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自己肯定感が低い私と『肯定して欲しい私』

タイトルでこう書いちゃうと、何だかとっても仰々しい気がしてしまう。
とはいえ、事実だし。

ちょっとだけ、自分に向き合ってみようかなと思ってこの場を借りることにした。
考えが上手くまとまっていないし、とてもネガティブな内容になりそうなので、読んで無理かも。と思った人は自衛して下さい。

今回は「肯定して欲しい私」について書いてみようかなと思う。
誰かに肯定してもらいたい。
きっと皆が持ってる承認欲求何じゃないかと思う。

元々は毎日何かしらの創作文章を書く! と宣言していたのだけど、一度つまづくと続かない。
何でだろうなと考えた時に、根底に「自分なんかが」という気持ちがあることに気づいた。

自分なんかの文章表現なんて
自分なんかの考える話なんて
自分なんか、何をしても・・・

そう考えていて、行動することがとても苦痛に感じてしまう。
人からの評価を恐れているくせに、誰かには知っていて欲しいと思う矛盾を抱えている。

最初から何もしなければ、傷つくこともないし、嫌な気持ちになることもない。
無関心を決め込んで、興味のない振りをして、無意識で他人と比べて羨んで。
だけど、それじゃ嫌だと叫ぶ自分が確かに存在している。

今までそれをずっと無視してきた。
どんなに望んでいても、私がやることなんて、と。

夫から、私は「とても自己肯定感が低い」のだと言われた。
あぁ、確かにそうなのかもしれないと、どこか他人ごとに思った。

夫は私は自分が思っている以上に、色々と出来ているのに勿体ないとよく言ってくれる。

そう言われて嬉しい筈なのに、その言葉をどうしても信じることが出来ない。

私は、陰気で常識知らずの馬鹿で、愚図でのろまで、気も利かなくて、優しさもない。
そんな人間だと思って生きている。
と、いうか、そう言われて育ってきたのだ。

けれど、そう言って私を育てた親は既に他界し、私を否定し続ける兄弟達と距離を置いて、私は実家の家族が言うよりも、もしかすると「まとも」なのかもしれないなと思い始めた。

だからと言ってすぐに考え方が変わるわけじゃない。

私は「私」が嫌いだし、私は「私」を一番信用していない。

そのせいなのか、創作している文章もちっとも面白いと思わない。
文章だって下手くそで、語彙力もなくて、何一つ魅力を感じない。
それは当然なのだ。
だって、私は「私自身」を肯定出来ないから。

上手く書けっこないと思いながらも、文章を上手く書きたいと足掻き、結果、上手く文章が紡げず、SNSを徘徊する。

そこで度々目にするのは、まずは自分の作品は自分が愛してあげて。
とか、
自分が書いている話は面白いと思って書かないと、読んでる人も面白くない。
とか、
まずは自分の作品を、文章を肯定しようって事が書いてあって、なるほどな。と思った。

書きたくて書き始めた筈の物語の手が止まり、想像力が掻き消えてしまうのは、私が私の作品を愛せていないからなのだと、妙に納得し、愕然とした。

私は小説を書いて、評価を貰うのが苦手だ。
続きを楽しみにしています。あなたの作品が好きですと言われると、嬉しいと思うよりも、それがとてもプレッシャーになってしまう。
今はよくても、期待に応えられなかったら? と。

評価を貰うことが怖いくせに、書くことをやめることが出来ない。
本当は、嬉しいはずなのだ。
心の奥深くで泣いて喜んでいる私がいる筈なのに、それをずっといないものとして扱ってきた。

「私」は書くことが好きで、自分の中にある世界を褒めてもらいたい。
自分の事は嫌いだけど、自分の書く話くらいは好きになりたい。

その為に私は「私」と向き合ってみようと思う。
これから自己肯定感の低い私と『○○』として、少しずつ書いていってみよう。

正直、今こうやって書いているのだって、衝動に身を任せて消してしまいたい気持ちもある。
その反面、誰かに見てもらって、ほんの少し、毛の先ほどでもいいから共感して欲しいと思っている。

最終的にどうなるのか、まだ分からない。

ただ、このシリーズを書き終わる頃に、私が「私」のことを「嫌いじゃない」と思えるくらいになったら、いいな。

そう思えるように、なれるといいな。


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