようと暗闇の中でもがいている
感じがびんびんと伝わってきます。
病状が進行していく様子も、かなりリアルに描かれます。
家族の反応も、恋人アダムとの関係も、かなりリアルに描かれていきます。
たぶん現実に病気になったら、こうなんだろうなという姿です。
しかし、誰もが病気から目をそむけません。辛くないわけではありません。
辛くて。悲しくて。怖くて。苦しくて・・・。
それでも正面から、必死に病気と向き合う姿に
もう、ただただ心を揺さぶられます。
もっとも印象深いのが最期の看護師との会話です。
「この後どうなるの?」
と、終末期の症状と死に至る過程の説明を聞くシーン
看護師も看護師でなんの希望的余地もはさまず
死に至るまでの過程の症状を淡々と語ります。
テッサは取り乱すこともなく、それを冷静に聞きます。
ただ、そのあとしばらくたって一人になるシーンがもう・・・。
そして、なんのどんでん返しも裏切りもなく、
予想どうりに進行し、静かに幕を閉じます。
僕もアラフィフ。近親者の死もいくつか乗り越えてきました。
自分自身の死について、切実に考える事も多くなりました。
本当に自分に「その時」が来たら、
果たしてこの物語のテッサのように向き合えるだろうか・・・
17歳の少女にできるんだから、自分も負けちゃあいられない・・
と、妙な勇気をもらったりして・・・。
切なく悲しいストーリーですが、不思議な温かさが残るのです。