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場違い神経症

『場違い神経症』

場違い神経症、という病名を、
自分自身の症状につけていました。

自分がその場に「いてもいい」と思えない、
という心情になってしまう事が、
生きている中で、しばしばありました。

どんな人間集団の中にいても、
自分は受け入れられず、
自分にとっては敷居の高すぎる、
場違いな場所だと思ってしまうのです。

おそらく子供の頃に、学校に馴染めず、
うまく友達関係を作れなかった、
という事が、由来なのだと思います。

自分の置かれている場所や人間関係が、
場違いだと思ってしまう事には、
自分で自分の値打ちを決めてしまっている、
という前提があります。

この人たちの中で、自分は価値がないとか、
むしろ存在することが迷惑だとか、
そんな風に思えば、場違いを感じます。

誰かが否定的な言葉を一言でも発すれば、
そこは場違いな場所だと判定して、
もうそこには居られなくなるのです。

誰が自分をどう思うかという事は、
とても気になりますが、
気にしても仕方のないことです。

自分を悪く評価する人がいても、
それはその人の勝手なのだし、
他人を変えるなんて誰もできないのです。

それが分かっていても、
関わる人達の心の中にある、
自分についての悪評をえぐり出したくて、
仕方がないのです。

そんな、自分の中にある不自由な心は、
神様との関わりの中で、
落ち着かせることができます。

神様は無条件に、ご自身の作品である私を、
価値のある、大切な存在だと、
思ってくださっているのです。

なので、誰が自分のことをどう思おうと、
自分の事を価値ある存在だと、
神様がまず認めてくれているなら、
それで十分なのです。

自分の置かれた立場にふさわしくない、
あるまじき事を自分がしてしまって、
その結果、周囲の人たちが、
何らかの悪いレッテルを自分に貼っている、
と感じることがあるかもしれません。

しかし、神様にとって、
そんなレッテルなんて関係ないのです。

神様が愛してくれていると知っているなら、
場違いが気になったとしても、
引きこもらずに、外に出ることができます。

いつも読んでくださり、
ありがとうございます。

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