見出し画像

アンコンシャスバイアス

『アンコンシャスバイアス』

台所で調理をする音や、
工事現場の音などを聞いて、
その音の向こうにいる人を想像した時に、
男性なのか、女性なのか、という事を、
無意識に勝手に決めてしまう傾向を、
私たちは持っているようです。

台所で調理している人を女性だとか、
工事現場で働く人を男性だとか、
まずはその様に想像してしまうのです。

そのような私たちの無意識の傾向を、
今の時代の中では、偏見として、
差別の温床として、捉えられます。

この無意識の偏見について、
日本人は特に意識が薄く、
国際社会の中で遅れていると言われます。

自分の中の無意識の偏見に気づくことは、
もちろん大切なことです。

しかし、そんな無意識の偏見というのは、
あらゆる物事に関わっていて、
充分になくすためには時間がかかります。

何気なく発した悪意のない一言で、
侮辱されたと誰かが訴えたりするのです。

差別を受ける立場の人の声を、
おざなりにしないという事は大切です。

しかし、認識不足の言動について、
寛大になれないという、
被害を訴える側の問題というのも、
当然あるはずなのです。

あらゆることが、無意識の偏見だとか、
差別だとかハラスメントだとか言われる、
この現代社会の姿は、本当に、
理想とする自由と平等に向かっているのか、
とても疑問です。

むしろ、どこに地雷が埋まっているのか、
分かり切れるほど知識を持てない故に、
人々は息苦しさに苛まれているのです。

差別や偏見をなくすことも大切ですが、
もっと大切なのは、
差別や偏見から抜け出せない人も含めて、
互いに赦し合えるという事です。

聖書が伝えている根本的な考え方として、
神様が罪ある私たちを赦してくださり、
私たちは赦しを受けた者として、
互いに赦し合う事が求められている、
というものがあります。

神のひとり子であるイエス様が、
十字架に架けられ、苦しみ死なれたのは、
神様との間に断絶のあった私たちに、
赦しがもたらされるためだというのです。

神様の赦しが真実なのですから、
無意識の偏見を持つ人の無知を裁くよりも、
無知な人に対しても、赦しの心で、
寛大になれる事の方が大切です。

いつも読んでくださり、
ありがとうございます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?