太極拳と老子と瞑想で功夫に質に変化を呼び起こす

 太極拳は本当に不思議な武術だと思います。そしてその形は水の様に変化する力を風の様に使う。これほど「心の力」が大切な武術はありません。面白いですね、怒りで拳を使うのと、慈悲で拳を制するのでは根本的なものが違うのですね。

老子と太極拳のつながり

 老子の一文より、「ものごとは、変化し、生まれては滅ぶ。」そのあやうさをおそれる必要はない=力は変化し、発生しては消えるその変化を恐れることなく使うこと。太極拳の技は柔拳の為相手を恐れた瞬間無意識に身体が緊張し技が死んでしまうのです。
 また、老子一文より、「固くこわばったものは死の仲間、柔弱なものは生の仲間。」武器が強力であると、勝つことができず、木はこわばっていると命を失う。この木は人間の「気」にもつながるのではないでしょうか。
 そのほか老子には様々に生きるヒントになる言葉、智慧がのっています。私は安富歩さんの老子の教え~あるがままに生きる~を読ませていただき参考とさせていただきました。相手と対峙する際、倒すことばかりを考える、執着をするのではなく他の選択肢を選べるようになりたいですね。

瞑想

 瞑想には今現在の感覚に集中するヴィパッサナー瞑想というものがあります。禅では動禅、気功では動功と呼ばれます。歩きながら歩く感覚に意識して集中する。運転の際アクセル、ハンドル、路面の振動を感じるのに意識して集中する。気が付くと私が日常生活で行っていた体術研究がこれに入っていました。ポイントは全ての動作を意識し柔らかく丁寧に行うというものです。以降これを日常瞑想と名付けますね。
 この日常生活瞑想にはポイントカードがあって、静かに行っている時も瞑想ポイントが入りますが、実はイラっとした時に今現在に集中でき戻れるかという時は瞑想ポイントが100倍になります。例:①車が強引に割り込みで入ってきた→②ムカ→③うんこもれそうなんだろう神のご加護がありますように→④安全に自分の運転に集中しよう。これをやっていると気持ち悪いほど怒ることがなくなってきます。こんなことで怒る必要はないな、怒るくらいなら淡々、粛々と問題解決に移ればいいな、なんて思えてくるのです。

日常瞑想と力の使い方

 実はこの日常瞑想をやっていると、心も落ち着いてきますが、力の使い方がうまくなります。太極拳の動きを日常生活に取り入れるのです。教室でならっているだけでは本当にもったいない。それを実践で活かすのです。そしてそれが分かった瞬間に全ての動きがチャンスに変わるのです。これは本当に面白いですよぉ。「ごみ出し行ってきて」と言われても、「チャンス!!」と感覚を意識してごみ捨て場へ行き、野馬分鬃でごみ箱へ気品あふれるごみ出しを行う。「棚のコップとってくんない!」なんてもう琵琶勢で緩やかに取って八卦掌の動きでテーブルに置いてやりますよ。そんなことをしているとある時、あいまいだった力の線のようなものが一本になってそれが分かるようになります(私の体験です)。そうすると、突然運転がうまくなり、料理で野菜を切るのがうまくなり、カクテルを作るのがうまくなり、入浴後身体を拭くのがうまくなり(ついでに顔のしわができにくくなり)、ゆっくり動いているようで人の3倍速く動けるようになります。そしてこれが太極拳との力の使い方へつながるわけです。これが私がたまによっちゃんイカを食べて口すっぱくして言っている柔の力というものになるわけです。

まとめ 

 楽しく動き、力の発見をしてまいりましょう。


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