音楽遍歴について(大学)
また見に来ていただいて、ありがとうございます。🙇🙇🙇
○大学時代○
大阪に進出しました。
大学には軽音サークルや軽音部がいくつかあったのですが、実は入ろうと思っていたサークルは決まってたんですよね。
というのも、Queen先輩(その①参照)がそのサークルに入ってたんですよね。
田舎から出てきて頼れる人は先輩しかいねぇ!というわけで、そのサークルにはいることにしました。
大学に入ってまず最初に組んだ(組まされた)のは「東京事変」のコピバンだったんですよ。これがトラウマ級にしんどいバンドだったので、東京事変って字を見るとピックが持てなくなりました。(大げさ)
その後、新入生ライブに向けて学部の同期でバンドを組むんですが、パートは「ドラム」なんですね。なんでドラムにしたのかは忘れましたが、とにかくドラマーとしてサークルでは認知されていたと思います。最初は。
どんなバンドメンバーか、というと、ボーカルはブルータルデスメタルが好き、ギターは残響系が好き、ベースはオルタナ系のオリジナルバンドを組んでいるドラマー、ほんでメタルギタリストのドラマーでした。
情報量が多い。
主に演奏してたのは、リンキンパーク、ニルヴァーナ、フーファイターズ、マリリンマンソン、エルレでした。ちなみにオリジナル曲も2曲あるんです。残響系ギタリストが書いてますが、わりとロックテイストですよ。なので、人生初レコーディングはギターじゃなくてドラムなんですよ。
こんな軸がブレブレのバンドでしたが、サークルの野外ライブオーディションも通って、雨の中リンキンパークを演奏しました。このバンドは結局大学4年間解散することなく、実質固定バンドでした。今もう一度組みたいバンド第一位です。
ほんでちゃんとギターでもバンドを組み、念願の陰陽座コピバンを組ませてもらったり、スラッシュメタルのコピバンをやったりしながら、順調に学年が上がっていきます。
そんな大学時代の大きな出来事は「留年王」にかかわったことかな、と思います。
うちの大学には、11月の学祭で野外ステージでアニソンを演奏するコスプレアニソンバンド「留年王」というのがあります。(YouTubeで調べてみてね)
そのバンドの黎明期のギタリストに代わって、2代目を襲名(?)しました。それまではほとんどアニソンにかかわってこなかったので、ちゃんと腰を据えて、演奏者としてアニソンを聞く経験はこれが初めてでした。
アニソンがいいなーと思うのは、アニソンっていうくくりの中に、いろんなジャンルの曲がはいってるんですよね。どう聞いてもメタル、どうきいてもポップ、どうきいてもユーロビート、みたいな。アニソンの名のもとに、いろんなジャンルが好きな人が集まって一緒に演奏できるんやなってことが分かって、そこからアニソンやボカロへの、ある種の抵抗感がなくなりました。そうやって、今のアニミティーにもつながるんだなーと、今振り返ってそう思います。
あと、人生初コスプレでした。園崎魅音のつもりでしたが、あれはもうなんだったんだろう。肩幅と顔が男ですね。今見てもシンプルに恥ずかしい。
コスプレガチ勢の方々に申し訳ないクオリティ...
2年間「留年王」に出演しましたが、唯一の自慢は「ポリシックスより集客したバンド」です。その年に弾いた「突撃ラブハート」のアウトロソロは一番よく弾けたなぁ。
「留年王」自体は今年度で終わるのですが、そもそも僕が卒業してからも続いたことが奇跡です。引き継いでくれた後輩もみんな指折りのプレイヤー達で、気がつけば赤本(大学入試の過去問題集)にも載るという偉業を達成しました。
あと僕が卒業する時に、当時サークルに在籍しているオリジナル曲を持つバンドのオリジナル曲を、1枚のアルバムにしました。マスタリングからアートワークまで全部サークル員で連携して完成させて、アルバムのレコ発ライブもしました。収録したバンド全部出てもらって、規模の大きいイベントになりました。
この企画が続けばいいなぁっておもって、「コンピアルバムVol.1」って名前にしたんですよ。翌年も後輩が引き継いでやってくれました。クオリティがすごく上がってて、あの頃のサークルの勢いの最大瞬間風速出てたと思います。
そんなわけで、音楽の縦も横も広がった大学生活でした。社会人編は現在進行形なので、なにか一区切りついたら書きましょうかね。
ここまで読んでくれてありがとうございました。🙇🙇🙇
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