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自分にとって写真機とはいったい何なのか?(その3)ミノルタSR-1についての記述を読み返しながら、エプソンR-D1が自分にとっての写真機となっていった過程を振り返る・・・NEW8/22(日)

振り返ってみると、まずは、ミノルタSR-1との再会が最大の分岐点だと言える。

父の魂が宿るセット

<再会した時のそのままのセット。>

ミノルタSR-1(1140773)への思い入れは・・・

自分にとって写真機とはいったい何なのか?(その2)


この時点で、フィルムカメラにおける自分にとっての写真機は「ミノルタSR-1である」ということが自明となったわけだ。

それ以前は、一台に絞ろうにも絞りきれない状況であった。

周囲の状況でいうと、ニコンFやニコンSなどでの21ミリノーファインダー撮影は、チョートクさんの真似をしてみたいという気持ちからであった。残念ながら、ニコンF以外は持ち合わせていなかった。レンズは、タムロン17ミリをそ21ミリに代わる存在として位置付けようとしていた。このことと前後して石元泰博さんのことを知ることになったのもチョートクさんの著作のおかげである。それによって、ミラーアップしたニコンFやニコンSなど(らいか的)にこだわることなく、自分にとっての写真機としてミラーアップしたミノルタSR-1(らいか的)を位置づけて、ロッコール21ミリや35ミリで、形而上学的思索探究と写真について追究していこうという目的意識が明確となっていったわけである。

ミノルタSR-1にタムロン17mm&ミラーアップ&ノーファインダー。レンジファインダー感覚で。。。

もう一つの流れとして。お気に入り候補は予備のため複数台所有しようとする傾向は、アナログ、デジタルを問わず、もともとあったのたが。。。

フィルムカメラでは、SR-1及びいろんならいか(らいか的なカメラで使う、カメラをらいか的に使う)で使う環境が普通に整うようになった。
それに呼応するようにデジタルカメラもすでにわんさか揃っていた。そして、いろいろと試す中で、カシオやソニー、リコーなどをはじめとする初期のデジカメのほかに、ミノルタα−7DIGITAL、ソニーα100、ニコンD40やD100、ペンタックスistDやK10D、キャノンEOS20Dや5D、オリンパスE-P1やE-PL1、パナソニックG3やG8など、リコーGXR、エプソンR-D1、富士フィルムXシリーズ、などを持ち出した。

https://www.facebook.com/groups/802231597255388/permalink/980699219408624/


また、有り合わせで持ち出す中で、レンズも変数としての取っ替え引っ替えの使い方を止めて定数化できた。

さらば、レンズありきのフルサイズ信仰。ようこそ、各フォーマットボディでのレンズ七変化。これぞアダプトールのデジタル拡張時代という見方・考え方だな。

ロッコール中心にアダプトオール・コムラーやコシナレンダー、他のお気に入りレンズなども見つけ出し、アウトフィット候補として選別することができた。。。

この方向性で取り組む中で、ミラーアップしたミノルタSR-1をらいか的に形而上学的視神経をトレーニングしながら使うことになっていく。

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<父の魂のミノルタSR-1は、最初期型でミラーアップ機能はない。シャッター幕が故障しているので、バルブでレリーズを押したままで、21ミリ装着。フィルムを入れての撮影はできない。そのため、お飾り、着せ替え遊び、素振りに限られるが、視神経のトレーニングには十分‼️>

素振りなどをとおして、ミラーアップしたミノルタSR-1であろうとなかろうと、ロッコール21ミリがつく、あるいは、ライカマウント(変換した)レンズを使えるプラットフォームとしての「らいか的デジタルカメラ」であれば、視神経を研ぎすますためにこの1台に絞り込んで使う価値として等価であると、自分自身が思い込むことで、次第に納得して有り合わせの中から選ぶことを受け容れることができるようになっていった。この意味で、自分にとってのめざす写真機環境の基本が「らいか的デジタルカメラ」に定まったといえる。

https://www.facebook.com/groups/802231597255388/permalink/981289509349595/

これでようやく、第三信号系の写真を、撮影をとおして追究していこうとする写真機選びの方向づけができたのだ。

このような環境で、視神経を研ぎますために、デジタルカメラの台数をいかに絞り込むか、ということを課題として取り組んできたということなのだ。
特に、ロッコールレンズを使うという場面では、いかに、らいか的に使う時の無意識のオートマチック反応による撮影スタイルとフィットするのかについてを重点的に試そうとしてきた。
この場合は、ファインダーの見やすさとか、フルサイズとか、APS-Cとか、マイクロフォーサーズとかのフォーマットは次第にアウトオブフォーカスとなっていった。その上、撮って出し。

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外付けのファインダーが不要だからこそ付けることができた、がらくたやさんgarakutayaネーム入りオリジナル木製アクセサリーシューカバー❗️

この習慣化したスタイルの価値観はチョートクさんの影響の日々の積み重ねによるところがきわめて大きいと断言できる。ありがたいことである。大感謝である。いつもありがとうございます。

この取り組みと同時進行で並行して考えてきたことがある。
「有り合わせで充分」ということの検証だ。

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検証しながら、視神経を研ぎすますことに資する自分にとっての写真機と出合うために、この一台というものをいかに絞り込むかということを課題にしつつ、日々の暮らしの脳内キャプチャに加えて、写真の撮影記録も組み込んできたということになる。

「あるよ!」と言えるカメラやレンズが登場するたびに、きっかけをいただき、自分でも撮影に持ち出した。
それを繰り返しながら、経験としても「有り合わせ」で撮って、使い勝手や聯関との的中率、フィット感覚にはちがいはあるものの、カメラやレンズのちがいによって「自分自身の写真自体が大きく変わることはない」というごく当たり前のことが、自分にとって自明のこととなっていく日々を送りながら確かめることができた。
このことについて、顔本グループ「オールドデジタルカメラを使う市民の会」のメンバーのみなさんに感謝である。いつも持ち出すきっかけや聯関などをいただき、ありがとうございます。

このようにして、より視神経を研ぎますためのカメラの絞り込みに専心することになっていく。

そして、ミラーアップしたミノルタSR-1に見立てることができる、らいか的なデジタルカメラとして、エプソンR-D1と改めて出合うことができたのだ。
先日、エプソンR-D1に21ミリロッコールをつけてノーファインダーで実際に撮影してきた。

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一連の撮影を振り返った時に、形而上学的視神経が無意識に働いた感を、撮影の前後を含めて得ることができたような不思議な感覚でセレクトができたのだ。

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この体験から、有り合わせの中から、ようやく、この一台だな!という感触に行き着いたという受け止めが無意識と意識との対話から実現できたものと考える。

結論。
以上のことから、自分にとっての写真機(らいか的デジタルカメラ)「この一台!」は、エプソンR-D1である。

ようやく行き着いたのだ。振り返りながら、このことが帰納的に語れるところに大きな意義があるととらえたい。202108221917記録終了。2236推敲完了。2335投稿。

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