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生きることの意味を考えてしまう

先日から…日中のメディアでは同じ話題で持ち切り。
その人にしかわからない「悩み」「生きる意味」を考えてしまう。
生きたくても、それが出来ない人。生きるだけで辛い人。さまざまいる。

私も一度だけ…絶望のどん底でどうにもならなくなったことがある。
それでも、今、生きてる。子どもの母親をしている。ライターをしている。

ニュージーランドで2回も体験したこと

私は、30歳ギリギリの時にニュージーランドへワーキングホリデーしたことがある。7月に出国して、8月に31歳になった。いわゆる「ギリホリ」というもの。

エージェントを介さずNPOを利用してホームスティ先を見つけた。出国までの間、メールで何度かホストマザーとやり取りしていたのだが…。
ある日のメールで、ホストファザーが亡くなった事を知った。私は、ホストマザーの心境を考え「ホームスティ先を変える提案」をした。

「あなたが日本から来るのを彼も待ち望んでいた」とマザーからのメッセージで、ホストファミリーを変えないことにした。日本からニュージーランドに到着した次の日。お墓参りをした。

ニュージーランドの生活にも慣れ、ワイナリーのぶどう畑で日雇いの仕事をしている時に出会った韓国人の男性。彼は、親身になって仕事のやり方を教えてくれた。
ある日、彼が交通事故で亡くなった。お葬式に参列することになった。

私は、ニュージーランドで2度も人の死にかかわったことになる。直接の関係性はなかったけれど。涙が止まらなかった。
人の死は悲しい。そして、どう言葉で表していいのかわからない。

帰国して…祖母の死

幼い頃は、おばあちゃんっ子だった。ひとつ下の弟に手がかかっていた母親の代わりに祖母は、いつも私に気を配ってくれた。
欲しいお菓子もコッソリ買ってくれた。

成長とともに祖母とは疎遠になってしまった。一人暮らしをすると更にその距離は遠くなった。

私が一番悩んで、どん底に落ちた時も祖母だけは見方になってくれ「大丈夫。あなたならできるよ。」と応援してくれた。…それなのに、私は祖母にやさしく接する事ができないままだった。

子どもが生まれて…数か月後、祖母は亡くなった。私の出産までは「生きる」と決めていたようで。子どもの顔を見せてあげられたことが唯一の孝行だったのかもしれない。

いつ死ぬかわからないから…今を生きる

私は、親として…子どもを育てるために生きている。
私は、人生に後悔しないために好きなことを探しながら生きている。
私は、幸せだったと死ぬとき思いたいから生きている。

The Brow Beatの「睡蓮」が好き。
♪聞こう 命の鼓動 いつか火が消え眠る日まで
 ♪広い世界で探しだす 微かな生きる意味を

この歌詞を書いたのは、俳優としても活躍している方。
同級生が自ら命を絶ってしまった経験から、「命を大切にして欲しい」という想いで書いたそう。

この曲を初めて聞いた時…ニュージーでの出来事や祖母のことを思い出したことに納得したのは、歌詞の意味を知った時。

生きることが死ぬより辛いことも、これからあるかもしれない。
それでも「生きる」



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