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「役に立たない」を楽しむ勇気

役に立・つ
その役目を果たすのに適している。その役割を十分に行う能力がある。役立つ。
(三省堂 大辞林 第三版より 一部を引用)
やく【役】
① 全体の中で、割り当てられ受け持つ仕事。果たしている任務。役目。
② 責任のある重要な職務・地位。
③ もっぱらその事にあたること。
④ 演劇で俳優の演ずる受け持ち。
(三省堂 大辞林 第三版より 一部を引用)

誰かの役に立つ人でいたい。
何かの役に立つ記事が書きたい。
せめて、人生の役に立つ時間を過ごしたい。

そんな「役に立つ症候群」を患っている方、いらっしゃいませんかね?
そう、わたしのことですけど。

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わたしは人との関わりで不安を感じることが多く、どうしても「そこにいてもいい理由」を欲しがるタイプでした。
簡単に言えば、わたしは役に立つからそこにいてもいい、という理屈。
いいことを言えたり、存在感があったり、ちょっと気が利いていたり。

それと同じく、「意味のある時間」を求めるタイプでもあります。
何かに繋がっているという実感、成長につながると信じる気持ち。
何かしら役に立つことをしていないと、置いて行かれそうな、遅れてしまいそうな、自分が潰れてしまいそうな感じ。

結果、「役に立つ」という言葉に押しつぶされそうになるわけです。
役に立つことは良し、役に立たないことは悪し。
わたしの身の振り方や時間の使い方はこれが基本になってしまっていて。
何者でもないただの人でしかない自分にとって、少しでも役に立つことが唯一の「特別感」を生む方法であるような気がしていました。

そんな中、尊敬する人生の先輩からいただいた言葉が心に残っています。

役とは引き受けるもの。本当の自分じゃなくて、与えられるもの。
だから、自分が何かをしなきゃと思わなくていい。

「役に立とう!」と頑張っても、それが誰かから与えられるポイントに合致しなかったら意味がないわけです。同じように、「役に立とう!」と頑張っていなくたって、必要な時、必要な人の役には立っている。

自分自身が自然であれば、必要なときに必要なことが出てくる。そのためのコンディションを整えていれば問題はないわけです。きっとね。
これだけたくさんの人がいて、場面があって、タイミングがあるのですから、どこかでその機会はやってくるはずですよ。

役に立たない自分。今はそれでよし。

役に立たない自分を認めて、その状況を楽しむには、勇気が必要です。
すぐに役に立つことは、すぐ役に立たなくなるぞ、と割り切る勇気。
自分の本来持っているもの、大切にしていることを認める勇気。

わたしは最近、身の回りの環境が変わって新しい関係性の中に入ったのですが、全部を楽しめているかはともかく、以前よりは役に立つことを気にしなくなったかなーと感じています。もちろん、コンディションによっては完全な元通りになってしまうこともありますので行ったり来たりですが。

さて、「役に立ちたい」意識はなんとなくなんとかなりそうな気配が見えてきました。
しかしもう一個の「役に立つ時間の過ごし方をしたい」がまだどうにも自分をチクチク攻撃しているように思います。

もう少し、あと少し。勇気を持って楽しもう、わたし。



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