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中国古典に由来する自民党の派閥名称

自民党総裁選の季節。総裁選では必ず派閥の動きが報じられます。しかし、考えてみると興味深いのは、派閥の正式名称で中国古典を由来に持つ名称が多いことです。名称の由来を各派閥のホームページにも記載してもいます。主要6派閥でみると、6派閥が名称の由来を中国古典に求めています。例外は、石破派の「水月」のみです。

中国との関係について強硬な方もいたりしますが、だからと言って、中国古典の名称を変えよう、という議論は全く起きません。それだけ日本人が中国古典をよく読み、自らのものにしてきた、ということの表れとも言えます。以前に中国の知人にこのこと言ったところ、非常に驚かれましたが、驚かれたことに私が驚きました。

順番は国会議員の人数(2021年8月末)による。


(1)清和政策研究会(細田派)

「清和」は「政清人和」からとられており、『晋書』「諸葛恢伝」に、東晋の元帝が詔で諸葛恢の統治を「政清人和」(清廉な政治でおのずから人民を穏やかにした)と称賛した故事によります。

『晋書』は晋(西晋・東晋あわせた)の歴史を記した史書です。二十四正史のひとつで、形式は紀伝体です。唐の太宗李世民の勅のもと、房玄齢らが撰しました。それまでに存在した十八の晋代史をもとに編纂されています。

安倍総理「政清人和」

(2)志公会(麻生派)


もともと、麻生太郎氏がつけたのが「為公会」「為公」は『礼記』の一節「天下為公」によります。

『礼記』「礼運」
大道之行也。天下為公。選賢與能。講信修睦。
大道の行はるるや、天下を公と為し、賢を選び能に与くみし、信を講じ睦ぼくを修む。

中国での解説が面白いです。

原意是天下是公众的,天子之位,传贤而不传子。后成为一种美好社会的政治理想

「本来の意味は、世界は公であり、天子の立場であり、高潔な者を転嫁するが、息子は受け継がれないということです。 それは後により良い社会のための政治的理想になりました。」
ナント。政治の世襲否定のフレーズと中国では解釈されてます。自民党の派閥名称としてどうなんでしょうかね。

麻生総理「天下為公」

(3)平成研究会(竹下派)

元号の「平成」に由来するが、そもそもの「平成」の出典が中国古典。

命名者は小渕恵三氏です。竹下内閣の官房長官として「平成」の新元号を発表しましたが、このことが小渕氏が総理候補として認知された大きな転機になり、これを派閥の名称にも使うようになったと見られます。

前身の「経世会」は「経世済民」を典拠にしていると思われますが、音として「ケ」「ヘ」で、この語感を気に入っているのかもしれません。

(4)志帥会(二階派)


平沼赳夫氏の命名によるものらしいですが、派閥のホームページなどが無く詳細がわかりません。出典は『『孟子』公孫丑章句「志は気の帥なり」と見られます。

中国のサイトの原文は以下

https://so.gushiwen.cn/guwen/bookv_46653FD803893E4F1933706CC1F0BCA6.aspx

(書き下し)

曰く、敢えて問う、夫子の心を動かさざると、告子の心を動かさざると、聞くを得べきかと。告子は、言に得ざれば、心に求むること勿かれ。心に得ざれば、気に求むること勿かれと曰えり。心に得ざれば、気に求むること勿かれとは、可なり。言に得ざれば、心に求むること勿かれとは、不可なり。夫れ(それ)志は気の帥(すい)なり。気は体は充たすものなり。夫れ志至れば、気はこれに次まる(とどまる)。故に曰く、その志を持りて(まもりて)、その気を暴なう(そこなう)ことなかれと。既に志至れば、気はこれに次まると曰いて、またその志を持り、その気を暴なうことなかれと曰うは何ぞや。曰く、志壱ら(もっぱら)なれば則ち気を動かし、気壱らなれば則ち志を動かせばなり。今、夫れ蹶く(つまづく)者、趨る(はしる)者は、是れ気なり。而れども反ってその心を動かすことあり。敢えて問う。夫子悪にか(いずくにか)長ぜる。

毛沢東も『孟子』をよく引っ張って来ていたようです。中国共産党の機関紙にもこのような論考もあります。

http://dangshi.people.com.cn/BIG5/n1/2019/0916/c85037-31354319.html

韓国の『東亜日報』の高麗大漢文学科のシン・ギョンホ教授のコラム「漢字の話」ではあ「意思は気の将帥だ」と解説しています。

(5)宏池会(岸田派)

後漢の馬融の『広成頌』「高崗の榭(うてな)に臥し、以って宏池に臨む」

安岡正篤氏の命名によるとは知られているところです。
馬融は後漢の皇帝の安帝の外戚として権勢を振るっていた大将軍の鄧騭に招かれます。当時鄧騭と安帝の生母の太后の鄧綏が共同で政務にあたっていましたが、馬融は太后へ『広成頌』と呼ばれる上奏をしたところ、太后の不興を買ってしまった、というのが馬融と『広成頌』の話です。不興を買うような本に典拠を求めているところがナカナカ味があるというところでしょうか。

馬融のキャラも面白いものです。

私欲が深いとして免職となったり、権力におもねるような振る舞いで、清流派から批判されたり。講義の場においても女人をはべらすなど、儒者の節にこだわらないところもあったようです。今じゃセクハラで指弾されますけどね。

(6)水月会(石破派)

「水月」とは禅に由来する言葉(禅語)
「水面に月が映っている。月は水面に移ろうとしているものではないし、水面は月を映そうとしているのでもない。」

自民党の派閥の中で、唯一漢籍に出典を求めていないのが特徴です。

(7)有隣会(谷垣派)

「谷垣派」は「有隣会」と言われています。

出典は『論語』里仁篇「子曰、德不孤、必有鄰」 
子曰く、徳は孤ならず、必ず隣有り

日本の解説だと
「徳というものは孤立しない。必ず仲間ができる。」
「徳を心掛けていけば、一人でやっていても必ず仲間ができてくる」

など、徳という「考え」は孤独ではなく仲間ができてくる、というところで
考え方が仲間をつくるという発想です。

中国の解説だと
http://m.guoxuemeng.com/guoxue/14925.html?ivk_sa=1024320u

有道德的人是不会孤立的,一定会有思想一致的人与他相处
道徳的な人は孤立していない。彼と仲良くする志を同じくする人々がいるだろう。」
有道德的人是不会孤单的,必定会有志同道合的人来与他为伴
道徳的な人は孤独ではなく、彼に同行する志を同じくする人々がいるでしょう。」

中国だと「道徳的な人」ということで、ヒトに重点をおいた解釈が見られます。

これだけではありませんが、考えてみると漢文での日中の解釈の微妙な相違は中国を理解する上でのポイントかもしれません。なお、自民党で漢文が好きな方々が本当に中国を理解していたのか、とも思えてきます。

一方で、野党の派閥(と言うかグループ)の名称はしょぼいのしかなく、記すにすら値しない。反論や説明あればどうぞ。




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