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ICUC-126_2022.9.11【歴史学者という病とBULLET TRAINと満月】ICUC知的好奇心向上委員会

【ICUC知的好奇心向上委員会】の私の知的好奇心の向上&趣味の文字起こし。I see, You see ! Intellectual Curiosity Update Committee !

角田陽一郎126「歴史学者という病とBULLET TRAINと満月」ICUC知的好奇心向上委員会

講談社現代新書 『歴史学者という病』本郷和人著を一気読み。こんなにぐいぐい読むのは稀な程読まされた。一方でこの新書が好きかというとなんか好きじゃない。多分、学者の自己顕示欲というか歴史の沽券というか教育の欺瞞というか、まさに“歴史学者の病”について明け透けに書かれているからだと思う。

映画 『ブレット・トレイン』おもしろかった!僕は好きだな。
伊坂幸太郎的偶然の重なり合いが楽しいし、
ブラピがかっこいいし、他のキャラも魅力的だし、
ヘンテコ描写の日本がフィクション性を増すから殺し屋の殺し合いの奇想天外さを娯楽として楽しめるし。

角田陽一郎 オフィシャルwebサイト

mireva channel

動画の内容(+文字起こしメモ&感想)

歴史学者という病

 おはようございまーす。角田陽一郎と申しいます。バラエティプロデューサー角田陽一郎の知的好奇心向上委員会という名前でかれこれ100何回やておりますが、今週もそんなに話したい気分かと言うとそうでもないんだけど、まあ、つらつら話してみようと思っております。すいません、お付き合いして頂いてる方には感謝申し上げますが。
 えぇと、今日タイトル何にしたんだっけな?『歴史学者という病とBULEET TRAINと満月』ってタイトルにしましたけども。「歴史学者という病」ってのはこれですね。何か最初の頃のICUCって本を紹介してましたけど。講談社現代新書で──えーと、出たばっかなんだよな確か。2022年8月20日って書いてあるからまだ出たばっかんですけど。これは本郷和人さんっていう東大の史料編纂所教授…が書かれた本なんで。ちょっとネタに、ネットにね、部分々々でてたりしてて、それ読んだりして。ちょっと読んでみようかなーと思って読んでみたっていうことです。
 あと『BULEET TRAIN』はこれね、ブラピの映画。これ僕昨日観てきて。これ、ブレットってバレットって読んでましたよね?昔ね。んふふふ。”弾丸”をね、バレット、ブレット…うん、まあどっちでもいいんですけど、ブレット・トレインという映画を観てきましたと。
 で、何だ?昨日が満月だったっていう。なんか今日はそんな話をしてみようかなーなんて思ってます。

 でね。えーと、どこから話そうかなと思うんだけど。さっきこれ読み終わったからこれについて読んでみようかな…読んでみようじゃない、喋ってみようかなーと思うんですけど。喋る前にまとめた方がいいと思ってTwitterで呟いたんですけど。

講談社現代新書『歴史学者という病』本郷和人著を一気読み。こんなにぐいぐい読むのは稀な程読まされた。

 うん、読まされたんです。すぐ読んじゃった。

一方でこの新書が好きかというとなんか好きじゃない。多分、学者の自己顕示欲というか歴史の沽券というか教育の欺瞞というか、まさに“歴史学者の病”について明け透けに書かれているからだと思う。

 ってことを書いたんですけど。うん、140字にまとめるとそういう事なんですけど。うん…いや、あの、ぐいぐい読まされてしまうっていう意味では本当してはすごいんだろうけど、…なぁーんか好きくないです。んふふふ。いや、この本郷さんって方と出来ればお話ししてみたいですね。僕よりちょうど10個上の歴史学者ですけどね。
 で、今140字で喋ったことがほぼ全てなんですけど。それを超えてもし僕が何か思うことを言うとですね。うーんと…自分が『最速で身に付く世界史』みたいな歴史の研究家、歴史学者ではないのに歴史の本を書いてるっていう、やっぱりちょっと歴史に対するある想いみたいなものがあって。で、それが歴史学者の方が仰っている事ということの、なんかこう…違和感みたいなものを1個あるってのはある。あともう1個は新書ってこういう事なんだっけ?ってのもちょっとある。
 うん、この方のね、なぜ歴史学者になったのかが幼少期から書かれてるんですよ。で、その時の想いみたいなものがすごい明け透けに書かれていて。そういう意味ではすごい面白いと言うか。うん、参考、勉強になるなーとは思うんですけど。
 一方でこの方が大学で先生をやっていての、その前の大学院に行ってとか、学部生をやってたとか、そういう時の逡巡と言うかそういう物が僕も2019年から東大の文化資源学ってところに在籍して。今現在博士課程に在籍していて。で、今年の4月からはね、2つの大学で非常勤講師をやっているっていう意味で言うと、この方の仰っているその問題点とか、これじゃいけないんだみたいな事とか、すごく、すごく感じ入るんですよね。
 で、感じ入った上で…う~ん、何か上手く言葉に出せないな。っていう感じなんですけど。うん、まあ読んで頂いた方がいいかも知れないですね。もしご興味がある方は。歴史というのは一体何なのか?って事を僕が今その…ね、『最速で身に付く世界史』の話を話しましたけど。今僕がもう1個歴史の本を書いていて。それがなかなか書けないんですけどね。それに通ずるものがあって。いや通ずるものがあるからこれが発売されたのを急いで手に入れて。急いで読んで…急いで読んでと言うか、急いで読むほどの価値がないものだったら急いで読まなかったんだけど、急いで読まされちゃうほどの本ではあったんだけど。うん。
 そう、ね?今ね、コメントで「表紙がなんか怖い」って書かれてるんですけど。そうなんですよ。表紙が怖いじゃないですか。……うん、だからそれでいいのかな?と思うんです。でもそういう風にすることで売れる様に作ってるってことなんでしょうね。講談社さんは。講談社現代新書さんはね。それが、いやあ売れた方が勝ちなんでしょうね。だからそれでいいのかなーなんて思ったりはするんですけど。
 うん、なんか僕は常々言ってる”学問のエロティックさ”みたいなものがね、なんかね、う~ん…いや僕なんか学問の専門家じゃないから思うんでしょうね。学問に感じている淡い恋心みたいなものが現実を突きつけられると何か嫌だっていう感じ?学問ってものにもっと夢を持して貰っていても…いや、研究者の方が研究者に向けて言うなら別にそれは勝手にやってくれなんだけど。一般の読者、あるいはただの歴史好きな私、ただの歴史好きを超えて歴史の本を書いてる私的にはなんかすごく…う~ん、なんかね。何かなんかを感じてしまうっていう事を言いたい…んですかね?うん、何かそんなことを思いました。

『歴史学者という病』著:本郷 和人

BULLET TRAIN、豊津徳

 で、一方でね。昨日満月にブレット・トレイン観てきたんですけど。いや面白いかったです。あの、面白かったと言うのはどういう意味でで言うと。僕あのやっぱりそんな人が殺し合うのとかやっぱり好きじゃないですよね。これ何回もICUCで言ってんですけど。いや元々嫌いじゃなかったんですけど、なんか自分が歳取ってきて死という物が、身近な人が亡くなったとかどんどん身近なものになってくると、例えばガンダムとかでも人が死んで悲しむみたいなのとか、スターウォーズとか観ててもどんどん死んでいくじゃないですかみたいな。で、まあ悲しいとか復讐とか。何かそういう物をこの世界が悲しいのに敢えて観る必要があるのかなーみたいな。何かフィクションが観られない病になって来てるのかなーなんて。さっきのが『歴史学者という病』という意味で言うと『フィクションが観られないという病』みたいなね。何かそんな物をずーっとずーっと感じてたんですけど。
 それこそ6月かな?に、東京画廊の山本豊津さんと話した豊津徳【HozuTalk】ってのをね、月イチでやってますけど、その中で『戦争とアート』っていうタイトルで喋ってる回があるんですけど。その回の豊津さんのお話があまりにも面白いんで、文字起こしをしてみたんですよ。文字起こししたのまさにちょうど昨日アップしたんですけどね。

YouTube 豊津徳22【HozuTalk】「戦争とアート」

 で、そうするとその中でね、本当に戦争とアートについて。本当にこの文字起こしはnoteに置いてあるんで、ぜひ読んで頂きたいなと思うんですけど。動画を観て頂いた方も文章で読むとね、もっとなんかこう…何かね、感じ入るものがあるんですけど。
 その中でね。後半の方でアニメってのは何で戦う、戦争のアニメが多いんだろう?みたいな事を豊津さんから問題提起をされてね。で、観てた時に、まあだから戦争と言うか人を殺し合う作品をね、何でこんなに人はね観るのか?みたいな話をしてるんですけど。まあその話はそこの豊津徳の文章で読んで欲しいし、動画で観て欲しいんですけど。僕としてはね、ウクライナで戦争が始まってからね、むしろトップガン・マーベリックは楽しめたんですよね、うん。何か僕の中での戦争というものへの、なんかこう、戦争というものがリアルに起こってしまっている事に対するフィクションとしての戦争というものがよりフィクション感が増してるというかね。上手く言えないんだけど。
 うん…って思った時に、この映画ね、伊坂幸太郎さんが原作なんで、伊坂幸太郎さん的にソコとソコが繋がるんかい!とか。ソコとソコが偶然なのかい!みたいなワールドが面白いというかね。そういうのが散りばめられつつ、ブラピはカッコいいしね。で、ブラピはカッコいいし、他のタレントさんとか俳優さんも超カッコいいし。何が一番いいって、何かインチキ日本じゃないですか。だからあの…ね、西洋人が描く寿司、芸者、腹切りの日本みたいなもので新幹線とかが描かれていて。トンデモ日本なんですよね。で、あのトンデモ日本みたいなものを嫌いな人とかもいるかも知れないけど、僕そんなに嫌いじゃないんですよね。なんか面白くて。こういう風に見られてるんだなーみたいな。だから新幹線が出てきますけど、新幹線の中のシステムとかが意外にフランスのTGVみたいなね。何か、アメリカの…アメリカの電車乗った事ないか俺(笑) でも何かヨーロッパのああいう新幹線的なものの仕様に似てるよなーなんて思ったりすると、ちょっと面白いんですけどね。って言いながらトイレにはウォシュレットがあって、ブラピが楽しむとかね。まあそういうシーンもあったりするんだけど。
 そういう、こう…インチキ日本っていう圧倒的に奇想天外なジャパンというか日本が描かれていると、もう100%フィクションじゃないですか。だから100%フィクションの中でヤクザ同士、殺し屋同士が殺しあってても何か悲しくないんですよね。うん。っていう意味でピュアにフィクションとして楽しめたんですよね。
 だからね、この映画とこの作品、『歴史学者という病』って、何かね、アプローチが真逆なんですよ、たぶん。(ブレット・トレイン)完全なるフィクションっぽい。(歴史学者という病)どう歴史学という事実、ファクトについてっていう事を書いているみたいな事を言っていると、すごいフィクションに寄っている事によって何か僕の中での楽しみ方がピュアに楽しめたんだけど。こっちは歴史という物が…うーん、でもどう解釈するかですごい変わるじゃんみたいな事を仰ってて。どう解釈するかっていうのって、ちょっとフィクションを作るって事に似てるじゃんとか思ったりするというか。何かその辺のね、何かこう、実はこの映画と現代新書は表裏一体な様な気がしてたんですよね。だから今日一緒に話してみようかなーとも思ったんだけど

枝分かれした別の世界

 で、それを起点にしているところで言うと。満月なんですよね。僕の中では。まさにね、昨日満月で、すーごい月がね、大きいですよね。中秋の名月。うん、だからその…何かね、海まで散歩してたら、つい何かちょっとね、──その前日か、走ってみちゃったりして。そしたら東の空にね、すんごい大きい月がね、あってね。僕は何かその月を見て、月ってこんなに大きかったんだっけな?って思ったんですよ。うん。で、ちょうどね、満月なので、そういう意味では僕はいつも新月と満月の日に自分のメルマガを書いてるんで、その事をまさに満月の日に書いたんですけど。タイトルは『枝分かれした別の世界』っていうタイトルで書いたんですけど。小項目で言うと「なんで地上から出てきたばかりの満月は、あんなにも大きいのだろう?」って。で、大きい理由って何か色々目の錯覚だとかね、対象物があるから…地上ととか、色々あるんだけど。子供の頃あんなに月大きかったっけな?と、ちょっと思ったりするわけですよ。
 で、そう思った時に、小項目、メルマガの小項目2つ目は「オレンジ色の夕景は、昔はあんなにも綺麗だったのだろうか?」っていうことを書いたんだけど。うん、何か時々夕焼けを見てると子供の頃の夕焼けってあんなにオレンジ色だったっけなー?なんてちょっと思ったりするんですよ。ってことをもう10年前ぐらいに思って…ってことを書いてます。
 でね。そうするとメルマガ、もしよろしければ読んで欲しいんだけど。村上春樹の小説、そこからちょっとだけ読むと。

村上春樹の小説『1Q84』の世界では、月は2つあります。でも、それもある瞬間、主人公が首都高渋谷線を走っているとき、三軒茶屋か大橋あたりで、世界は別の世界に分岐したからなのでした。

僕は、オレンジ色の夕景を見て、この世界も、どこかで分岐したんだと想っているのです。それもかなり本気に。

だから、僕が生を受けて、子供時代を過ごし、学生時代を謳歌し、20代、30代と過ごした世界とは別に、今の世界は枝分かれした別の世界を生きているんだって、それも根拠なく、ほとんど妄想ですが、でもかなり本気で、そんなことを想っているわけなのです。

 って事とね、書いたんですよね。で、たぶんそんな事を思ったのってね、ちょうどエリザベス女王が亡くなったっていう。だからまさに自分が歴史の本を書いている時にエリザベス一世とかが出てくる中でエリザベス二世が亡くなり。チャールズ皇太子がチャールズ…、キング・チャールズ・ザ・サード、チャールズ・ザ・サードになったわけですよね、チャールズ三世に。で、チャールズ一世とチャールズ二世って、何でしたっけ?名誉革命でしたっけ?だから何かそんな時の時代だから、すごい歴史的な、たぶん自分の中で頭がそうなってるでしょうね。
 そんな中で。何か、さっき言ったこの『歴史学者という病』っていう、自分が歴史の…これはだから自分は歴史学者じゃないからそんな歴史学の論文を書いてる訳でもないという意味で言うと、歴史という物が何なのか?ってことをすごい考えるタイミングに『歴史学者という病』を聞いてしまったので。何かこう…すいません、汗が出てくるな(笑) 何か、すごい感じてるのかも知れないですね。
 で、それは先週話した、何かね、こう、そんなに自分…だから先週も話しましたけど、それ以降おはようございますSNSはやってなくて。でも自分が思った事は別に呟いてるから、そんな変わらないと言えば変わらないのかも知れないし。うん…何かね、色々思えるんですよね。

俺はもう死んでいる!

 で、そんな中でね、9月6日か。ちょうど9月6日にね、何か思ったことがあってね。その時に僕はTwitterでね、杉作J太郎さん、「男の墓場」のね。「オトナの!」って番組に2回ぐらい出て頂いてるんで面識はあるんですけど。でも杉崎さん僕とちゃんと話したことないよなー。僕、杉作さん好きなんですけどね。杉作J太郎さんがね、書いてたTwitterが何か僕の中ですごい惹かれたんですけど。ちょっと読まさせて頂くと。

私事ですがもともと人とうまくやれないし話もまずあわない。協調性もない。よくやってこれたと思ったらそれは気のせいで実はやってこれてない。俺は俺に言おう。「俺はもう死んでいる!」のだが謎の胆力で幻を紡いでる。組織とは馴染めないから自分を組織にした。この晩夏で19周年。墓場プロ。

 そう。このね、「俺は俺に言おう。「俺はもう死んでいる!」のだが謎の胆力で幻を紡いでる。」っていう。ああ、この謎の胆力って何かすごい何か分かるなーって思ったんですよね。うん。何かそれがすごく、すごく、僕の中では今週の火曜日、6日の日に何か惹かれたんですよ。うん、僕これについて、これを書いた時に僕ちょっとメモったんですけど。

人は孤独なのだ。僕は孤独なのだ。
圧倒的孤独。世界は漆黒の闇だ。
ならばそんな空間で残りの限られた時間を
1人で生きて行かなくてはいけないのだ。
他者に頼らない。他者を愛さない。
己の身体と精神で世界を享受する。
今日から1人で生き抜いていく。

 って、杉作J太郎さんへのアンサーみたいな意味で胆力としてたぶん僕は表現してるんだと思うんだけど。何かそんな事を思ったんですね。

悪球に振る

 で、そんな事を思ってて、翌日の水曜日には久しぶりにリモート会議を3つぐらいやったんですけど。何か新しい出会いって言うか。いや皆んな知ってる人達だったんだけど、知ってる方だったんだけど、何かちょっと新しい事を雑談しますかみたいな事で。本当にね、たまたま3件ドン、ドン、ドンとやったんだけど。1件目なんてね、何かすごい今年一番くらい話が盛り上がってね。うん、何か新しいことがやれたらいいなーみたいな感じになりましたし。2つ目とかもね。まだ全然続きですけど、なんて言うんだろう?もっと大きくなったらいいよねーみたいな事が話せたし。で、3つ目とかはね、3つ目についてはまさに呟いてるんですけど。

今日3つの対面会議はどれもワクワクする展開だった。特に最後の方なんて「角田さんストライクの球打って得点とか目指さなくていいから、むしろ悪球とかを好きなようにブルンブルン振ってください!そっちの方がおもしろいのが生まれるから」と云ってくださった。創り手としてこんな嬉しいことはない。

 そうなんですよ。3つ目の方はね、昔から知っている方なんだけど。一緒にやりましょうよって言ってくれた、声を掛けて頂いた事もすごい嬉しいんだけど。で、ストライクとかを狙ってって言うから、ああストライクとか狙ってヒットする物を作りましょうって意味なのかなと思ったら、ストライクとか狙ってーとか言われますけど、角田さんは狙わなくていいです、みたいな。もうぶるんぶるん降って下さい、もう悪球とかボークみたいな、暴投みたいなものを。何かそっちの方が面白いっすよって言ってくれてね。これは何かすごい嬉しかったんですよね。うん。
 だからそれがね、さっき僕が杉作J太郎さんのTwitterで言いましたけど、『俺は俺に言おう。「俺はもう死んでいる!」のだが謎の胆力で幻を紡いでる。』っていう、その胆力と幻ってそう言う事なのかなーなんてちょっと思ったりしてね、みたいなのは水曜日でしたね。
 で、そんな中でね。そう思うとすると、じゃあ本当に悪球打ちまくるか?!みたいな事を思って。ずーっと思ってるんだけど。その時書いたんだけどね。

そうか。クリエイティブをサスティナブルにするということは、毎回繰り返しだからカタチができて容易になっていくという場合と、毎回新しい側面を加えていくから困難が増えていくという場合の、両面があるのだな。
容易さと困難さ、そのミクスチュアの按配が作品のオリジナリティなんだ。
なるほど。

 って書いてるんですけど。そう、何か僕も言うても10何冊本を書いたりとか番組というかそういうのを作ってて。何か毎回毎回どんどん苦しくなってるよなーみたいなこともあったりするわけです。でも一方で毎回毎回経験を積んでるわけだから、わかってる事とかもあるという意味で言うと、何かどんどんソフィスティケートされていくって言うか、洗練されていくんじゃないかなって、何かずーっとずーっと思ってたんだけど。…いや別にアイデアが枯渇してるならともかく、アイデア自体は僕の中ではまだ源泉掛け流し的な感じで。掛け流しって言うか垂れ流し的にはどんどんアイデアが出てきてるんで、それをどう形にするか?って言う時に、毎回繰り返しだからもう出来てるという意味では容易なんだけど、それを毎回やってるという事だとマンネリだから、新しい側面を加えていくというのってのは実は困難が増えていくんだなーってことをね、すーごい気付かされれるんですよね。
 だから自分がね、書いた地理の本とか世界史の本とか読み直してみたら、こう言っちゃなんだけど、すっごい面白いんすよ!んふふふ!ああ、何かすげぇ良いこと言ってるじゃん!みたいな。その視点とかよく気付いてるな俺!とかってところを、結構、これでもか!これでもか!って書いたりして。…な割にはそんな売れてないなとか思うと。何なのかなーなんて思ったりする時に、さっきのね、悪球をぶるんぶるん振って下さいよって言われた話じゃないんだけど、何かそういう物を自分の中でストライクゾーンに投げよう投げようと…してないと言っときながらね、言っときながら実はしてたのかなーなんて思ったりするわけですよ。
 とするとね、自分はバラエティプロデューサーなんだけど、つまりさっきのこの『歴史学者という病』という本に戻るんだけど。僕の中でのたぶん『バラエティプロデューサーという病』ってのがあって。その病というものと歴史学者という病って何か似てるんですね、きっとね。たぶん似てるんだな。あの、全然扱ってるものは被ってるところもあるけど被ってないところもあるんだけど。いや、何か似てて。そこを読めば読むほど何かね、明け透けにされるんですよ。それが何か読んでてね、すっごい気持ちが──うぅーん、何か、そんなに気持ちよくなかったっていうのがこの本だったんじゃないかなーって思ったりするんだよな。
 一方でね。さっきのブレット・トレインで言うとね。フィクションじゃないですか。だからバラエティプロデューサーという世界もね、この歴史学者というものもね、もしかしたらフィクションに行ければね、安心…安心と言うか、うーん、何かこう、気持ちいいところに居れるんだろうなーってところが居れないという様な事に気付かされるみたいなことかなーなんて思ったりするんですよね。うん。まあね、そんな様な事を思ってます。

お尻のおできは執筆活動の大敵

 で、今日。もう今日はそういう風にさっきのクリエイティブな事というか。自分がね、今描いてる物を本当にこう書きたいなーと思って。今日、今から11時間前に呟いてるんですけど。(笑)おはようございますSNSやってないじゃんって言いながら結構呟いてるなーとか思うんだけど。

文章を書くこと、作品を生み出すことは、脳内を彷徨いながら出口を見つけることであり、そのためにはまずは入口を見つけなければならない。
今日、見つかるかな、入口?
見つかりそうか予感が、ここ数日しているのだ。いろいろ探し回って、かれこれ一年近く彷徨っている。
今日、見つけたいな、入口!

 っていう様な事をね、呟いてて。今日午前中は本当にちょっと、その入り口まで行こうかなーなんて思ってやってたんです。やってたんだけど、ちょっとね、色々こう、1つのやり取りをリモートとかでやってたりしたら、何かね、ちょっとそんなに気持ちが乗らない様な事も何かあったりしてね、2、3件。でも2、3件あった事でね、何かせっかく脳内を彷徨って、やっと入り口のドアに手を掛けたかなーと思ったところ、何か入り口まで辿り着かなかったんですよね。うん。
 で、辿り着かないから『歴史学者という病』を読んでいたら(笑) こんな感じになっちゃったっていう様なのが今日、ですかね。うん。
 いやだから、何か面白いっすね。その人っていうのは所詮1人で生きてるわけじゃないから、その人にいろんな人とのやり取りがあったりとか。事件というか大した話じゃないけど何かあったりとかするじゃないですか。で、その1個1個の小さいこと、大きいこと、たくさんあるんだろうけど。いや何でもいいですよ?じゃあ椅子に座っててお尻におできがあって痛いって思ってると、デスクに向かってパソコンで文章を書いてても”お尻が痛いな”ってことでなかなか進めないじゃないですか。だから実はお尻のおできって結構執筆活動には大敵ですよね?みたいな。お尻のおできなんて些細なことかも知れないのにね。
 みたいな事って、そのお尻のおでき的な事ってすごい起こるじゃないですか。何でもいいですよ?お金の事とか、仕事の事とか、人間関係とか。そういうものとかが自分の生み出している作品に全然直結してないんだけど、結果、インフルエンスしていくっていうのって、何か…歴史だなーなんて思ったりするんですよね。うん。
 まあ、こんな気分になってるのもさっきあれだな、『鎌倉殿の13人』を観たからかも知んないな。うん。あれは三谷幸喜さんはすごいっすね。面白い。面白いし怖い。何か人間というものがすごい出て来てますよね。あの人すごいなぁ。でもそれフィクションなんだよな。歴史なんだけど…みたいな。何かすごいそんな事を考えてしまうタイミングにパパパパパッと歴史というもののが自分の中に襲って来てるのかなーなんて思うと、自分という人生という歴史みたいなものも考えるし。うん、何かそんな気分なのかも知れないですね。

 うん。何かあれですね。こう…どうでもいいんだけど、何か顔が赤いなーと思いました(笑) 別にお酒とか飲んでない、うん。何か顔が赤いっすよね。あと何か今日とか鏡見ててちょっと思ったんだけど、なんか自分の顔が嫌な顔になってるなーってちょっと思ったりして。でもそれって色々なお尻のおでき的な、ちょこちょこした嫌な事みたいなもので自分の顔が嫌な顔になっていくのかなーなんて思うと、すごい嫌だなーなんて思ったりとかね。それがこう、どんどんこう、年取って嫌な顔になっていくなーが、自分の父に似て来てる感じがして。それはそれでまた嫌だなーとかね。何かそんな事を考えた、9月11日。911ですよ、今日は。はい。ではまた来週よろしくお願いします。

文字起こし後の文字寝かし

(好き勝手に思った感想を書き残しておくことを文字寝かしと言うことにしました)

 全くその通り、バレットだった!観ようと思ってなかったので気にしてなかったけど、バレット・トレインと聞いてたら私だって弾丸電車ってことかなと思ったはず。
 何も聞いてなくてもそんなに興味を持たなかっただろうけど、コトブキさんが対談されていた松崎悠希さんがブレット・トレインについてもぶった切られていて。詳しくどこがいけないとは仰ってないんだけど、先にそう聞いてしまうとそういう視線でしか観られなくなる効果はあるなと思った。映画監督のさかはらあつしさんはご自身のYouTubeチャンネルで「原作にはこんな風に外国人は出ていない。タランティーノをもっとぶっ飛ばして、日本を知らない人が無理やり調べながらマッシュアップした感じ。それでお客さん入ってたんだからすごい。」と話されてて、松崎さんがおっしゃりたい部分が何となく想像がついた。
 さかはらさんはご自身の企画に自信が持てたとも仰ってて、それは良かったなと思うし、角田さんがいう様にリアリティ無しなのでエンタメとして観れば楽しいというのもよく分かる。自分に置き換えると、日本軍とか、火垂るの墓とか硫黄島とかは観られないけど、自分にとってフィクション色が強くなる時代劇や洋画なら観やすさの敷居は下がる。角田さんはリアルに戦争が起こるとフィクションとしての戦争のフィクション感が増すとも仰ってたけど、それって事実は小説よりも奇なりってことだ。やっぱり小説は”小説”なんだって良くも悪くも思う。

 学問のエロティックさ。学問じゃなくて普通のエロティックさは人によってずいぶん違いがあると思うんだけど、学問のエロティックさにも同じぐらいエロく感じる部分の差が広いのかも知れない。いつだったか殴る蹴るの暴行でないと性的な快感が得られないという人の漫画を読んだことがあるけど、殴られる方も殴る方も怪我をすることは目的じゃないので、事前に殴打の加減とか、日常生活に支障のない場所を確認してからプレイ開始する…なんて話があった。そもそもの心の闇についても描いてあって興味深かったんだけど、とにかく一般的な性交とも暴力とも違うことに、そうなんだとは思うけど、それ以上の納得というか体感はどうやっても出来ないんだと思った事があった。
 という感じで『歴史学者という病』の表紙も内容も、角田さんが体感出来ないエロティックの表現だったりして。レビューを見てみたけど、半生期ではあるけど反省ではないとか、個人の後悔ばっかりというか、そんな自意識を堂々と書かれても…みたいなものが多かった。病的とか病んだ人の本心みたいな意味で見ると、あの表紙は釣りというより内容と合ってるような気がして来た。…ので買った。私には何かを論じられても分からないけど、その人の心のうちなら読んでみたい。反省って、たぶん半生を振り返る行為の赤裸々さを言ってるんじゃないかと予想している。

 豊津徳文字起こし。1回読んだんだけど、今日みたら小項目が付けてある!しかも項目がすっきり綺麗。これはお勉強になるからもう1回見出しを気にして読み直そう。話の流れからココからココをひと項目として拾おうというのは、私にはやっぱりすごく難しいのだ。

 おはようございますSNSはやってないけど、思ったことは呟いていて。よかった、言いたい事を外に出してるなと少々安心。結局同じかも知れないけど、毎朝おはように続けて何かを言わなきゃということでタスク感が出てしまう。ICUCだってそうだけど”続いてる”の定義の解釈次第なんだ。
 定義とか解釈とかで思い出した。よく肩書きは言ったもん勝ちなんて言うけど。それはあなたの理想や希望であって、今のあなたじゃないじゃん!嘘じゃん!詐欺じゃん!って思う、大きすぎる肩書きは私は好きじゃない。そう言い切りましょうと指導されてすごく反発感したこともあった。今は物を作ってるから職人か?問題があったけど、私の中では職人と言っていいのはそれで生活出来ている場合という解釈だったけど、職人の単語の意味を見ると、それを職業としてる人としか書いてなくて。赤字か黒字かは書いてないし、職業の意味の方では生計を維持するために日々従事する仕事であり、それ一つで生計を維持等々はなかったし。ならば作ってるなら職人って言ってもいいのでは?言うことで主婦の趣味のレベルにはしないぞって気持ちが強く持てるのでは?と思ったりしている。
 続いてるかどうかも、もっと柔らかく解釈してもきっと大丈夫だと思う。

 角田さんはお尻のおできの例え好きだな(笑) やったことあるから辛さはすっごく分かる。指先のささくれも、蚊に刺された痒みも、夏の湿度も、集中力を妨げるものは本当に多い。

 配信が終わったあと、角田さんのこんなツイートがあった。今は少しでも落ち着いていたらいいなと思う。多くの人は角田さんの様な悩みが起きても、もやもやするってだけで特に何もしないんじゃないかな。家族などに当たるってことはあるかも知れないけど、で、次にどうしようか?は先延ばしにして、そのうち歳に負けてしまう。どうもおかしい調子と向かい合う人もいるんだというお手本だ。

 角田さんのナイスリツイート見て、今週も乗り切る。この子と同じ事して「楽しいね!」と言い合いたい。


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