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国賓をもてなす「豊明殿」(2021年7月)

国賓をもてなす宮中晩餐会は豊明殿で行われます。「豊明殿」という名の由来は、新嘗祭の翌日に宮中において行われた宴会である豊明節会(とよのあかりのせちえ)からとられています。

豊明(とよのあかり)は酒を飲んで催す宴のことです。豊宴(とよのあかり)との表記や「宴」の一字が当てられたこともあります。

奈良時代に編纂された記紀万葉(古事記、日本書紀、万葉集)にも、その言葉が出てきます。

712年(和銅5年)に編纂された『古事記』には「天皇豊明聞看日(すめらぎのみこと とよのあかりきこしめすひ」

720年(養老4年)『日本書紀』には「上巳に後苑に幸いして曲水きこしめす(はじめのみのひに みそのにいでまして めぐりのみずの とよのあかり きこしめす)」

『万葉集』巻19. 4266 大伴家持
「あしひきの 八つ峰の上の 栂の木の いや継ぎ継ぎに 松が根の 絶ゆることなく あをによし 奈良の都に 万代に 国知らさむと やすみしし 我が大君の 神ながら 思ほしめして 豊の宴 見す今日の日は もののふの 八十伴の男の 島山に 赤る橘 うずに刺し 紐解き放けて 千年寿き 寿き響もし ゑらゑらに 仕へまつるを 見るが貴さ」

豊明殿の正面の壁面には 夕空に五彩の雲が大きく、ひるがえるようにたなびいている「豊幡雲」(とよはたぐも)が描かれています。五面にわたる巨大なつづれ雲。

豊旗雲については万葉集に出てきます。天智天皇は『万葉集』 巻1.15 
「わたつみの 豊旗雲に入り日さし、こよいの月夜 あきらけくこそ」

豊旗雲

かつて、豊明(とよのあかり)は神事の後に、神前に捧げたお神酒(おみき)や、おそなえした神饌(みけ)をおろして、宴を催していました。

現代の宮中晩餐会は、神事とは関係なく、天皇陛下の国事行為の一環として催されます。天皇陛下が国を代表して、国賓をおもてなしになる国際親善をいにしえの、豊明(とよのあかり)になぞらえ、重要視していることをこの「豊明殿」の名に込めています

オリンピック2020東京大会に世界から多くの賓客を迎え、ここでの宴が開かれるはずでしたが、コロナによりそれが実現しませんでした。「とよのあかり」が再び開かれるのは、いつのことでしょうか。


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