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「何があれば産めるの?」から妊娠に至るまで

突然なのだけど、この数ヶ月、ひっそりと妊婦生活を送っている。

昨年2月に結婚した夫が、昨年6月から3年間の期限付きでフランス赴任になった。
海外で暮らせる機会もそうないので、思い切ってわたしも会社を辞め、昨年11月にフランスに移住。その後、今年1月の半ばに妊娠発覚したというわけである。

 思い起こせば5年前のブログに、付き合っていた彼氏に、「子どもが欲しいかわからない」と言ったら、「じゃあ何があれば産めるの?それはいつ決められるの? そう言うきみに、これ以上時間を費やせない。」と振られたという趣旨の記事を書いた。

それから約5年経って、望んだうえで妊娠したわけだが、正直言うと、あれから大きな心境の変化があったわけではない。

わたしが子どもを作ろうという心境に至ったのは結局、「いろんな諦めや横着、加齢ゆえの楽観主義が加速した結果」だと思う、と小声で言いたいのだ。

大ぴらに言うと批判されそうだし、まず共感されないと思うけど、以前のわたしと同じように、子を望むかどうかについて悩んでいる人が居たら「こういう人も居ます」と伝えたい。

無事出産したわけじゃないので、とらぬ狸の皮算用感がすごいけど、そこから妊娠に至った現在までの心境の変化(=自分との折り合いがどうついたか)を書き残しておこうと思う。

エモさ全開の上記の記事は、ありがたいことに多くの反響をいただいた。

 「わたしも子どもが欲しくないと思っていたけれど、夫に出会って変わりました。今は子どもがとても可愛いです」
「わたしも子どもが欲しくないと思っていて、やはり作らないことにしたけど、幸せです」
「こんな大人になりきれていないやつに、子どもを産む資格はない。母親になるな」

わたしの周りにも「子を持たず、幸せに暮している女性」はいた。ロールモデルとして、とても魅力的な人達だ。わたしは彼女たちの自由さや感性に憧れていた。

一方、子どもを持つことに対しての “ おっかなさ ” は、根強いものがあった。

別に不幸話をするつもりはまったくないのだけど、わたしの父はモラハラかつミディアムなアル中だったため、母に一切育児の協力をしなかった。

そのため母は精神的に追い詰められるあまり、「結婚はするもんじゃない。子どもは産むもんじゃない。」と、わたしの前でよくこぼしていた。

その話を聞いて「子どもは好きで産まれてくるもんじゃない。このハードモードな世の中に勝手に産み落とすことは出来ないな…。」と子供心に感じるようになっていった。

しかしそんな思いを抱えつつも、結局20代後半になっても心が定まらず、その不安定な気持ちを、ぐだぐだとブログに書き綴ったのだ。

記事を書いたのは28歳の頃。7年半付き合った彼と25歳の時に別れた後、坂道を転がるように短命の恋愛を繰り返している時だった。

そしてその後も相変わらず、恋愛いばら道で血反吐を吐き尽くして、「もう恋愛をアガりたい…」と底をついた31歳の落ち武者は、14年来の友人と付き合った。それが夫である。

彼が「どんな形であれ、子どもが欲しい」と心に決めているのは知っていたので、若干の迷いと、相手にも自分にも本音を誤魔化しているような後ろめたさを感じていた。

しかし「この人が父親であるならば、子どもは少なくとも父親要因では、不幸にはならないだろう」という実感を拠り所に、結婚を決めた。

これが20代であれば、わたしは決断していなかったと思う。

そして「みんなまだ欲しくない、わからないって言うんだけど、産みたいと思った時にはもう遅いのよ」という諸先輩方からのアドバイスが、自分の中で言霊のようになっていた。
その言霊は、ある面では呪いのようにも感じたし、ある面ではとても現実的なアドバイスだとも思えた。

それらの実感や言霊は、自分のなかで断層のように折重なっていった。
「これまで散々悩んで考えて、それでも結論していないということは、子どもを作るも作らないも、どちらも許容範囲ということなのだろうか…」という境地になっていたのである。

このことは、「彼(夫)を手放したくないから、自己正当化してるだけ」のような気もするし、「これ以上、考えるのが面倒になっただけ」のような気も、未だにしている。


例の記事を書いてからこの5年は正直に言って、わたしにとって「人生のゆるいくだり坂」というか、目指すべき山も谷もない、ただだだっ広い道が目の前に広がってるだけの「人生の長い踊り場」のような日々であった。体調を崩し以前のように働けなくなってしまったのをきっかけに、自身のモチベーションも変化し、仕事への自信や進みたいキャリアが見えなくなった。

だから「一言で言うと、人生色々と冴えなかから、結婚して仕事を辞めて海外に行って妊娠して、その道に逃げこんだんでしょ?」と思った人も居ると思う。

実際、そうなのかもしれない。「もうキャリアは捨てたんだね。」と言われたこともある。

しかしわたしの人生は、運が良ければこれからも生きて、続いていく。

他の人からどう思われても構わないが、子どもを作ったからと言って、そして一度キャリアの梯子を降りたからと言って、幸か不幸か、当人にとっては簡単に捨てたり諦めたりできるものではないらしい。

「何があれば産めるの?」と言った当時の彼、「どうしたらわたしは子どもが欲しいと思えるのだろう」と自問自答していた昔のわたしに、今のわたしはどう答えるだろう。

「色んなことが重なって、なるようになった」と身も蓋もないことを言うほかないかもしれない。
でもそれが、わたしの折り合いのつけ方だったのだ。

 これから、長い踊り場のような日々が続いても、急な坂道を下ることになっても、また山の頂上が見えても見えなくても、自分を受け入れて、このタラレバの効かない世界を生きていくしかないなと、今は思っている。

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