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さみしさとぬくもり。

 アメリカの小説家であるエイミー・ベンダー(Aimee Bender)による短編集「燃えるスカートの少女」の一編である「癒やす人」には、二人の「変わった」少女が登場する。火の手を持つ少女と、氷の手を持つ少女。

 そんな火の少女が「人を傷つける」危険な存在として牢屋に投獄される場面がある。彼女を見た主人公のリサは、水を用いて病気の人々を「癒す」ことのできる氷の少女に助けを求める。彼女たち二人はそれぞれの手を重ね、中和することで「普通の生身の両手を持つ」少女になることができるのだ。

 しかしながら、氷の少女は『こうしてるとすごくほっとする』という火の少女の告白を拒絶し『火の手を切り落とす』ことを提案する。そして彼女は『自分がただの生身の手をして』同じく中和され正常になった火の少女の『切り落とされた手首の根本をつかんでいる』ことに気づく。火の少女の叫び ...『絶対離さないで、おねがい、だめよ、おねがい』... は、氷の少女に届かぬことなく、虚しく響き渡る。

 火の少女の「心の傷」とは、氷の少女の「心の傷」とは、一体何なのだろうか?「求める」のに「受け入れられない」こと。「応える」のに「満たされない」こと。ただ、彼女たちの傷の正体を明らかにすることはさして重要なことではないと思う。大切なのは、傷をいだきながら、彼女たちが彼女たちの物語を生きること、言葉にならない痛みをかかえながら、それでも誰かのために、自分のために、何かを犠牲にしてでも生身の身体を重ねようとすること、その心性を捉えることではないか。

 物語の最後部で、火の少女に「傷つけられ」ようとする人々が登場する。彼らは「傷痕をつけられる」という体験について、次のように述べる。

私はかれらに訊いた。痛いの?
すると傷跡のある人々はうなずいた、
うん。でもね、それは何かすてきな気持ちだったんだ。

 彼らは、火の少女が手首の先端でやさしくふれていた『長く感じられる一瞬のあいだだけ、世界がかれらを抱きしめてくれるような』気がしていたのだった。

 同じく「燃えるスカートの少女」の冒頭に収録されている「思い出す人」に登場するベンは『いつだって世界はさびしいと思っていた』らしい。過去形で伝聞形なのは彼がもはや言葉を語り得ぬサンショウウオへと「逆進化」してしまったからだが、でもきっと、彼は今この瞬間にだって光が届かぬ海の底で『世界はさびしい』と思っているはずだ。理屈や論理を抜きにして素直にそんな風に思えてしまうほど世界はさびしく、むなしく、つめたく、いろあせていて、だからこそ、十人十色の傷模様を刻んだあなたと私、彼と彼女、誰かと誰かの生身の触れ合いを通して生まれる二重奏はより一層に彩りのある音色を紡ぎ出してくれる。

 そんな戯言のような幻を、私はきっと想わずにいられない。むかしも、いまも、このさきもずっと。