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日記:伯母の葬儀に立ち会って思うことをただ書き連ねる

今日、父方の伯母の葬式に参列してきた。
思ったことをただ書きます。

6/5
出勤前に朝食を食べていたら、母から山梨に住む伯母が亡くなったとのLINEが来た。
81歳。急死だった。

伯母には子供の頃可愛がってもらった記憶がある。
ただ、中学生以降はほとんど会っていなかった。
足腰が不自由になり、数年前に自ら施設に入所していた。
元気なうちに会っておこうということで、ここ2年ほどゴールデンウィークに会いに行っていた。
2年前に久しぶりに会った伯母は、すっかり痩せて、髪は真っ白でおばあさんの姿になっていた。
その姿を見た時もなんだか、時の流れを感じてとにかく悲しかったのを覚えている。
また、そんな伯母を優しい眼差しで見つめる夫(伯父)の姿も印象的だった。

今年はコロナの影響もあり、会いにいくことはできなかった。仕方のないことだけど、会えなかったことが悔しかった。
また、前にあった時、「ミレイは結婚しないの?」って聞かれたことがあった。
結局、晴れ姿を見せられなかったことを申し訳なく思った。
とにかく朝から泣いた。

6/8
本日、葬儀の日。
出発前に、パールのネックレスをつけようとしたら紐が切れた。
母からもらったものなので、古いから仕方ないかと思いつつ、母に連絡した。
同じタイミングで、母のネックレスも切れたらしい。
何の意味があったかはわからないけど、偶然すぎてびっくりしたのでとりあえず書いた。
母は不吉と言ってたが、むしろ何かよくないことが起きるのをネックレスが身代わりになってくれた、と考えることにして、山梨へ向かった。


棺の中の伯母は、穏やかで安らかだった。
別人みたいだった。
昨年、大学の友人が亡くなった時も、棺の中にいる友人に対して感じたのと同じ感覚だった。

ここに寝ているのは本物だろうか・・?

多分、まだ亡くなったということが、受け入れられていないからなのかもしれない。


焼香等が終わり、喪主である伯父の挨拶があった。
伯母が亡くなる前日、替えの洋服を持ってきて欲しいと頼まれ、着替えを持って行った。その時20分程、会話をすることができたとのこと。
帰り際、伯母は「また来てね」と手を振っていたそうだ。
いつもはそんなふうにはしないから、印象的だった、と。それが最後の姿だった。
伯父はとても献身的に叔母の介護をしていた。
前に見た、優しい伯父の目をふと思い出した。

葬儀の最後、みんなで棺に花を入れた。
棺を閉める際、「これで故人に触れられるのは最後です。最後にお別れをされる方はどうぞ」
と言われたが、私の足は前に出なかった。

体温のない肌に触れて、その死を感じるのが怖かったんだと思う。

火葬場に付き、棺が火葬炉の中に入れられた。
その扉が重く閉められ、中から炎の音が聞こえてきた。

あ、これで本当にお別れなんだ・・
そう実感したら、また涙が出てきた。


一時間半後、骨になった伯母と対面した。
人の身体は、最後こんなにも小さくなるものなのか・・と思った。
全てのお骨は、骨壺にきれいに収められた。
そして、白い布で包まれ、骨覆が被せられる。
その鮮やかな手つきをぼんやり眺めていた。
人はいつか命の尽きる時が来る。

それは仕方ないけど、ただ、もう、伯母に会うことはない。
ほとんど会えてなかったけど、可愛がってくれてありがとう。

お葬式って故人を偲ぶためのものだと思ってだけど、残された人たちがその死を受け入れて、前に進むための儀式でもあるのかな。

そして、今日が自分の誕生日だってこと、忘れかけてた。
最近、毎日をなんとなく過ごしがちだった。
でも、今いる人たちと過ごす時間は永遠じゃない。
またこの1年、1日1日大事にしていかないとな、と思う。
時間が経つと、きっとこの思いは忘れてしまうので、ここに書き連ねました。

ここまでの長文、読んでいただき、ありがとうございます。


読んでいただきありがとうございます(^^) 私の記事があなたの役に立てたら、嬉しいです♪