愛することと関係のないこと
『愛することと関係のないこと』
人前に出ることに、とても、
気後れしてしまうという時があります。
その場にいる人が、もしかしたら、
私について悪く思っているとか、
あるいは、軽く扱われているかもしれない、
という事を感じると、
もうそこには居たくなくなるのです。
実際には、それは私の勝手な思い込みで、
非難も軽蔑も誰も向けていない、
という事が分かっていても、
自分の思い込みを払拭できないでいる、
という事もあります。
他人が自分についてどう感じようが、
それはその人の勝手なのですから、
気にする必要はないはずなのです。
しかし、自分の中に、
認められたいという願望が強ければ、
認められない場合に受ける痛みが強く、
痛みを予め回避したくて、
人前で自分を表現できなくなるのです。
世に言う引きこもりと呼ばれる人たちも、
同じような心理を、
もしかしたら抱えているのかと思います。
人前に出るのを億劫に感じる、
という心と向き合うために、
聖書はどういう形で役に立つのか、
という事を考えました。
そして、新約聖書の中で、
人間が神様に受け入れられるために、
「愛する」という事が最重要なのだと、
イエス・キリストが語っている、
という事に着目したいと思いました。
神を愛し、人を愛する、という事が、
究極的な戒めだというのです。
そして、愛するという事は、
人からどう見られようが、
認められていなかろうが、できるのです。
愛するという意志の発動と、
愛されたい、という欲求は、
全く別物なのです。
そして、聖書にもう一つ書いているのは、
完全な愛は恐れを締め出す、という事です。
認められたい願望が強くて、
認められないことへの恐れを持つのなら、
愛することに徹して、
恐れを締め出せばいいのです。
神様からの命令としての、
神を愛し、人を愛するという事に徹して、
自分自身は疎まれ、嫌われたとしても、
出会う人たちを大切にできればいいのです。
神様はそのようにして、私達に、
臆面なく人の輪の中に入る力を、
与えてくださります。
いつも読んでくださり、
ありがとうございます。
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