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見えなくてもサンクコスト

先日、ラジオ番組でサンクコストというワードに初めてであった。
もともとは経済用語で以下のような意味らしい。


sunk cost
投資、生産、消費などの経済行為に投じた固定費のうち、その経済行為を途中で中止
、撤退、白紙にしたとしても、回収できない費用をさす。経済学の概念であり、「埋
没費用」と訳される。個人の株式投資、企業の新規プロジェクト、政府の大型公共事
業など広範な経済活動を継続するのか、それとも中止するのかを判断する際などに使
われる。
 


そういえば、なけなしの金をパチンコで増やすと言って、負けが込んできてもどんど
んつぎ込んでいる人がいた。そうか、あれがサンクコストか!英語のsinkの過去分詞
、「沈む」が完了してしまっているやつだ!

限りあるお金を確実性のないパチンコに委ねるなんてとんでも数弱な私でさえやばい
ってわかるのに、同じような話を何軒も聞いたことがある。それだけ「取り返したい
」欲求は理性的な思考を停止させてしまうみたいだ。

そしてこのサンクコストという言葉は恋愛とか仕事とか、生活全般に適用されている
ようだ。


思い起こしてみれば、私が見えていた25年間はすべてサンクコストである。

幼稚園から高校までに支払ったバカにならない私立女子行の学費。
昭和一桁の両親は受験に振り回されないように、あわよくばいい所にお嫁に行ってほ
しいという願いを込めて入学させたのだと思うが、今や社会の最底辺、重度障碍者で
ある。
大金をかけて取得したお嬢様ブランドは見事水泡に帰した。

私立大学も語学学校もお菓子教室も今となってはすべてサンクコスト。


それに比べて見えなくなってからのコスパは素晴らしい!
国立の盲学校の授業料は3年間で3万円。寮費などもかかったが、付帯費用を合わせて
もたかが知れている。

以前も書いたことがあるが、普通の専門学校で鍼灸の資格を取るためには800万くら
いかかるらしい。視覚障碍者は私の小遣い程度の費用で資格を取れるのだから、それ
を仕事にしてもしなくても、取るだけは取っておかなければもったいない。
体の事を勉強するので無駄にはならない。仕事にあぶれた時にも何らかの助けになる
し、働き方も選べる。
重度視覚障碍者の職域の狭さをなめてはいけないのだ!

話はそれたが、私は10年以上マッサージをやっているので、障碍者雇用の雀の涙のよ
うな給金でも十分すぎる元は取れた。
しかし、前半のサンクコストは全然回収できていない。


私は見えなくなってからこのサンクコスト倍安に振り回されていたということを、ラ
ジオを聞いて初めて実感した
サンクコストにフォーカスを当てて生活をしていても、もう取り返せないものは取り
返せないんだから、そこは切り替えて前を向いたほうがいいんじゃないか。
いったん冷静になって、考え直したほうがいいんじゃないか。

振り返ってみれば、女子行も大学も全く無駄になっていたわけではない。楽しかった
思い出や、友達もいる。

何でもお金に換算して考えるのは前時代的である。
私もパチンコに沈んでいった人たちと根本は一緒だったのである。


「サンクコスト」という言葉を知るまでは、ずっともやもやしていた。今回、このも
やもやが言語化されたことによって、自分を客観的に判断することができた。

取り返せない、しかも失明といういかんともしがたいアクシデントによって生じたサ
ンクコストを憂いても嘆いても何の足しにもならない。

ここはひとつリセットして見えなくなってからの人生をどう楽しく生きるかに焦点を
当てたほうが合理的で建設的だと、遅まきながら気づいた次第である。

ジェーン・スーさんありがとう。

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