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にゃるらが最近読んだ本 5選2023年 8月

↑先月の。


・小銭を数える

 不健康な暮らしを続けたため、昨年心肺停止で亡くなった芥川賞作家・西村賢太先生による短編小説。
 西村賢太については、エッセイというか、もはや日記をまとめた本『一私小説書きの日乗』しか読んでこなかったため、ちゃんと小説も読んでいこうと気になっていたこちらを手に取った次第です。

 ↑の本もまた独特。一切カッコつける様子がなく、本当に日常がそのまま描写されていまして、なのでドラマティックな展開も少なく、淡々と仕事や打ち合わせ、その後にアルコールや炭水化物に溺れる日々が書かれていく。が、その文体がとても綺麗で読み進めていくたび、文字の中へ溺れる感覚がたまらない。結果、不健康が極まり50代で亡くなってしまったのですが。他人の人生に口出しするつもりもないので、芥川賞作家の日常が読める事実へ感謝するのみ。

 さて、本題である『小銭を数える』。こちらは、ほとんど前情報無しに読んだため、非常に戸惑った。どこからが事実で、どこからが創作なのか判断がつかない。登場人物は二人。同棲している男女で、男の方は作家。女性の方はちょっと我儘な等身大の女性で、呼ばれるときはつねに「女」。金欠と暴力的な衝動に悩む底辺作家と、そんな男についてきた変な女が紡ぐ狭いアパートでの日々は、いや~な現実感に包まれている。
 喧嘩の理由や言い争いの様子も、まったくカップルらしいリアリティがない。妊娠がどう、前の男がどう、子犬を飼いたいことでの口論、それに伴う嫌がらせのような軋轢。なにより過去に女性を殴ってしまったことがある主人公の忍耐、理性を保つ必死さが恐ろしい。この光景は、今日もどこかのアパートで必ずある。結婚したくて、妊娠したくて必死な女と、現実的にも責任感の面からも不安が募って身動きできない男。すれ違いが続くうえに、女が「ぬいぐるみ」を家族のように扱いだし、その様子が積もりに積もって「怒り」に変換されるリアリティ。
 それが、どこまで本人の体験なのか明言されない。私小説として、何割かはもう実際のできごとそのものなのだろう。その境界線の見えなさが怖いし、逆に言えばそのスリリングな体験がぞわっと心震わせる。
 現実での男と女の争いにきっかけや結論が発生している方が稀で、本来はドラマにならない小さな小さな掛け違いの連続なのでしょう。そこへ、主人公……そして西村賢太自身の暴力による前科がエッセンスとなり、他とない読み応えになっている。


・生活の印象

 SF作家『樋口恭介』氏によるエッセイ。
 元は、氏がどうしてもSNSで喧嘩してしまう体質であり、何度か本人の発言によって議論が発生していたため、大っぴらにならない場所でテキストを書き溜めていたモノである。

 上の記事でも詳しく感想を書いています。
 SNSでの喧騒を離れ、家族や生活の些細なできごとを綴っていく氏の努力が、文章の節々から伝わってくる。きっと、途中で何度もくじけてSNSを開きそうになったことでしょう。そのたび、わざわざネット上で議論することの不毛さを思い出し、それでも何かを書きたい作家らしい欲求を満たすため、ひっそりとローカルな場所へ書き連ねたのだ。
 あまりにTwitterがジャンクにインスタントに投稿できてしまうので忘れがちですが、本来自分の意見や生活なんて、これくらい大切にしまい、読む人だけが読むべきだ。この形が正しいと読み進めるたび納得がある。自分が日記や記事の形でこうして投稿するようになったのも、やはり読む人だけが読むくらいの心持ちでいないといけないと直感したからです。

・プロジェクト・シン・エヴァンゲリオン 実績・省察・評価・総括

 『シン・エヴァンゲリオン』の企画について、予算から進行まで赤裸々に掲載されている。製作陣による評価や総括まで合わせ、とても珍しい内容です。これもエヴァンゲリオンというIPの大きさ、そしてなによりシンで完結できた偉業の賜物。

 映画には驚くほどの人数が関わっていることから、なにより全スタッフの意志を統一することが何より大切であることが切実に書かれている。そういった点で、皆が「庵野秀明」総監督を信頼し、庵野秀明のやりたいこと・表現したいことを最優先すると決め込み、そのうえで庵野さん自体も監督して、代表として、なにより時代を築き上げてしまったカリスマとして、責務を全うする。こりゃもう歴史だ。
 外部評価の項目を、鈴木敏夫が締めるところも良い。やはり、昭和~平成のアニメ史を総括するのは、アニメージュとともに時代を生きた鈴木敏夫の特権でしょうから。

・〈気づき〉の奇跡: 暮らしのなかの瞑想入門 単行本(ソフトカバー)

 仏教自体の本ばかり読んでいても、そこで描写される「瞑想」や「マインドフルネス」を解体して理解しないと意味がないと気づき始めたので、まずは瞑想を書籍の形にしたオリジンに近い方から入ってみようと、名著『気づきの奇跡』にようやく挑戦……。

 読んだ中での自分の解釈はこちらに書いております。
 総じて、忙しい現代だからこそ「瞑想」というのんびりした時間を過ごそう! となってしまうのですが、それだとありきたりすぎてピンとこないでしょう。雑にまとめすぎて実態とも少し違うし。
 なので、現代的な自分の解釈ですが、ここまでタイムパフォーマンスが優先される時代において、あえて逆らう。なにもない時間を過ごすということそ、消費社会から逃れた真の贅沢ではないか。もちろん時間を有効に活用すればするほど、今後の人生の役に立つ。が、時間に追われてばかりでは、いつまでも「消費」です。余裕があって贅沢ができてこそ人生。人間が動物と違う点。
 そういう考え方として「瞑想」を取り入れてみるのもアリっちゃアリではないか。まあ、なんにせよ焦りすぎたって仕方がない。どうせ人間が一日できることなんて限られているのだし。未来や過去を見すぎるより、生きている「今」を見つめることは、たしかに意味がある。 

・検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?


 また独特な視点から書かれるナチスについての本。あまりに「悪」として叩かれすぎると逆張りで生まれる「この人は良いこともした」論を検証するという、これまた面白い着眼点の一冊。元はSNSでの議論だったそうですが、ネット上で議論しても無意味であるので、こうして本の形になった。先月紹介した『「逆張り」の研究』に近い流れですね。
 流行っているモノは絶対に誰かに叩かれ、逆に攻撃されているものはだんだんと誰かが逆張りのために持ち上げ始める。本書でも冒頭で書かれておりますが、人間が人間であるかぎり、誰も冷静に、客観的に歴史を語ることはできない。
 例えば、ヒトラーの功績として紹介されやすい、ドイツ全土を走る高速道路『アウトバーン』の存在。どこまでも真っ直ぐに広がる道路のカッコよさはたしかに憧れる。僕はクラフトワークのファンなので、曲としてもアウトバーンは好きですし、何よりクラフトワークもその高速道路が一本、自国の土地にビシッと敷かれているカッコよさに惹かれたのでしょう。無機質でどこまでも巨大な存在、テクノだぜ。
 が、本書ではヒトラーが造っていた時代のアウトバーンはだいぶおざなりであることを指摘し、アウトバーンのおかげで生まれた10万人の雇用に対しても、その問題点が並べられている。決して手放しで褒められたものではない。
 けれども、見方によってはそれでもヒトラーがとっかかりを作らなければ、アウトバーンは生まれなかった。ここで各々の主観によって感覚が変わっていく。もちろん、僕だってアウトバーンの建設への取り組みがあったからといって、それを「良いこと」だと主張するつもりもありません。
 本書でも、このように「良いこと」とされる例について、その実態を詳細に書いていきますが、その全てが「悪」であるとは断言していない。本ではあまり書かれていませんが、ヒトラーが軍服やマークのデザイン、統一感に拘ったことで、いまでも悪の組織の代名詞のように描かれるある種のカッコよさを演出したことは、善悪を抜きにすれば評価されることもできるでしょう。特撮なんてナチスモチーフ出しまくりだし。
 なんにせよ、こういった「事実」が書かれる本の存在自体は面白いですよね。感情を中心に口論が発生するSNS上ではなかなかできないことですから。こうして書き手側の主張が一箇所にまとまっており、いちいち途中で誰かが揚げ足取りをしないだけでも、現代において「書籍」の価値はある。


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