必要な感情ってあるじゃんね

こんばんは、フジミです

眠れないので日記を書いている。

夜は嫌いだ。ひとりぼっちになるから。
元々は孤独に強い方だったんだが、何かのきっかけで寂しがりになってたっぽい。(もちろん会う人はその時の状況によって選ぶけど)

まあ、そんなことは置いといてアーティストに必要な感性はなんだろなと考えてみた話。
例えば繊細さだ。
僕は創作をするのに必要な感性だと思っている。思考のディテール、感情のディテールを観察するにあたり、繊細な感性でなければそれを見極めることはできないと考えているから。

なぜか世間ではそれをメンヘラとか気にしぃとか呼んだりするのが、僕は正直不愉快だったりする。

別になりたくてなったわけじゃないしな。

ただそういう個性というだけだし。

僕は落ち着かなくなると文字に起こす癖がある。これだってそう。
ずっと頭の中を思考や文字がぐるぐるしている状態のため、どこかで書き起こして頭の中を整理する必要がある。
そうしないと自分の思考回路に潰されるような気がしてしまうから。

映画や漫画を見ていて世間的にいうハッピーエンドで終わる作品が苦手だったりする。
理由としては違和感と圧倒的共感のできなさ。

おそらく自分自身の自己肯定感の低さや劣等感に由来するものか、ご都合主義的な展開に見えてしまってイマイチ理解できない。

バッドエンドものが好きだ。
あの切なさや、現実味、救いようのなさ、胸を抉る感じ。
どれも自分が体験してきた"ソレ"にそっくりだからだ。
ひょっとしたら"不幸中毒"なのかもしれない。
でもそれはそれでいいじゃないか。
俺の大切な個性なんだもの。
むしろそんな自分が好きだぜ。
認めてやろうぜのスタンス。

僕が歌詞において人間の負の部分を重要視するきっかけとなったのが高校生の時に聴いたSyrup16gというバンドだった。

それまで音楽ってカッコいいものが正義!と思って聴いていたし、かっこいい!で終わるものだと思っていた。

初めて歌詞に感情やその時の想いが乗っている音楽に触れたのだ。

音楽は人々に勇気や感動を与えるものである。
それが全て背中を叩いてくれるものだと思っていたが、別のアプローチもあるのか。とそんなことに気づかせてくれたSyrup。

しんどい時は彼らの『生活』という曲を思い出す。

「涙流してりゃ悲しいか。心なんて一生不安さ。」

そうだ。俺はこっちで勝負しよう。
みんながみんなポジティブに生きていたら何かロボットみたいで気持ち悪いぞ。
そう思った17歳の夏。

アーティストに必要なのは繊細さだけじゃない。承認欲求もだ。

世間的には厄介とされる。
ぶっちゃけ強すぎると人間関係も破綻したり、自身が苦しかったりといろいろ厄介な承認欲求。
だがこれが創作活動をする上でエネルギーやモチベーションに繋がったり、野心になったりするわけだ。

他者に承認を求めるってえらい苦しいんだけどね。ただ、人に向けてアウトプットを行う以上は承認が返ってくる可能性は大いにあると僕は考える。なのでちょっとは必要なこの感情。いや、これはアーティスト誰もが持っていて持っているからアーティストたらしめる欲求なのかもしれない。 

よく僕は自信を持てと言われますが、一度削がれたものを取り戻すのは至難の業である。
改善できないこともないが。
相当な努力がいるし、苦しみも伴う。
しかもなんで酷く痛めつけられた側がまた頑張らなきゃいけないんだと思ってしまう。

もう一つ、自信を持てたとしても持つのが怖い。
今までの自分を否定することになるんじゃないか?
書くべき歌詞が書けなくなるんじゃないか?
或いは俺も人を痛めつける"あちら側"になってしまうんじゃないか?

そんなことばかり考えてしまう。

最近はもう割り切って俺は俺のままやっていこうと思っている。
20代の頃の周りとの比較地獄もひと段落してきた。
自分の黒い気持ちに気づいてあげた上で俺は敢えて暗いことをやる。優しいことを書く。
それでいいじゃないか。

今日はそんな感じです。

最近シリアス続きなのでネタっぽいのも書きたいなぁ。
まぁ、メンタルが復活したらやりますよ。

またねー。

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