元不登校が都道府県庁1類に現役合格する話 〜小学校低学年編〜

岸波です。こんにちは。
最初の投稿から随分と時間が経ってしまいました。本来なら初回と当記事の投稿は同じタイミングにしたかったのですが。。。現実は厳しいものですね。

今回は小学校1〜3年生の頃の話です。

とにかく親には「お金がない」「我が家は貧乏だ」と言われて育ちました。

それでも生活に特に不満はなく、"貧乏"という単語は悪いものではないと捉えてました。
今考えるとアホですね。

小学1年生の頃に「授業参観に向けて、将来の夢を書いて教室に掲示しましょう」という"小学校の授業といえば"と世間に問えば、ベスト3くらいに入りそうな、ありきたりな授業がありました。

周りが"おまわりさん"や"お花屋さん"、"ケーキ屋さん"などと書く中、私は"貧乏になりたい"とでっかく書きました。親の言うことというのは想像以上に子供の頭の中に刻まれるものですね。思い出すと恥ずかしすぎて悶絶します。もちろん今も。

ありきたりな授業で謎に注目される私ですが、その他は良くもなく悪くもなく普通だったと思います。あんまり覚えてませんが。

私の小学1年生時代はゆとり教育が最後の年でした。しかし担任は歯向かうとすぐ廊下に立たせる先生であり、全くゆとりってませんでした。昭和に比べればゆとりってるんでしょうけど。歯向かうとすぐ廊下に立たせる先生でした。今ではほとんどありえないですよね。

学校では不思議キャラが確立されていく中、家庭でも違和感を覚えていきます。
私の母は同じものが増えていくことが嫌なようでした。「電車が好き」ではなく「○○線が好き」だった私は、大好きなプラレールで、全く同じものを欲しがりました。車種が増えることに大して価値は感じておらず、実際の路線のようにすれ違いをしたり、速達種別の待ち合わせをしたり、そういった世界が好きだったからです。
しかしそれは親によりことごとく否定されることになるのです。
(でもこれがゲームのソフトだったとしたならば、同じソフトがいくつもあっても、プレイできる内容は変わりませんから、振り返ると母が言いたかったこともなんとなく理解できます。)
とにかく1つのものは1つしか買ってくれませんでした。

母はこの頃から思い通りにならないと私を怒鳴るようになりました。毎日、多い時には1日何十回もです。いや疲れるんだろうに。体力が無限にあるんかて。子滅の刃 無限体力編。

結果として私は自分の意見に自信を持たなくなりました。自分の意見を言わないように、他人を怒らせないように、他人の顔色をうかがうようになりました。
これは未だに治ってません。

要するに私は親と教師の影響をモロに受ける、普通の子だったということです。

考えが根暗になり、自分の意見に自信を持たず、他人の顔色を伺い何も言えない そんな社会不適合者が齢7にして爆誕しました。嫌な精鋭教育。
そんなこんなで激動の小学1年生を過ごします。

小学2年生に上がり、担任が変わると学校生活が少しだけ穏やかになりました。特に書くことはないです。強烈に記憶していることが特にないので、本当になんもなかったんだと思います。知らんけど。強いて言うなら人生で一番短いと感じた1年間でした。なんでやろ。

小学3年生になると、また担任が変わり、加えてクラス替えも行われました。このクラスと担任は小学4年生も同じでした。そしてこのクラスで私はポツポツと学校を休み始めるのです。
と言ってもそれはもう少し先の話。

今回は低学年編ですから、とりあえず締めたいと思います。最後までお読みいただきありがとうございました。

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