C-C-Bコンサート・中野サンプラザ(1988)に行った時の日記
今日は米川くんの誕生日ですねーー。
おめでとうございます!
一番最年少だった米川くんも59歳、来年還暦かぁ。
渡辺さんの年齢は超えて、
笠くんの年齢もそのうち超えるんだろうな・・。
米川くんはずっと存在していて欲しいなぁ。
さてさてコンサートに行った日の日記シリーズです。
ちなみにこれまでのコンサートに行った日の
日記シリーズはこちら↓
では早速1988年中野サンプラザの日記に行ってみましょう!
二日間行っているので、二日分続けてご紹介します。
高校生の頃書いたものをほぼ原文のまま載せるので、
雑な文章ですがご容赦下さいませ。(^ ^;)
ひらがなが多くてまた頭悪そうで恥ずかしいですが・・。(-_-;)
お正月だからか着物着て行ってるんですねーー!
気合い入ってるし元気だなぁ。
しかし全然覚えていないよ。(苦笑)
では二日目どうぞ。
私はいつまでC-C-Bにハマっていたんだろうか?と
考えた事がありましたが、
日記を見てみるとどうもこの中野サンプラザのライブが
区切りだったみたいですね。
一日目の日記の中でも自分の中で
ノリがいまいちだったと感じているようですし。
これまでの日記の中では度々C-C-Bの事を書いているのですが、
これ以降は書いてあっても1〜2行。
この年の3月くらいの日記で
「CCBのラジオ4/9に完璧に終わっちゃうの。 えーん。」
と書いているのに、4月9日の日記ではその事は何も書いておらず、
「あぁ、この頃は完全に熱が冷めてしまっていたのだな」とわかりました。
1985年のC-C-Bブレイク時、
ファンのターゲットとしていたのは15歳だったようですが、
その対象の子たちも1988年の春には高校生3年生になっています。
まさにどストライク世代だった私も、
多分にもれず高3ともなると、
進路の事とか人間関係(恋愛含む)とかそっちの方に
意識が向いて行ったんですよね。
余談ですが、
87年の中野サンプラザと87年のEASTに一緒に行った
関口さん推しのMさんというお友達は、
この頃は光GENJIに気持ちが移っていました。
これも定番の流れのようですね。
私はその後はもうC-C-Bを見る事はなくなり、
風の便りで解散を知り、
そのまま彼らの事は記憶の底に沈んで行きました。
そうやって私のC-C-Bライフは終焉を迎えましたが、
今思うと5回もライブに行けていたのは凄いなと思うし、
ここまで何度もライブに足を運んだアーティストは、
C-C-Bだけですね。
(山下達郎さんも3回くらい行ってますが)
記憶が薄れて完全に忘れてしまってた所も多々ありますが、
こうやって過去の日記を見て少しだけだけど、
当時の事を追体験できました。
ほんと、中高生の頃は自分の人生の中でも暗黒時代でしたが、
日記でC-C-Bの事を書いている日は明るく、
自分の学生生活に光をくれた存在だったんだなと、
改めてわかりました。
いつも心にC-C-B!!
楽しい思い出をありがとう!
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