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『成瀬は天下を取りにいく』『成瀬は信じた道をいく』と地元の肯定

本屋大賞!!!!!! おめでとうございます!!!!!!

さて、本屋大賞を受賞した「成瀬」シリーズこと『成瀬は天下をとりにいく』『成瀬は信じた道をいく』の二冊。このシリーズが私は大好きなのだが、祝、本屋大賞! ということで今回は「成瀬」シリーズの魅力を解説したい。

このシリーズの面白さ。それは従来の「青春」物語を解体したところにある、と私は思っている。

『成瀬』シリーズの主人公・成瀬あかりは、滋賀に住む学生である。

成瀬は、滋賀の西武デパートが解体されるところである企画を親友とやってみたり、M1を目指して地元のお祭りに参加してみたり、勉強はできるのであっさりと京大に進学したりする。そんな成瀬の特徴は、進路や友人関係に悩む様子をほとんど見せないところ。大学受験のときすらほとんど動じずに、やるべきことをやる。

彼女のやりたいことはかなり明確である。たとえば「大津市の魅力を発信する」という目標をもって観光大使になったり、大学での勉強を楽しんだりする様子が、シリーズ2巻『成瀬は信じた道をいく』では描かれている。成瀬は、滋賀で、自分なりの情熱をもって生きているのだ。




1「ここ」=教室で悩む従来の青春小説


青春。それは日本のフィクションで繰り返し描かれきたテーマである。

たとえば、1990年代の青春といえば『いちご同盟』で『リバース・エッジ』。2000年代の青春といえば『リリイ・シュシュのすべて』で『野ブタ。をプロデュース』。2010年代の青春といえば『桐島、部活やめるってよ。』で『君の名は。』であると言えるのではないだろうか。

ちなみに異論は認めます……。

さてこのような作品を概観してみると、ざっくりと
90年代の青春:教室の外にある死
00年代:教室の閉塞感
10年代:教室からの解放

というテーマが描かれていたような印象が私にはある。

で、特徴的なのは、青春といえば教室=学校であり、学校とはつまりこの国のムラ社会的なものの象徴であるところだ。

閉鎖的で、同調圧力が強く、ヒエラルキーは固定されているが、逃げることも許されない空間。それが教室であり、日本という国を表現したものそのものでもあった。「ここ」に生きなきゃいけないけれど、「ここ」から出たい、でも出られない。それが教室が比喩として表現していたものだった。

そういう意味で、2010年代において『桐島、部活やめるってよ』や『君の名は。』において描かれた「教室(=『桐島~』であれば部活、『君の名は。』であれば自分の住んでいる土地)から出ていく」様子とは、グローバル化する日本そのものを描いていた、と解釈することができる。

教室の内側で悩む学生。――これこそが青春小説の常に描いてきたものだった。悩むテーマは友情でも恋愛でも生死でも部活でも将来でもなんでもいいのだが、まあ、学生は教室の内側で、教室を出て行くかどうか、教室を出て行けるかどうか、悩んでいなくてはいけない。「ここではないどこかに行きたい」と思うか、あるいは「ここではないどこにも行けない」と思うか。それが青春小説だった。

なぜなら、青春小説の「ここではないどこかへ」という願望は、日本というムラ社会で生きる人々の悩みを表現しているからである。それがいままでの青春小説だった。

そう、青春小説とは、学生が「ここ(教室)」で悩んでいるところを描く物語だった。

が、そこを解体したのが『成瀬』シリーズだ。

なぜなら成瀬あかりは、「ここ(教室)」を肯定するからだ。


2「ここ」=地元を愛する成瀬あかり


突然文芸界に現れた成瀬あかりというニューヒロインは、滋賀を舞台に、自分のやりたいことに突っ走る。周囲の人間――小学生から親友から家族に至るまで――は彼女の独走っぷりに感心しながらも、彼女のことを理解している。成瀬は天才で変人だが、決して孤独ではない。

そんな成瀬も、「人並みに悩む」ことはあるらしい(と2巻では描かれている)。しかし彼女が悩んでいるところは決して作中で重視されない。『成瀬』シリーズの魅力のひとつは、「青春は、悩まなくても面白い」ということを証明して見せたところにある。

従来の青春を描いた小説や映画を見ると、どうしても私たちは思春期の煩悶を見出したくなってしまう。それはなぜなら先ほど書いたように、青春小説とは閉鎖的な教室=ここで悩む私たちの日本のアイデンティティそのものを描いた作品だからだ。

しかし『成瀬』シリーズは、そんな従来の日本=ムラ社会に悩む人々のアイデンティティを吹っ飛ばそうとする。

成瀬あかりは、滋賀に住んでいる。しかし滋賀から出て行こうともしないし、あるいは滋賀から出て行けないことを嘆きもしない。むしろ、滋賀をとても愛している。成瀬は、滋賀を否定せず、しかし同時に滋賀以外の場所を否定することもない。中学、高校、大学と、それぞれの教室での人間関係や地元の人間関係を楽しんでいる。彼女は変人だが、お祭りや地元のデパートといったムラ社会にむしろ積極的に乗り込んでいる。教室=地元の人間関係を肯定する青春、それが成瀬の日々なのだ。

教室=地元・滋賀から成瀬あかりは出て行かない。

先ほど書いたように、従来の青春小説が
90年代の青春:教室の外にある死
00年代:教室の閉塞感
10年代:教室からの解放
を描いていたとすれば、『成瀬』シリーズが表現するものは、

20年代:教室の肯定

だと言えるのである。

地元を愛して、人間関係も良好で、しかし決してマイルドヤンキー的ではなくエリート街道を突っ走る成瀬あかり。その姿は、いままでの青春小説を解体している。そこがこの小説の魅力てある。

本書は2020年代を代表する物語になると私は確信している。自分のやりたいことをやり、自分の生きたい場所で生きる。それが一番良いはずだ、と成瀬あかりは伝えている。


3「ここ」を出て行った『あまちゃん』、「ここ」を出て行かない『成瀬』


『成瀬』シリーズを読んでいると、私はNHK連続テレビ小説『あまちゃん』を思い出す。宮藤官九郎脚本・のん(当時は能年玲奈)主演の『あまちゃん』は、東北に住むことになった女子高生が、東京でのアイドル経験を経て、東北を元気づけるアイドルになるまでの物語だった。『あまちゃん』は震災以後の2010年代を代表する作品のひとつだったと思う。

しかし『成瀬』シリーズは、『あまちゃん』のテーマを更新し、2020年代のモードを見せている。――もはや地元を出る必要はないのだ。成瀬あかりは、地元を出ず、地元で友人と生きることを肯定する。

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