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自然農法の考え方

『自然農法の考え方』

自然農法についての話を聞く機会が、
先日与えられました。

肥料や農薬を使わず、
極力自然のありのままに近い環境で、
作物を育てる、という事を、
実践している方がいらっしゃり、
その方が学んできたことを聞く、
という内容の講演会でした。

講演されていた方には、
何人かの教えを頂いた方がいらっしゃり、
その、師匠とか教師と呼べる人達から、
教えられた内容が紹介されていました。

その話を聞いていて、
私が特に印象的だと思ったのは、
農業の主役は自分自身ではなくて、
畑であり、作物である、という話です。

生命活動の場となる畑や、
そこで命を育む作物を主役として扱う事で、
人工的な環境整備に頼らなくても、
作物は育ってくれる、というのです。

しかし、経済活動としての農業を行う中で、
人間は、作物の主体的な生命活動よりも、
商品として利益を生み出せることを追及し、
その結果として、化学肥料や農薬などに、
頼らざるを得なくなっているのです。

経済社会の中で生きている限り、私達は、
生活のために利益を生まなければならず、
それが結果として何か本質的なものを、
歪ませてしまう、という事が起こります。

人間の利益優先的な考え方が、
物事の本質を歪ませる、という構造は、
あらゆる分野で話題にされることで、
日本にも、昔から根付いているものです。

そして、究極的には、神様と人間の関係、
という事について、
この構造は当てはまります。

この世界は神様が創造したのだ、
という事を前提に考えて、
神様を主役として物事を考えれば、
多くの事は、合点が行くのです。

自然の中には、人間の知恵だけでは、
解明できないことがたくさんあるので、
人間を超越した神様の存在を認めた方が、
道理にかなった考え方ができるのです。

自分の人生は自分のためにある以前に、
この世界を創り出した神様のためにある、
と考えられるのなら、
物事の本質を見失いそうになっても、
基本に立ち返ることができるのです。

創造主の存在は、聖書を通して、
具体的に示されています。

神様の存在が、自分にとって具体的なら、
立ち返るべきところが明確なので、
とても心強いです。

いつも読んでくださり、
ありがとうございます。

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