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岡崎から視る「どうする家康」#1岡崎では「若い」家康

NHK大河ドラマは長年歴史を扱ったドラマで人気があります。ドラマとして話の展開が視る前からわかっていて視るのが時代劇の面白いところです。

次回作の「どうする家康」のホームページもできました。

私としては、青年期の苦悩にもう少し焦点を当てたドラマが面白いのではないか、と思ってきただけに、今回の「どうする家康」は興味があります。

ちょうど39歳の松本潤さんが演じて、どのようになるのか、期待と不安があり「どうなる家康」と言うところです。このドラマを「岡崎」と言う視点で考えてみたいと思います。

岡崎市にある「若い家康」の像

ドラマの序盤の舞台は愛知県岡崎市です。

岡崎市はJR岡崎駅と名鉄の東岡崎駅がアクセスの中心です。面白いことに、両方とも像をおいています。

JR岡崎駅「松平元康像」石でできてて丸みのある像

JR岡崎駅は「松平元康」です。岡崎は石材加工の街でもあり、石で作られています。丸みを帯びていますが、なんとなく像以前に「松平元康」の名前の像は珍しく感じます。この像はロータリーの中であまり目立ちません。なんだかな、という感じはします。


名鉄東岡崎駅「徳川家康」騎馬武者の若々しさが私としては気に入っています

名鉄の東岡崎駅前は若々しい騎馬武者の銅像で「徳川家康」です。2019年にできた25歳の像です。皇居前広場の楠木正成像を彷彿とさせる躍動感があります。

岡崎観光の宣伝で、正確に言うと東岡崎駅前ではなく、複合施設「OTO RIVERSIDE TERRACE」というところです。飲食店もあり、観光スポットです。

ただ、家康の老練・老獪なイメージに合わないと思われる方がいるかもしれません。しかし私が一番好きな像は、この東岡崎駅にある像です。

岡崎公園にある若い像も、「松平元康」像です。馬の脚も半分になっています。中途半端感が私は気に入りません。

生まれた岡崎城を背にし、日光東照宮の方角を向いています

しかし、全国の方が、岡崎に観光に訪れると「若い家康」の像に、ちょっと意外な感じを持たれるかもしれません。

岡崎から見ますと、永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いの後(18歳)から、永禄10年(1567年)に浜松に移る(25歳)まで、ほぼ20代の7年間だけしか岡崎にはいなかったので、岡崎としては、「若い」家康像でないと本来はおかしいのです。

ドラマでは、それをどう描くのか。

それはNHK大河ドラマを視てからのお楽しみだから「どうなる家康」。

「岡崎」という視点で家康を考える


生誕の地・岡崎では、武将隊も盛り上がっています。

大河ドラマ館は1月23日にオープンします。岡崎在住時に相当する放送回が既に終わってないか心配で、なんだか拍子抜けです。大丈夫かな。

これでは「どうする家康」でなく、「どうなっとるだん!岡崎市役所」と文句言いたいところです。

それはさておき。

私はこの岡崎での7年間が、のちの家康の政治観などに大きく影響を与えることがあったと考えています。

家康は永禄3年の桶狭間の戦いを18歳で迎えています。永禄10年に浜松に移るの25歳までの(数字の多少の誤差はご容赦を)岡崎にいた7年間は今でいう大学生や新入社員の相当の間です。

しかし、岡崎の7年間で6つぐらいの大きい政治的決断をこなしています

①松平宗家の後継者としての正統性の確認
②織田との同盟で、今川を切る大転換
③三河一向一揆鎮圧と帰参の対応で結束を図る
④十四松平の同族や名族吉良氏などとの抗争をおさめる
⑤三河を掌握し、徳川改姓・三河守叙任を朝廷に工作
⑥岡崎を信康と古参メンバーに任せて浜松に拠点を移す

今風に置き換えるなら、地方にある実家の中小企業の経営が倒産寸前で何とかしている状態を、大学生が7年で立て直しただけでなく東証のグロース(以前の東証二部)に上場、というイメージでしょうか。これだけやった20代の経営者がいたら相当な実力です。

これだけを三河武士団・岡崎のメンバーの支えがあったとは言っても、ほぼ大学生-新入社員の年齢で行ったのですから、大した政治決断力と言えるでしょう。この「岡崎メンバーの支え」も、「岡崎」という視点から見ると絶対に外してもらっては困るところです。

 なぜこの岡崎の7年間が重要なのか。

後年に元和偃武、「徳川の平和」=Pax Tokugawanaと呼ばれる250年の平和構築の政治ノウハウは、この岡崎の7年間の経験で培われた、というのが私の見立てです。

徳川家康の岡崎在住の7年間を中心に、勝手気ままにドラマの登場人物を合わせて期待する場面を挙げていこうと思います。

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