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『夜明けのすべて』とモラトリアム的関係としての「同僚」描写

映画『夜明けのすべて』を見てきた。

とても良い映画で、なんだか見終わった後、自分の二十代をぼんやり振り返ってしまうような、夜道を歩いて帰りたくなるような、そんな映画だった。

映画の内容についてはぜひ見て、と言うほかないのだが、これはまぎれもなく、ほとんど現代では死語となりつつあるような「モラトリアム」という期間についての映画なのではないか、と思う。

モラトリアム、というのはそもそも猶予期間という意味らしいのだが、私は「進路を決定する覚悟を持つまでにじりじりと決定を先延ばしにしている時間」のことだと思っている。だからつまりは贅沢な時間のことなのだ。普通は進路に迷う大学生のことをモラトリアムと言ったり、あるいは就職せずにフリーターになったりするとモラトリアムを謳歌してるねと言ったりする。

が、現代においてモラトリアムというものはどんどんなくなりつつあるのではないか、と私は思っている。大学は就職のための準備期間であり、就職する進路を決定するのを「猶予」しているわけではないのだ、という考え方はどんどん常識になりつつある。大学生のうちからインターンシップや起業を推奨されるのは、モラトリアムとして大学に行くのではないのだ、就職をより有利な条件で達成するために行くものなのだ、という考え方に基づいたものだろう。私もそのこと自体を否定したいわけではない。就職は人生の一大事だし、そこに丸腰で挑むことが良いことだとは思えない。

だが一方で、やっぱり普通に社会で働くことは、想像しているよりも意外と困難な行為であることも、たしかだと思う。

週に5日フルタイムで働く、その当たり前とされている行動は、案外ーー本当に実際に働いてみると大学生の時に自分が考えていたよりずっと、案外ーー大変だ。『夜明けのすべて』で描かれているとおり、ホルモンバランスの関係で調子が悪い時が一ヶ月に一度あっても、それでも何でもないふりをしていなくてはいけない。あるいはどこかで精神や身体のバランスを崩し、フルタイムで会社に行くことが難しくなっても、それを受け入れてくれる会社がどこまであるのか。

そんなわけで、現代においてモラトリアムというものはなくなりつつあるのではないか。そう私は考えているのだった。

そんな状況のなかで、『夜明けのすべて』は、若い頃に働いていた会社、という場所をモラトリアムとして描いている。私はこれはものすごく現代的だな、と思った。なぜなら、これは転職という文化ができた今だからこそ、描くことのできるモラトリアムの在り方だからだ。

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