見出し画像

にゃるらが最近読んだ本 5選2023年 10月

↑先月の。


・自殺されちゃった僕

 「絶対に文庫版で読んでほしい」とオススメされた本。解説文のある無しで印象がとても変わりますので、みなさんも文庫版で購入するといいでしょう。

 さて、本書はタイトル通り、周囲に「自殺されちゃった」人間による実録本です。『幻冬舎アウトロー文庫』ってまたすごいな。
 著者の吉永嘉明氏が何者かと言うと、上記の写真にある『危ない1号』の編集ですね。何度か僕も触れているので詳しくはググってもらいたいですが、とにかく現代ではまず出せない内容のアングラ本です。薬物セックスなんでもありの鬼畜本。
 そんな吉永氏は、宝島や危ない1号を通じて、「自殺された」青山正明氏、ねこぢる氏ら、そして奥さんと出会います。ちなみに、僕はねこぢる先生のインド旅行記が好きですが、旦那である山野一先生の漫画の大ファンです。
 で、まあ90年代アングラ文化の真っ只中に居た彼ら彼女らは全員が無理をしていた。アングラサブカルなんて表に出すぎてはいけない文化が一気に注目された結果、元から変人だったみんなが余計に重圧へ耐えきれなくなったのですね。
 ねこぢる先生の自殺についてはもはや語るまでもないでしょう。ポップな絵柄で蛭子能収作品のような荒唐無稽なエロやグロ、まさしく「ガロ」を突き進んだ彼女は、急に大人気作家になったことで仕事を抱えすぎ、元からあった厭世感を拗らせたのか(実際にどんな精神状況だったかなんて本人にしかわからない。これも著者側の解釈である)、自殺してしまった。
 そして、ねこぢる先生との交流も深かった著者の奥さんもこの世を去る。二人共に「死は怖くない」と語るタイプであったといい、人間関係を極限まで絞るに絞っていた。その際、著者の精神状態だってだいぶおかしくなっていたのだが、同じく奥さんに先立たれた山野一先生の優しさにより、徐々に回復していく。
 が、先に名前を挙げた『危ない1号』編集長・青山正明氏もまたこの世を去ってしまった。氏は、表向き「本で書いているようなことはあくまで”そういう本”として理解してほしい」と影響された過激な読者に辟易していたのですが、実態としては本人もまた書籍の内容通りのアングラ文化から抜け出せずヤク中そのものとなっていた。こちらも自殺の明確な理由なんて本人にしかわからないものの、薬物の苦しみとアングラ文化での精神的影響は間違いなくあったと思われる。特に薬物といっても氏はもう覚醒剤まで手を出している。借金苦も抱えており、なんというか絵に書いたような「鬼畜モノ」の最後となっている。
 といった内容が赤裸々に書かれていくのが本編ですが、文庫版の解説文がまた恐ろしいのだ。文庫版では、精神医学者によるコメントが寄せられているが、徹底して著者へ辛辣。そもそも『危ない1号』自体を汚物のように嫌っていた先生は、斜に構えて社会に反抗するアングラ気取りの連中たちの心構えを痛烈に批判し、そのうえで「自殺されちゃった」というマインドの著者へも怒りを顕にする。
 冷静に考えるとそうだ。全く持って返す言葉もない。普通なら周囲の人間がここまで立て続けに自殺するわけもなく、その中心に居た著者にも原因は確実にある。もちろん、著者はこの本を書き上げることで心の整理をする必要があったと読んで感じましたし、そのような精神不安定な人間たちを引き寄せて安心させられる何かを持った人物であったことも間違いない。が、真っ当に生きている人間の目線からすれば、彼らの幼稚とも言えるサブカル厭世感はつねに神経を逆撫でし、それは誰かが怒らねばならない。その役目を文庫版解説文で医者が引き受けている。
 解説文の有無でここまで読み味が変わる本は初めてでした。

・闇の精神史

 木澤さんの本はつねに刺激的だ。僕がバカなので、すっごいざっくりな理解になるのですが、よくまあ毎回毎回、海外の妙な文化・思想を拾ってまとめられるものだと感嘆の息が漏れる。
 たとえば、いまSNSの運営をめぐってつねに話題の中心であるイーロン・マスクについても、本書ではもはやそんな小さなスケールの話は飛ばして、イーロンを「数十年後の人類を火星で暮らせるよう本気で取り組んでいる数少ない人物」として解説する。目から鱗。たしかに、その尺度で見たイーロンの壮大な思考に対して、凡人かつ庶民の僕らはなにも言うことはない。数十年内に起こりうる地球の危機への対策を練ろうなんて考えたこともないのだ。本書はそういった話が無限に出てくる。この本、というより木澤さんの本すべてがそう。

 どこを引用しても面白いですが、たとえば僕が思わず保存したページならこう。こんな文章が現代で読めるのだ。現代では希少な正しいサブカルアングラを、それも海外の掲示板やSNSを駆使して拾い上げて意訳することができる、なんとも意義のある作家だと思っている。「集合的弥勒菩薩」、カッコ良すぎる。こんな文字列がぽんぽん現れるだけでも僕は気持ちがいい。木澤さんとは個人的な付き合いもありますが、それ以上に作家として尊敬と感謝の念が尽きない。


・好き?好き?大好き?

 解説文を担当させていただきました。

 自分が製作したゲームが回り回って世に影響し、こうして詩集の復刊に繋がり、さらには重版までたどり着くのですから、たいへんなこともあるものだ。
 たとえどういった形にせよ、レインの詩集が再び本屋に並ぶ結果となったのなら、僕はその一端に携われたことを誇りとします。現代で詩集が出版されること自体、ましてや重版することなんて奇跡的なことですから。
 そして、自分の読者数名から「どう読んでいいかわからない」と質問を受けた。解説文にも書きましたが、本書は精神科医が診療を通して精神病の患者と交わした言葉を、「詩」として切り取ったものです。だからこそ純粋で、触れたら壊れそうなほどに恐ろしい。本書への向き合い方は「理解」ではないと理解している。ただ、言葉を追って感じるままに想像する。正解も不正解も一切ない。そんな唯一無二の一冊なのですね。
 文庫版で再読し、改めて僕の半生で最も大切な一冊であったと思う(読んでないと超てんちゃんいないし)。


・ファシズムの教室: なぜ集団は暴走するのか

 以前に紹介した『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』の著者の本を漁っています。

 なぜ人は集団になると信じられないような残酷なことを実行できてしまうか。当然「ナチス」とも関連深いテーマであり、実際ヒトラーを例にしての話が多く並べられていく。
 まず、大前提として、集団に属して統一された服装、挨拶、行動を実行することは「気持ちがよく」、多くの人間たちと正義を執行する快楽に酔いしれる。ナチスだって後の歴史が「悪」としたわけで、当事者たちはそれが「正しい」と感じていたからヒトラーに従い、残虐非道な行為に及ぶことができたわけだ。

↑近い話を上にも書いているので、興味があったらぜひ。

 もちろん、その是非はこの際置いておくとして、大前提として「統一された行動」の快楽、集団に属する所属欲求を人間が持つことはもう否定できない。
 面白いのはここからで、それらをわかりやすく示すため、著者は講義で生徒たちにナチスの真似事を行い、どう感じたかを体験させた。「教室が一つになる」一体感はやはり「気持ちがいい」ことを生徒たちは実感する。
 この試み自体はとてもおもしろいと思ったのですが、SNSではこれらの講義内容に対して批判も巻き起こった。たとえ体験とはいえ「ナチスの真似事」をするとは何事かと。
 こうなると「正しさ」とは何かが問われる。
 著者は決してナチスを称賛しているわけでもないし、なんなら極めて論理的に批判する側だ。だからこそ、身をもって「そうなる危険性」を示したことは僕は興味深いと感じる。けれどもSNSでは批判が少なくなかった。これまた興味深い現象に思える。たしかにナチスや新興宗教は「不謹慎ネタ」に使用されることも少なくない。そこに危険があることもたしかだ。
 だからといってタブーにすることが正しいのでしょうか。なんなら「不謹慎ネタ」としてでも、その危険性が一般に浸透していく方が大切で、ましてや今回の講義は「ネタ」ですらない。
 本書そのものも面白いし、本書の内容を取り巻く実際の出来事もまた考えさせられる。この世界にはたくさんの人間が存在し、所属し、それぞれの主張や考えがある。


・ホロリスニング ホロライブEnglish -Myth- と学ぶ 不思議な世界の英会話!

 僕がホロライブイングリッシュに関しての翻訳の重要性(なんて大げさな言い方をするほどでもない)を呟いていたら、それを見た著者の塗田氏から献本を頂いた。ありがとうございます。amesame。

 セガサターンのCD再生機能を使ったのいつぶりだ。

 それはともかく、商業作品ならともかく、彼女たちの配信を翻訳して切り抜くのは、あくまで翻訳者の趣味に過ぎない。なので、日本に出回る彼女たちの切り抜き動画の字幕は比較するとまったく異なる。

 ということを上に書いているので、ぜひ。
 僕が鬱がひどくて最近寝込んでおり、寂しいので動画でも垂れ流していたものの、日本語を、意味のわかる単語を聴いていると脳が消耗するので、海外勢の配信をずっと垂れ流していたところ、気づけば日本語の方が違和感を覚えるほどになり(その間引きこもっていたし)、そうなると翻訳の質とか彼女たちの言葉のニュアンスなどが気になって仕方なくなってきた。
 もともと、ニディガを通して僕には海外のファンからの文章が送られてくることが日常となっていたので、自然と「翻訳」へ興味が向かっていたのでちょうど重なったのだ。

 カリオペさんが歌った『INTERNET YAMERO』(詳しくは上記記事)において、彼女が僕の作詞を自ら英訳してくれたことが嬉しく、そもそも自分の書いた言葉が訳されるとこうなるのかという感動もあって、今は「言語」について考える時間がちょっとずつ増えている。
 学校で英語を学んだ覚えは一切ないが……。合計数分にも満たない英語の教科書を読んだ記憶より、ドラマCD一つ分ホロリスニングを開いた時間のほうが明らかに長い。人生なにが起こるかわからないものだ。



サポートされるとうれしい。