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現代SNSで最も重要なのは、「拡散しない」倫理ではないか? ー『〈公正(フェアネス)〉を乗りこなす 正義の反対は別の正義か』から考える

最近SNSについて取材を受けていた。『推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しか出てこない』(以下『推しやば』)の流れで最近のSNS空間についてどう思うのか、という話だった。たまに、取材を受けているなかで思いもよらない質問をされ「あ、自分はそんなことを考えていたのか」と自分で自分の回答に驚くようなことがあるのだが、今回はまさにそれで、その質問とは「三宅さんが今SNSで発信する上でもっとも気を付けていることは何ですか?」というものだった。SNSを見る、ようは受信者側としての心得はそれこそ『推しやば』のなかでもあれこれ書いた。が、発信者側としての心得……と一瞬考えたなかで、自分が回答したのは「RTする内容に気をつける」というものだった。これが喋っていて、あーそう思ってたんだと自分でも意外な気がした。だが案外たしかに、いま自分がいちばん重要なことであるように感じているのだ。

インターネットの使い方、というと一般に言われることは「発信する内容に気をつけましょう」という内容だと思う。言葉は人を傷つけやすいし、フェイクニュースの原因にもなったりするので、不適切なことを書かないようにしましょう。不適切な言葉遣いをしないようにしましょう。発信する内容にはじゅうぶん注意しましょう。それは私は物心ついたときから言われてきたように思うし、おそらく現代でSNSを使っている人ならば一度は気に留めたことのある事項ではないだろうか。

しかし、と思う。現代において実は最も重要視されるべきは、発信そのものよりも、「拡散する内容の吟味」ではないだろうか。つまり、ポストよりもリポストこそが重要視され、倫理を吟味されるべきではないだろうか。

リポストはポストよりも責任が軽い……ように、感じてしまうのは私だけではないはずだ。たとえばフェイクニュースにしても、フェイクニュースの発信者の罪は重いが、フェイクニュースを拡散してしまった人の罪はそこまで問われない、ように感じてしまう。あるいは誰かを誹謗中傷する投稿をする人は、裁判で罪を問われてしかるべきだが、誹謗中傷する投稿を拡散した人は、何も罪に問われることはない……というのが現代の倫理観であるように思う。

しかし、本当にそうだろうか?

たとえば、ある芸能人について根も葉もない噂が、SNSに投稿されたとする。それ自体は根も葉もない噂だ。しかしその投稿が、何百、何千、何万RTされてしまう。するとその拡散によってはじめて、その投稿は信憑性を帯びてきてしまうのではないだろうか? なぜなら私たちは、たくさん拡散されている=それが正しい意見だと思い込んでしまう傾向があるからだ。

もちろん個人のSNSとの向き合い方でいえば、拡散イコール賛同ではないことは分かっている。だがそれでも拡散することによってその話題は思ってもない人に届き、そしてさらに誰かを傷つけることはある。拡散とは関心を持っていることを表現する行為だ。だとすれば、何を拡散して、何を拡散しないか、を選別することは、何に関心を持っていて、何に関心を持たないか、を選別する行為でもある。だからこそ私たちはむしろ「拡散しない」こと――この話題には関心を持たないという選択をする倫理――こそが今もっとも重要視されるべきではないのか。

一般に「無関心」は悪だと思われがちだ。しかしむしろ、現代においては、「無関心を選択することも、倫理的な振る舞いである」ということを言っていくべきだと私は考えている。 

本当は第三者がそこまで批判しなくていいはずのスキャンダル。自分が被害を被っていない、企業や個人の過失。たまたま見かけてしまったがために、口を出したくなってしまうSNS上の個人間の諍い。そういうものに、「無関心」でいられずに拡散してしまうことは、非倫理的振る舞いなのではないか。

たとえ、拡散したうえでどんなに倫理的な内容を発言していたとしても(つまりリポストした後に、まっとうな内容を発言していたとしても)。それを拡散することの倫理性(つまり「たくさんの人に知られるべきトピックなのか?」を吟味すること)をそもそも考えずに拡散することは――非倫理的な振る舞いである。とても極端に言ってしまえば、そう私は考えているのだ。

と、いうことを考えて、思い出したのは『〈公正(フェアネス)〉を乗りこなす 正義の反対は別の正義か』(以下『〈公正〉を乗りこなす』)だった。


『〈公正(フェアネス)〉を乗りこなす 正義の反対は別の正義か』著者の朱哲喜さんは、NHK「100分de名著」2月でローティの著書を紹介した哲学者である。


朱さんは『〈公正〉を乗りこなす』のなかで、ジョン・ロールズの議論を引用しつつ、こう書かれている。ロールズとは正義や公正について論じたアメリカの政治哲学者である。

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