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ICUC-094_2022.1.9【“おもしろい”のバタフライ効果】

【ICUC知的好奇心向上委員会】の私の知的好奇心の向上&趣味の文字起こし。I see, You see ! Intellectual Curiosity Update Committee

今週の本
白鯨 上 (岩波文庫) 文庫 – ハーマン・メルヴィル (著), 八木 敏雄 (翻訳)
角田陽一郎随想集〈1〉激しく健気な頃の夏を取り戻せ! (SPIRAL STUDIO) Kindle版
角田陽一郎随想集〈2〉確実に降り積もる吹雪の夜の翌朝に (SPIRAL STUDIO) Kindle版

角田陽一郎94ICUC「“おもしろい”のバタフライ効果」知的好奇心向上委員会

例えば角田陽一郎の本を誰かがSNSで感想書いてくれたり褒めてくれたりなんなら薦めてくれると、それだけでAmazonの売り上げランキングは確実に上がってる。
つまりそれは本に限ったことでなく、個人が体験したいろんなヒトモノコトを他者に伝えるという発信行為が経済を廻す今や一番の動機なんだな。
これ、個人の感情の動機と全体の経済の動機が同期してるということだ。
それはマスメディアの宣伝力や口コミとかは遥か昔からあったこととはいえ、今やソーシャルメディアがバーチャルでしか知らない人同士の動機を同期させるから、つまり同士が同志になりやすいってことなんだな、良くも悪くも。
まあ、書いてて当たり前のことのようだけど、これ実際にどなたかが僕の本をSNSで呟いてくれた瞬間に、Amazonでランクが上がってるの実際に体験すると、如実に体感するソーシャルメディア効果なんだな。

角田陽一郎 オフィシャルwebサイト

mireva channel

動画の内容(+文字起こしメモ&感想)

繋がりで凹むところの切り離し

 おはようございまーす。おはようございます。バラエティプロデューサー角田陽一郎でございます。ICUC知的好奇心向上委員会なんですけど。なんかいきなり今日も、うふふん、ライブ配信やってみようかなーと思いました。毎回ね、撮ろうかなーと思う時にライブ配信にしようか?ってことか、あるいは撮ったあと動画にしてUPしようかなーって思ったりするんですけど。でも別に動画でUPしてもそれ別にあれですからねぇ。編集してるわけじゃないから、結局一緒なんですよね…うふふ、と思っちゃったりすると、もうUPしちゃっていいかって言うより、ライブ配信しちゃっていいかとか、思うような感じでやっております。1月9日日曜日でございます。まだ午前中ですよね。
 えーと、今年2発目になるのか。あの、なんかねえ、先週話したやつでは内観と外観っていう話をさせていただいたんですけど。何か、そうなんですよ。自分的にはですね、自分の思いと外側の事象を分けるって考えると、なんか色んなことが結構整理された気がしてて。で、自分がね、バライティプロデューサーていうのを拝命しながら…拝命というか勝手に、あ!おはよーございまーす!ありがとうございます。あの、バラエティプロデューサーというのね、そのまま行きながらやってて。で、それをなんかね、やりたくなくてやってるのかなーっていうところもちょっとあったんだけど。実は結局、自分がバラエティプロデューサーをやっているという事が色んなものに繋がってくるってことがなんとなく見えてきて。とすると、その色んなものを繋げるって言うのって、自分の内側と自分の外側を繋げるっていう時に、あれなんですよね、繋げすぎると、まぁ…病む…病むと言うか凹むというか。その凹むところの切り離し、オン・オフみたいなもの、というものって「あ!自分でコントロールできるんだなあ」っていうのを何となくなんか知ったというかね。それがボクの中では今年結構大きい…あぁ、すいません。今チャットで「眼鏡オシャレですね」すいません(^^)ありがとうございます!いや、オシャレかどうかはともかくなんですけど、この緑の髪にしてこのメガネで配信するの初めてだから…配信するっていうか、人前に出るの初めてだなーなんて思いながらですね、やっております。なんかね、この眼鏡ベルギーの眼鏡らしいですよ。なんか、なかなか日本ではデザインしない感じですよね、確かにね。はい、まあ、すいません、ありがとうございます、ぅふ。いや眼鏡オシャレですねって褒めて頂いたから、つい喋ってしまいました。
 それで。今日なに話そうかなーと思ってて。いや、むしろね、話すことはたくさんあるんだけど、話すことがたくさんある時ってそんなにまとめて話さないというか。なんかそんな様な、…そう、「繋げすぎると病む。面倒くさくなるー」そうなんですよね。その、いや、その面倒くさくなる、なんて言うんですかね、あたふたしてた事がなんかあたふたしなくていいかなっていう風にちょっと思えるようになってるというのが今の状況でございますね。

白鯨

 うん、いや、あのー、最近ブログをわーと3つぐらい書いたけど。そのブログ的なもののことの話をしようかなーと思ったけど、逆にやっぱりこっちの話をしよう。「白鯨」ね。メルヴィルの。これ、ちょっとね、 TwitterとかSNSにも書いたんですけど。「白鯨」、メルヴィルの「白鯨」てみんな話を知ってるじゃないですか。で、みんな話を知ってて、で、話を知っているから名前は知ってて。で、名前は知ってて、たぶんみんなほとんど読んでないって言うやつだと思うんですけど。なんかほら、あれじゃないですか。「老人と海」ヘミングウェイの。ヘミングウェイの「老人の海」となんとなく勘違いがちじゃないですか。海に出て。これは、メルヴィルの「白鯨」はエイハブという船長が…片足のね、よく見るというか、どこかでそういう風なものを見たことあるような格好の船長が、白い鯨を追うみたいな。なんかこう、物語的な、ストーリー的な少年ジャンプのワンピース的なものだったり、あるいはディズニーがね、映画化しちゃうような。なんかそんな様なイメージ、カリブの海賊みたいなイメージみたいなもので思ってるかなーと思ってたら──もう半年前くらいにこれを読んだんだ。浦上春樹さんと柴田元幸さんの「本当の翻訳の話をしよう」。これって色々、作品の話が出ていて、メルヴィルの「白鯨」って長いみたいなことが書いてあって。みんな読んでないよね、ただ面白いよねーみたいな話が書いてあったんで、「そっか、か面白いのかー」と思って読んでみたんですよ。で、実は岩波文庫、小・中…小じゃない、上・中・下巻の3つにもわたるやつですからね。すごい…すごいんですけど。で、上巻しかまだ読んでないんです。今は中巻の途中なんですけど。いや面白いんですよ、これが。面白い。何が面白いって、確かに哲学書なんですね、これ。全然船出航しないし。エイハブ船長なんて上巻のホントこの辺(本の後ろの方)から出てくる。もう、なかなか出てこないみたいな。あと鯨ってのは何か?っていうのを延々と説明してたりとか。つまりこの頃ってこれ1850年ぐらいに書かれているんで、ちょうどね、黒船が来航するのって50何年ですよね?だからその一歩前ぐらいで。日本は開国するか?しないか?みたいなことも書いてあったりして面白いんですけど。つまりまだ哺乳類なのか?魚類なのか?なのかも分かってないんですよ、鯨って。ああそうなんだ、と。だから本当にバケモンだと思われてて。そっか、化け物がいるんだっていう世界にその化け物を捉えにいく人達っていうのってすごい哲学的じゃないですか、みたいな事が延々と書いてあるんですね。まあ面白いんですよ。

評価はその人次第だが評価には誘導という効果がある

 でね。ここからね、今日の話に繋がるんだけど。面白いんだけど、じゃあこれ読んで、仮に見ている方が読もう!って…思わない方がいいと思います(笑) と言うのは、面白くないって言うか、長いとか、読めんわ!とか、なると思いますきっと。いや、そう言われている本だからね。いや、だから、じゃあ角田、ボクが面白いのが分かる…なんて言うんですか?知性のあるやつか?みたいなことじゃないんです、ボクが言いたいことは。そうじゃなくて、このメルヴィルの「白鯨」、これ例えばボクは二十歳ぐらいに読んでても絶対面白くないって言ってる気がするんですよね。いや「鬼滅の刃」の方が面白いでしょう〜って言ってる気がするんですよね。いや鬼滅の刃も面白いけどもと言うか。うん、だから、つまり面白さって本当にその受容する側の人による、そんなの当たり前なんだけど、当たり前なんだけどあまりにもそうだなってなんか思っちゃったっていうか。なんかね、そんなことを感じたわけです。つまり面白いということって評価、本質的に評価できないんじゃないかなーって思うんですよね。なんだけど、そういう評価というか、面白いか面白くないかみたいなことで人はその作品を知るわけじゃないですか。だから実際これをボクが読んでみようかなって思ったのって、こちらの村上春樹さんと柴田元幸さんの方で扱われていたからなわけですよ。逆にこれをボクが読んでなければこっち(白鯨)には絶対行ってないわけですよ。ってことは、その人が言っている面白いか面白くないかってことは絶対自分に当てはまるかどうかなんて事は分からないんだけど、少なくともこっち(本当の翻訳の話をしよう)に面白いって書いてあることはこちら(白鯨)への誘導があるという意味では意味があるんですよね。うん、だから…ボクの中でぐるぐる回っているのは、つまりある作品を面白いと思うか面白くないと思うかなんてことは無い。無いんだけど、その人が面白いと思ったってことは表明すべきなのではないかな?と。うん、で、その表明する、すべきってのはしなくてもいいけどね、しなくてもいいんだけど、表明すると…そうするとこの作品って面白いんだよって思った人、だからボクで言うならこの動画を、今日のこのICUCを見た人が「この「白鯨」は面白いんですよ。ただお勧めしませんけど」って言われた上で、さあ、それを読むのか?…ってなるとするじゃないですか。で、読んでみて。やっぱりそれで面白くないと思ってもいいし、面白いと思ってもいいとは思うんだけど、少なくともボクがここで「白鯨」ってのは面白いよってつぶやくことにはバタフライ効果というか意味があるんだなーなんて思ったわけです。

SNSバタフライエフェクト

 その中で、ボクはね、小説『AP』というもの去年の8月に書いて、今ドラマ化を頑張って進めようとしているんですけど。一昨日ぐらいにbotで…適宜ボクのTwitterって自分の本 bot機能を使って紹介するようにしてて。たまたま一昨日くらいかな?『AP』出ましたっていうことをbotで書いたんですね…出たわけですよ。そしたらTBSのね、ボクの先輩の植田博樹ドラマプロデューサーが「面白いよ、この本」ってリツイートしてくれて。書いてくれたんですよ。ああ嬉しいなーと思って。本当に面白いなーと思って頂けてるんで、本当にドラマよろしくお願いしますみたいな感じなんですけど。そんなことを思ってた時に、それを書いてると。
 一方でAmazonでね、自分の本とかを適宜、時々チェックするわけですよ。今どれくらい売れてるのかなーとか。順位とかを見たりして。そしたら結構ここんところ順位が波風立たないまま下降してた…まあそうですよね、本が出たときが一番売れてて、大体こうグッと上がるとことはないので。でも売れたいなーなんて思ってたんだけど何となく下降してたのが、植田さんがその小説『AP』を面白いよって言ってくれたその瞬間に、やっぱりね、それを読んだ方が何人か買って頂いたんでしょうね。Amazonのランクがグーンッと上がってたんですよ。ああ!そうか!と。本当に──だから昔からね、口コミだとかね、いや、それこそじゃあテレビで紹介されたら売れるとかね、そういうことあるなーとは思うんだけども。それをこう自分がちょっとTwitterで宣伝というか紹介した、それをボクの知り合いが面白いってリツイートしてくれた、そしたらアマゾンのランクが上がるって、あ!如実に繋がってるんだなあ!って。すごい感じられたわけです。それをね、ボクは昨日文章で書いたんですけど。

例えば角田陽一郎の本を誰かがSNSで感想書いてくれたり褒めてくれたりなんなら薦めてくれると、それだけでAmazonの売り上げランキングは確実に上がってる。
つまりそれは本に限ったことでなく、個人が体験したいろんなヒトモノコトを他者に伝えるという発信行為が経済を廻す今や一番の動機なんだな。
これ、個人の感情の動機と全体の経済の動機が同期してるということだ。
それはマスメディアの宣伝力や口コミとかは遥か昔からあったこととはいえ、今やソーシャルメディアがバーチャルでしか知らない人同士の動機を同期させるから、つまり同士が同志になりやすいってことなんだな、良くも悪くも。
まあ、書いてて当たり前のことのようだけど、これ実際にどなたかが僕の本をSNSで呟いてくれた瞬間に、Amazonでランクが上がってるの実際に体験すると、如実に体感するソーシャルメディア効果なんだな。

 っていうことを文章で書いたんですけど。そうそう、ね。今このコメント頂いてる方に「バタフライエフェクト」って書いて頂いてけど。そうなんですよ。ほんとバタフライ効果っていうのが…バタフライ効果が起こりやすいっていうと数学的な正しいのかな?分かんないんだけど、SNSが出来でたことでバタフライが本当にちょっと羽ばたくだけでふわっと世界は変わるんだなってことをなんかすごく「動機を同期しやすい」まさに。ってことを何か感じられたなーって思うんです。そうすると翻ってですよ、この「白鯨」が面白いことっていうのを…なんて言うんでしょうね、やっぱりこの動画で言うとか、ボクがSNSで言うということって、もしかしたらね、この「白鯨」が2022年のベストセラーになっちゃう可能性だってある──、っていうのってなんかすごい面白いなーなんて思うわけです。
 で、これってボクがね、『AP』を書いたこととその『AP』を紹介したのが植田博樹さんて言う、まぁ、有名人でもないけども無名でもない方がつぶやいたからじゃんって思われる方もいるかも知るれないんだけど、でもそのボクが、じゃあたまたまメルヴィルの「白鯨」を読もうと思ったのは村上春樹さんと柴田元幸さんの本からだけど、そうじゃなくても、たまたま全然、知り合いというか、ちょっとこういう人からちょっと教わったこととかを「なるほど。じゃ、ちょっと読んでみようかなー」とか「見てみようかなー」って思ったりすると、なんかそれってね、すごい自分の中に感じ入ってそれをつぶやくだけでバタフライ効果になるんだよなーなんて思うとね。よくSMAPがまだある頃というかSMAPのマネージャーの飯島さんてね、皆さんよく名前聞いたことあるかも知れないけど。あの方なんて本当に自分の周りの人たちにむしろアンケートじゃないけど「最近なにが人気なの?」とか、そういう風に聞いたりとか、自分のお母さんがこれ好きって言ってるからじゃあそれをドラマ化しよう、じゃそれを吾郎ちゃんでやってみようとかね、中居さんでやってみようとか、そんな感じで企画決めてたって言う。だからドラマの共演者とかもね、あの人って人気あるんでしょう?って飯島さんが言うとね、各局のプロデューサーが「うん、そうだな」って言ってキャスティングに走るじゃないですか。でもそれって「人気あるんでしょ?」の一言は実はその会社の経理の女性がね、たまたま好きだったっていうだけだったって話をボクも聞いたことあるし、とか。だから、なんか、何かが好きとか嫌いってのってのはホントに凄い恣意的で、そんなに誰もが好き誰もが嫌いってもの…ということも当然あるけれども、そんなことよりもっと自分は馬が合わないとか、もうそんな程度のものなんだけども、実はそれを表明するだけで世界は変わるんだなっていうのって、すごい面白いなーって思ったわけです。うん。

<内観>ボクの感想⇄作品の素晴らしさ⇄作品の背景<外観>

 でね。一方で…一方でというか別に何の繋がりもないかも知れないけども勝手に話すと。昨日1月8日はデヴィッド・ボウイの誕生日ですよね。デヴィッド・ボウイって1月10日、つまり明日亡くなっちゃってるんですよね、2016年のね。だからボク、──2016年の1月8日の誕生日にニューアルバム出たんですよね、デヴィッド・ボウイって。ブラックスターっていう。結局それが8日に出て、その次の次の日の1月10日に亡くなっちゃったので、ブラックスターってアルバムってラストアルバムですよね。彼の最新作にしてラストアルバム。──っていうのが1月8日に発売されたから、その日ボクなんかね、何か夕方から仕事があったんだけど…昼間、もうお正月太っちゃうからもうダメだ!と思って、ランニング、──いつもランニングって言ってるんですけど、ランニングじゃなくてもう散歩ぐらいの速度。だからランニングという名の散歩。ランニングという名の徒歩を時々するんですけど。──で、してて。その日も走ってたんですよ。ブラックスター、デヴィッド・ボウイのニューアルバム聴こうと思って聴いて走ってたら、なんか暗いなと思ったんです、正直。あぁーこんなに暗いアルバムなのか。…ブラックスターって言ってるしな、みたいな。PVとかもね、なんかすごい死イメージするもので。ああ、こういうコンセプトなんだ今回はって思って。暗いなーって走ってたらね、次の次の日…だからちょっと時差あるから、もしかしたら次の日に聞いたのか…?とか、その辺はちょっと曖昧ですけど。つまり、もしかしたら今日(1/9)走ってたのかも知れないですけどね。昨日出て、今日走ってみたいな。で、暗いなーと思ってて。そしたらデヴィッド・ボウイ亡くなるっていう話が出てきて。ああ、実は…そうか。自分の人生の最後というのを予知、予感してその作品を作ったんだなーなんて思うとね。なるほどってやっぱり思うわけですよ。で、思って、昨日もね、1月8日で誕生日じゃんって思ったから、じゃあ久しぶりに、その頃はね、まだ都内を走ってたと思うんですけど、今は海の街にいますから、海までちょっとランニングという名の散歩をしながら、ブラックスターを聴きながらね、まあ走ったというか歩いたわけですよ。で、海まで行って。デヴィッド・ボウイを色々聴いてたんですけど。そしたらね、あの時は暗いなーと思ってたのに、なんかすっげぇいいアルバムなんですよね。
 で、このいいアルバムだっていうのは面白いというか難しいですよね。いや、これ、デヴィッド・ボウイが亡くなってなければやっぱり暗いって思ってたのかなーみたいな。もう亡くなっちゃった最後のアルバムじゃんと思って聴いてるからいいアルバムだなーと思っているのかとか。つまりその作品って、その作品自体が持っている素晴らしさっていうのも、それを作った方の状況を知ってるとか知らないとか、なんなら生きてるのか死んでるのかとか、そういうことでも変わるんだよなーなんてこと思ったわけです。うん、まあ当たり前なんですけどね。当たり前なんだけど、そうすると、何かね、自分がその時どう思ったかってことを、どう感じるかっていうことと、その作品が作られた状況とかって、実はやっぱり意外に繋がっていくんだよなーって思うと、それがその年に、その瞬間に生み出されたことってすごく意味があるんだなあと思うと、なんかその作品って…うまく言えないんだけど、すごいライベートなものなんだけどすごいパブリックなもの──ああー、繋がったな。つまり内観と外観が繋がっているものってやっぱり作品なんだなっていうか。うん、すごい思うわけですよね。その個人が中で思ったものが外に出て、外に出るときにその外の状況みたいなものが中に入ってきていることで、結果それで作品というのが生まれていて。で、その作品の外に、実は瞬間に今度はボクみたいなまだ外にいる人間が触れて。で、触れたものでそれを感じるんだけども、その感じるものって外の状況によってまた全然違うっていう。

作品とは内観と外観、自分と他者を繋ぐメディアである

 うん、そう考えるとね、ボク、今のメディアっていうことにすごい興味があるんですけど、メディアって媒介って言うじゃないですか。だから作品自体も媒介なんですね、きっとね。メディアって作品を乗っける場みたいなことかなー。作品と個人を繋げる場みたいなことかなーと思っていたんだけれども。その作品というものが内観と外観を繋げるし、自分と他者を繋げるものなんだなーと、すごく思うんですね。
 だからそう思うと、じゃあメディアってね、例えばマスメディアって言うと…テレビや新聞やラジオって言われてたマスメディアというものとかがその作品をどう紹介するかみたいな事とかが元々のメディアのパワーみたいに言われてたんだけど。今はそれこそソーシャルメディアが出来たことで誰かが褒めてくれるとボクの作品のAmazonのランキングが上がるみたいな話しって、そのソーシャルメディアというものがメディアとは思うんだけど、実はそこって作品自体がメディアにもなっているってことなのかなーなんて思うんですね。で、作品って言っているのはたまたまデヴィッドボウイの話をしたし、メルヴィルの「白鯨」を話したからだけど、実はこれ作品とも言えるけど商品とも言えますよね。うん、だから…今ね、あるコーヒーをこういう感じで飲んでて。このコーヒーはここの豆で淹れてみたいな…カフエ マメヒコの豆ですけど、美味しいなーみたいに思ったとして。カフエ マメヒコの豆は美味しいなってつぶやくと、それじゃあカフエ マメヒコ行ってみようかなと思うかも知れないし、いやいや他のこちら豆のが美味しいよって思うかも知れないけども、結果そういう思いが行き来するのって、実はもカフエ マメヒコのコーヒーというもの自体がメディアになってますよね。うん。
 だから、なんかね、そう考えると…ボクなんとなくまた書いたことを読まさせて頂くと。どこに書いてあったかなー。えーと、あった、これだ。ちょっと待ってください、これだ。「ビジネスをカルチャーにする」って文章を書いたんですけど。

2022年の予言しとこう。
これから、例えば、“クライアント”とか“商品“自体がメディアになると思う。
マスメディアに広告料を払ってヒトモノコトが紹介されるのではなく、ヒトモノコト自体がメディアになる。
圧倒的転換。
すると、例えば、“おもしろい”ってことの意味と価値自体も転換していくと思う。
キーワードは「ビジネスをカルチャーにする」
ビジネスをキャンペーンやその場しのぎの焼畑農業ではなく、永続的にサスティナブルに運営するために、自らがメディアになり、自らがそれを(魅力ある)コンテンツとして発信していく。
つまり敢えてテレビで例えれば、15秒のCMではなく本編自体になること。

 っていう風に書いたんですけど。そうなんですすよね。だからなんか今までって、なんかこうビジネスやるとか自分の作品を作るとかがあったら、それどう取り上げてもらうか?みたいな事ってのがすごい大事で。その取り上げてもらうものがメディアだったんだと思うんだけど、ソーシャルメディアっていうのが出来た段階で、なんかメディアという場というよりは自分の想いと作った人の想いみたいなものがどうソーシャル的に繋がっていくかみたいな事の総体でしかないじゃないですか。そうすると、さっきも言ったけど、カフェマメヒコのコーヒーがとか、ボクがじゃあコンサルやってるスピングルっていう、SPINGLE MOVE っていう広島のね、スニーカーメーカーのスニーカーだとか、そういうモノ自体がすでにもうメディアなんだよなと。それを履いててかっこいいなと思ってインスタに上げるとか、コーヒーを飲んだ感想をFacebookに上げるとか、それ自体がもうメディアとして機能してしまうってなるとすると、何かこの人がこの作品を面白いと思ったとか、そうだったみたいなことかって、今までそういうものが面白いを形作ってたのかも知れないんだけど、なんかそういう個人個人の面白いということのバタフライ効果の方が実は面白いという、モノの決め方が変わるんじゃないかなーなんて思ったりするんですよね。だからボクは面白いの価値の転換って言ったんですけどね。だからつまり今までだったらですよ、これを、メルヴィルの「白鯨」を面白いから100万部だとかっていうことが面白いの価値だったかも知れないんだけど、今は…今はって言うか昔もそうかも知れないけど、特にこれからはその個人、本当に個人、ボクとかあなたとか、彼とか彼女みたいな方が単純に面白いと思ったか面白くないかって思うこと自体がメディアとして機能してしまうと、それが勝手にどこか違うところでバタフライ効果で潮流を作っちゃったりするんだよなーなんて思うと、なんか作り手側のボクとしては自分が面白いと思うことをただ面白いと思って作ってるだけでいいんだなっていう風にちょっと思ったりするんですよね。じゃあそれって相手に受け入れられなきゃとかね、当然思いますよ。思うけども。受け入れる受け入れられないみたいなことを気にする指標が、例えば今までだったら専門家だったりマスメディアだったりだったんだけど、そういうものもなく…意味がなくなるとか相対的に下がってきたりすると、その人に面白いと思わせることよりもなんか全然関係ないどこか、世界の誰かが面白いと思ってもらうことの方が面白いんじゃないかなーって思ったりするわけです。うん。それが…おもろくないですか?(^^)っていう様な話ですかねー。はい。

随想集〈2〉確実に降り積もる吹雪の夜の翌朝に

 なんか今日は何かそんなことを思いました。はい。コメントありがとうございます色々。ベルギーの眼鏡…「グローブスペックスの眼鏡ですか?」なのかな…?全然調べてないんですよ、なんかね、お勧めだから買っちゃったんですけどね。ん〜…違うような気がします、んっふっふっふ!よく分かんないブランド名が。はい、分かんないでーす。はい。えー、あと「髪の緑に緑色のカップが映える」ああ、ありがとうございます。これアレなんですよ、ワールドカップね。ブラジルの2014年にブラジルでやったワールドカップに行った時に、ブラジルで買ってきたお土産っふっふっふ!自分用の。で、カップを買ってきたっていうことなんですけどね。はい。「師匠が言ってた。自分おが良い!を思うものの方が売れるんだよな〜。この時これめっちゃ売れたんだよな〜。って。」って。うん。自分が良いと思った物が売れるかどうかは分からないけど、自分が悪いと思ってる物ってまあ売れないですよね。これはなんかすごく思うなーって。思います。はい。だから今ボクがね、それこそこれで最後に喋らせて頂くとすると、このSNSというかYouTube動画で喋らせて頂くとすると。
 …「角田陽一郎 随想集」というのをですね、AmazonのKindleで今発売しております。「角田陽一郎随想集〈1〉激しく健気な頃の夏を取り戻せ!」というのをやっております。で、これってボクは書きためた文書を再構成して本にしておりますが、今後もね、随想集1、2、3、4ってどんどん出していこうかなーと思っています。で、出しておいて…いや、当然読んで欲しいです。なのでもし暇だったらね、…暇だったらって言うとなんですけど(笑)、読んで頂けると嬉しいなーと思うんですけど。なんか自分が喋ったや考えたことを1回まとめておきたいなーと思ったんです。まとめておくと、これをAmazonに置いとくじゃないですか。それが売れるか売れないかっていうのは分からないんですけど、なんかどっかでね、ボクのことを知った人が「あ、こんなことを考えているんだ。じゃあその随想集ってちょっと読んでみようかな?」と思った時に、バタフライ効果の一つの効果、エフェクト、バタフライエフェクトの一つとしてアマゾンでポチってするボタンがぁっはっはっは!あった方がいいんじゃないかなって思ったっていうことでもありますし。もしそういうものがポチポチぽちぽち押されてですね…何か分かんないですけどボクが生きていけるっていう時代が来るとですね、ボクはそれをやってればいいんだなっていう、新たなバラエティプロデューサー、バライティフィクション、バライティライフ、バラエティキャリア、みたいなものが形作られたらいいなーっていうのが、ちょっと今年思ってたりすることだったりするので。今それがね、随想集というのが出たからって売れるかどうかは分からないけども、そう、まさにここに今コメント頂きましたね、「バタフライ・ポチッと」んふふふ、だからバタフライ・ポチッとして頂けるポチッとみたいなものがあった方がいいのではないかなーと思って書いております。なので、去年、年末にでたんですけどね、「角田陽一郎随想集〈1〉激しく健気な頃の夏を取り戻せ!」が出ましたし。来週〈2〉を出そうかなーと思っています。タイトルはまさに一昨日そうでしたけども。「角田陽一郎随想集〈2〉確実に降り積もる吹雪の夜の翌朝に」というタイトルで行こうかなと(笑) その翌朝に2巻目を出そうとちょうど編集してたものですからみたいな。そんな感じでございますと。あ!ぴったり30分になりましたので、今日の配信終わりにしたいと思います。また来週よろしくお願い致しまーす。

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文字起こし後の文字寝かし

(好き勝手に思った感想を書き残しておくことを文字寝かしと言うことにしました)

 今回ちょっと”ここメモっとこう”が多かった。こういうことが多いから文字起こしになったんだけども。メモして全部覚えられない、全部体得できないところがもどかしい。それが出来るのは天才だけだとも思うけども。
 ──つまり角田さんは「メディアというのは場ではなくソーシャル的に繋がっていくことの総体であり、繋がりとは内観と外観であり、内観と外観の行き来が作品だ」ということで、ご自分がずっと前から言ってる「フレームからボルテックスの話」をしている。メディアは場(枠)ではなくソーシャル的繋がり(渦)だってことと、繋がりは内観と外観の行き来(渦)だってこと。面白いの転換。だから渦が作品であり、渦は出入り自由ということが内観と外観の行き来であり、作品の価値の決まり方(作品自体、作品が生まれた時と背景、鑑賞者(自身の時と背景を含む))も渦である。
 メルマガでバラエティ・フィクションをもう一度読んでみたけど、やっぱり枠と渦の話が何重にも重なっているように思う。それがバラエティ・フィクションなんだと言ってるのかな。点であり線であり何重もの縦横無尽な面である。クリエイターは神(角田さんらしい)。その下のworldとsocialとhumanはそれぞれmediaで繋がっている。wipeは神目線のリアクションで、humanがactionだ。

 白鯨…たぶん読めない。内容も全く知らない。それは「老人と海」も同じ。私の様に文章読解力がない者が本を読みやすくというか、途中で投げ出さないためにする一つの手として、映画やアニメ、5分でわかる系まとめサイトで内容を知ってから読むというもの。本末転倒な気がするけど、要は塊が大きすぎて食べられないので、一口大にして先に味だけ知っておく感じ。5分で系だと普通にネタバレするから物語の面白みは無くなる事が多いけど、この話の流れでどうあのラストへ行くんだ?という楽しみだけでも十分面白かったりする。この機会に白鯨もこの手で先に少し知ってみよう、少なくとも老人と海とセットで知って違いを分かっておこうと思った。
 角田さんの言う哲学的というか鯨の話とかしてて全然出航しない、船長も出てこないということについて、鯨漁というひたすら追う時間の長さ、つまり船上の暇すぎる時間の表現であり、漁船の一員としての感覚が味わえるということらしい。つまり5分で系で知るから読める様になるのはこういうところ。

 バラフライエフェクトなのか、バタフライ・エフェクトなのかで検索。そうだ、そんな映画があった。ちょっと観てみよう──ということもバラフライ効果。(結局効果と書く。)
 ついでに「風が吹けば桶屋が儲かる」。こちらは複雑な因果関係のことを言っていて、バタフライ効果は「小さな出来事が後々大きな出来事の引き金に繋がる」という意味なので似ているが違う。拝見したサイトでは桶屋は因果関係、バタフライは予測困難性と分けていた。桶屋は「意外なところに影響が出る/当てにならないことを期待する、思い込み」という意味。この期待と思い込みの意味がバタフライには無く、バタフライの意味の「小さなことが大きく」は桶屋にはない。
 ちなみに株式相場の格言「相場は相場に聞け」も一緒に紹介されていた。自分の予想をあてにするより臨機応変な対応が肝心という意味だけど、どれほど予想しようと当てにならないものだ(でも後から見れば因果関係は分析できるってことを言ってるのだろう)という意味で桶屋と似ているとのことだった。

 繋がった。というか解決した。師匠が言う「好きなものの方が売れた」は「あなたの良い気が込められるものを作りなさい」という、売る話じゃなくて価値観の話だ。それが売れるかどうかは角田さんの言う様に良いと思うからといって売れるとは限らない。実はライブ中はこのお返事が引っかかっていた。なんか自分の言いたかった事が伝わってないなと。
 給湯流作動の半休さんが言ってた世阿弥の言葉「得意なことばっかりやっても飽きられる。今の客が何を求めてるか考る。」需要に対する臨機応変な供給。これが心に刺さってたけど、しかし師匠の言ったことと逆だなとずっと引っかかっていた。
 師匠の言った事、角田さんのお返事、世阿弥の言った事、つまり価値観は臨機応変の土台にすべきであって、私はずっと価値観と臨機応変を別物として、売るという台の上に両方置こうとして置けない、置けないと悩んでいたんじゃないかと思う。
 角田さんと逆の順序で解決したのかな?分けて考えて凹まないじゃなく、繋げ直してみた。よく視座が高いというけど、大局を見ることも大事なんだけど、視座が縦横無尽であるということの方がずっと視座”のレベル”が高いんだろう。一見当たり前なことを言ってる様でも。

 作品がメディア。マスメディアの話を見ていて妄想していた。多くの人が同じテレビを見る。すると何かしら情報を受け取る。受け取った情報という形は同じなんだけど、その情報に対する気持ちという色は全然違う。それがなんだか電気的なコピーの量産で生じるバグとかコピーミスみたいな気がした。スマホやパソコンみたい。工場出荷時は均一なのに、使用者ごとにカスタマイズされていく。人のスマホって使いにくい。元を辿れば工場出荷時という同じ形になるのに。

 チャットに書かれてたグローブスペックスってなんだろうな?と思って検索。メガネのブランドじゃなくて世界一の眼鏡屋さんだったから、たぶん眼鏡のツルにグローブスペックスとは書いてないな。世界最大の眼鏡展示会で最優秀賞の世界一の眼鏡店になったから世界一なんだとか。近くに行く事があれば覗いてみたいな。眩しいのがとにかく苦手だからサングラスには用があるし。



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