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ICUC-135_2022.11.20【ヒットしなくて生きていく方法】ICUC知的好奇心向上委員会

【ICUC知的好奇心向上委員会】の私の知的好奇心の向上&趣味の文字起こし。I see, You see ! Intellectual Curiosity Update Committee !

角田陽一郎135「ヒットしなくて生きていく方法」ICUC知的好奇心向上委員会

作ってもなかなか当たらない。だからこそ当たらないものをいかに長くやり続けられるか、それがサティスナブルじゃないかと常日頃思っているけれど、今日その仕組みが解けた気がする。当たらなくても生きていく方法。
つまり二つのやり方があるのだ、当たるのを目指すか、当たらなくても生きていくか。

https://www.instagram.com/reel/ClKXpXODiXQ/?utm_source=ig_web_copy_link

角田陽一郎 オフィシャルwebサイト

mireva channel

動画の内容(+文字起こしメモ&感想)

違和感

 おはようございまーす。知的好奇心向上委員会でございますと。今日は11月の20日でございますが、私はちょっと移動しておりますので、せっかくなのでその間に喋っちゃおうかなーなんて思って、ICUC知的好奇心向上委員会やっております。バラエティプロデューサー角田陽一郎です。
 なんかね、今週はね、実は話したいトピックが結構あるんですよ。そういう時って…だから、難しいですね。トピックが複数にまたがっちゃうと話が散漫になるじゃないですか。…まあ、そっか。まあトピックは1個だろうが2個だろうが複数だろうが、散漫か、いつも(笑) なんて事でそんなに気にせず喋ってみようと思うんですけど。
 どこから話そうかな。自分がトピックで思ったことって意味で言うと、分かった事があるという事なんですね。で、分かった事があるって話をしようと思ってるんだけど。それをはなっから話した方がいいのか?それを後半にしようか?みたいな事ぐらいは今悩んでて。後半にしようと思います。なんだよ!って話ですけど(笑) はい。

 あの、なんかね。ふと思った事ですよ?ある編集者さんがいるんですよ。知り合いぐらいです。1、2度お会いしたことあるかなーぐらい。僕の編集はされた事ない方なんですけど。その編集者さんの方、まあそういう意味ではちょっと有名な方なのかな。だからこれ以上細かく言うとバレちゃうなーとか思いながら。
 なんて言うんでしょうね。その方ってすごい有名な方をね、著者にして編集している方なんですよ。だからそういう意味ではすごい能力のある方なんだろうなーとは思うんですけど。なーんか僕はね、ちょっとした違和感。違和感っていうのは好きとか嫌いとかじゃなくて、その人の行動とかにちょっと違和感を感じてたところがあるんですね。で、
 それって本当に違和感なので、好き嫌いじゃないです。最初に言っとかないとコイツのこと嫌いなのかよって思われちゃうとアレなんだけど。なんか、尚且つそんなにすごい仲良い方でもないから、その方のSNS上とかね、お会いしたことある時の感覚も含めてね。なんかちょっとそういう違和感みたいなものを感じてたんです。で、それは何でなのかなーなんて思ってたんだけど。最近何なのかが分かったっていう話なんですけど。
 で、これ。何かと言うと。その方がね、すごい子供の頃からの知り合いから久しぶりに連絡が来たからご飯食べたのかな?みたいな感じなんですって。で、ご飯食べて。だから自分としてはすごい懐かしいから、おお!懐かしいなー!なんて思ってるんだけど。その相手というのがなーんかそんなに懐かしがってるモードでもないんですって。で、何かと思ったら、要は本が出したいと(笑) 本が出したいからって事で声を掛けてきたんだと。で、それを聞いててね、すごいがっかりしたって言うか。もう、なんか、嫌になっちゃったみたいな事を言ってたのかな。ちょっとニュアンスは違うかも知れません。あえて違うように言ってるとも思います。
 まあそんな様な感じの時に、それって何かちょっと分かるじゃないですか。自分がやってる仕事とか、あるいは自分が有名になってくると、仕事とか有名になったって事で声を掛けてくる知己、昔からの知り合いとか親族みたいなのっているんですよね。で、僕も居た気がします。20代とかの時とかに久しぶりに連絡来たなーと思ったら、さんまのからくりTV!見せてよとかね(笑) まあそういうのとかあるじゃないですか。で、そういう事って多かれ少なかれある一定の地位になるとあるんだと思うんですよね。
 でね、そう思った時にその編集者さんに僕が感じてた違和感って、その時その編集者さんがそうなった時に、すごい凹んだんですって。せっかく思い出に花を咲かそうと思ってたのに、結局自分の肩書きというか自分の地位を求めてるからだけなのかーと思って。たぶん幻滅したみたいな事で。僕も自分がテレビ局にいた時に、そういうので寄ってくる人ってやっぱりちょっと気持ち悪いなーって思ってたんだけど。

相手の自分勝手を認める

 で・も!なんて言うんだろうな、人間って結局そういうところしかないじゃないですか。なんて言うんだろう、その人の価値って。価値って言うと語弊があるな。いや、もっと違うところにあるっていう異論反論は全然ありな上で、結局その相手に──だって例えばある異性、同性でもいいんだけど、好きな人がいるとして。その人が好きになったって、やっぱり容姿だったりとか、性格だったりとかって、やっぱりその人の中でのなんかイイところみちたいなものが自分の中で共感しあったから、その人のことを好きになるみたいなことですよねぇ。それって恋愛じゃなかったとしたら、やぱり仕事だとすると、この人と馬が合うとかもあるけど、やっぱりこの人の力、インフルエンス力を利用したい…利用したいと言うとすごい嫌な言い方に聞こえるんだけど。でも結局そういう事なんじゃないかなーなんて思うんです。
 だから僕がTBSに居た時にすごい嫌だったのっていうのは、僕、角田陽一郎本人じゃなくて僕の肩書き、TBSのプロデューサーっていうところに人が寄ってくるという事に関して嫌悪感みたいなものを抱いてて。その編集者さんもそういうすごい出版社さんで、すごいヒットメーカーだから、なんかその人に言えば本が出せるんじゃないかなって、むしろ出版業界に明るくないけど本を出したい人だったらぜひ…寄ってくると思うんですよね。
 で、それを…なんて言うんだろう、なんかこう不快に思うってのは、不快ってのは寂しい思いをするとかもちょっと分かるんだけど。でも、と言って相手を断ち切る感じがなんか僕の中では冷たいなって、ちょっと思って。で、その時に僕がその方と話したりお会いした時に感じた違和感と合致したんですよね。あ、この人ちょっと冷たい人なんだなって思ったんだよな、なんか。うん、言葉では表せないんだけど。
 でね。そう思ったのって、じゃあその編集者さんがそういう子供時代の知り合いが自分の肩書きで寄ってくるから嫌だって思ったという事があったとしても、その編集者さんだってそういう有名な方とか、ある方に本を書いてもらうって時に、結局同じ事をやってるんじゃないかと思うんですよね。相手の著者になる人が、本を書いてもらおうと思ってる人が、すごい人じゃなければその人に本を書いてもらおうと思わないわけじゃないですか。で、その人にある愛情を感じて、その人に…恋愛で言うとモーションをかけると言うかね。この人に本を書いて下さいっていう様な感じで頼むっていうことは、結局その方の幼馴染がその方にやってる事と実は変わらないわけですよね。で、その幼馴染の方は幼馴染というご縁があるから声をかけても大丈夫かなーと思って、たぶんお食事とか飲みに誘ったんでしょうね。
 で、その編集者さんだってある著者を口説くときにそういう事をやってる時に、飲みに行くのか分かんないけど、打ち合わせするのか分かんないけど、自分はこういう感じで本を書きたいってやってるとすると、実は自分の本を書きたいのか?自分が編集者として本を作りたいのか?って違いはあれども、あるパッション、ある欲望、デザイヤをかなえる為に相手に寄り添…うーん、相手に近づいてるって意味では一緒じゃないですか。なのにその、なんて言うんだろうな、幼馴染のやったその行為っていうのを寂しく思ってるって書いた時に、うん…なんかね、違和感ていうか幾ばくかの──こう言うとどんどん悪口に聞こえるんだけど、全然悪口を言うほど知り合いじゃないから、全然悪口じゃないです。僕の方が間違ってるかも知れないんだけど。なんか自分勝手感というか。でもみんな自分勝手なんだけどねって事なんです。みんな自分勝手なんだから、自分の自分勝手も認めるんだから、相手の自分勝手も認めろよっていうのが僕の思うことなんですよ。
 だから、その相手に、その行為に対してげんなりした、がっかりしたっていうのってのは、自分の自分勝手。自分が書きたい人で本を書くっていう事をやってるのに、幼馴染のデザイヤはなんか悲しくなるデザイヤだったっていうのって、なんかすごい自分勝手な思いなんじゃないかなって思ったっていう事がね、最近あったんですよ。

 まあ、これをね、文章にして書こうかなーなんて、まあ書くかも知れないけど、書こうかなーと思ったんだけど。文章に書くよりね、このYouTubeで話した方が、このYouTubeの方が見られてないから(笑) 見られてないからいいかなーなんて、ちょっと思ってて。うん、ここで喋ってるんですけどね。文章で書くと見られちゃうかも知…いや見られてもいいんだけどね。別にその人と何もあるわけじゃないからいいんだけど。なんか自分勝手な思いみたいなものってのはすごく感じられたなーと思った時に、なんて言うんだろう、自分勝手な事をやると自分勝手だって言われるじゃないですか。ところが、自分勝手な事をやってないという感じで自分勝手な事をやってる人って結構いるなー。つまりそれがほとんどそうじゃん、みたいなね。実はそうなんだよなーって思ったりするわけです。そうすると、自分勝手でいいんじゃないかなーって思ってて。で、それが許されるのは、つまり相手の自分勝手さも広い心で見守れるだけの余裕がないとダメなんだなーなんて思った。
 自分の自分勝手は認めるのに、相手の自分勝手は認めないって心の余裕のなさって、それってなんかちょっと残念だなと思ったみたいなことかなー。うん、その方のそのヒューマニティとか人間性についてどうこう言うほどの僕は男ではないので、別に言えないんだけど。なんかそんな事を感じたっていう事がなんかありましたっていうのが1つですね。

面白いとは何か?

 あと今週で言うと、なんて言うんだろうな。…そっか、そっか。木曜日のコトブキツカサとやってる寿司特で話したんだけど。面白いとは、面白いとは何か?みたいな話をした時に、大学の講義を僕は今教えてるという立場と、じゃあある意味番組とかに出演するとか、イベントとかに出演する立場と…みたいな時に、という話をしたんですね。
 つまり、なんて言うんだろう、相手のことを思って話してると、まあ比較的ゆっくり喋ろうかなとか、分かりやすく伝えようかなってなるわけですよね。で、そういう大学の講師をやってるのとかもあるし、それこそクライアントさんとかに、初対面のクライアントさんとかが多いと伝わらないんじゃないかなーと思ってゆっくり説明するみたいなのが最近多かったんだけど。
 本当に、この前の火曜日に中央大学でね、400人の前で授業をやったわけですよ。だから400人もいるしね、で、尚且つその授業ってプロデュース論みたいな授業で、毎回々々各回の広告業の方とか、テレビとか、なんかクリエイターが1人ずつ講演するスタイルだから、僕でもう7人目、8人目とかなんですよね。
 だから何か僕がゆっくりクリエイティブ論とか話してても埋没しちゃったら面白くないなと思って。で、400人もいるわけだから、もう聞いてる奴らだけ聞いてりゃいいじゃんみたいな感じで、もう久しぶりのフルスロットルで。もう授業時間が100分だとして、その時間に詰め込めないだけ量の喋りをワーッと延々と早口で。それこそ雑談も話すしとかね。でもそれが、その雑談の中にちょっとアカデミックな理論も話したりとかね──っていのをやったわけですよ。

 そうしたら翌日ね、感想を頂いたんだけど。その感想を見てたらすごい絶賛してくれてて。こんな面白い授業初めてですとか。就活の話もありがとうございましたとか。結構言っていただけて、ちょっと嬉しかったんですよね。
 でね、金曜日。一昨日か。金曜日は幕張メッセでやってる Inter BEE ってところでね。元テレビ局にいた、辞めたクリエイターという括りで、僕と元フジテレビの方と、元読売テレビの方と、で、司会の方と、4名でね。トークをするっていう機会を頂いてトークをしたわけです。

 それで、その時もね。もうなんか火曜日のハイパースピードで喋るみたいなものがね、僕の中では面白かったんで。で、なんか「それでいいや!」と思って。他の方とか普通にゆっくり喋るだろうなと思ったけど、少なくとも自分に話しが来た時には結構早口で喋るみたいな。ワーッ!っと。何だこの人は?!と。尋常じゃないじゃんか!みたいな。つまり自分勝手に。なんか自分勝手に喋っちゃっていいやみたいに割り切って喋ってみたんです。それをもう相手がどう思うかとかは知ったこっちゃないわ!みたいな。そうしたら、やっぱりなんか終わった後に名刺交換とかさせて頂いた、見て頂いた方とかいらっしゃったりして。なんかすごい面白かったと言っていただけたりとか。
 極論するとですよ?面白くない人はそもそも名刺交換のところに来ない。面白くないと面白くないと思った人はね、来ないわけだし。さらに言えばその大学の、火曜日の大学だってレポートの代わりに授業の感想を書いてるんでしょうから、それがたぶんね、指導教官の先生から登壇した人に渡しますからねって言ってるわけだから、悪いこと書かないんだろうなーとは思いますよ。思うけども。でもそういうお褒めの言葉で人ってのは勇気がいただけると言うか、うん、なんか思いました。

自分勝手でいい

 一方でね。レギュラーで教えてる方の講義ってそういうワーッと喋るみたいな、なんかこう毒薬的な、興奮剤的なものってそんなにないわけだから。ないって言うかあってもそれって何回もやってるとたぶんもう皆んな驚かないわけで。全然そういう事で褒められたりしないわけですよ。…褒められたりしないだけならいいけど、むしろ寝てるというかね。そうするとなんか聞いてない聴衆の前で喋って。その学生さんたちを教育的にどうしようみたいなことは──、僕教育者になれないですね。だからパフォーマーではいたいけど、ティーチャーにはなれないわと思いました。だから僕、生徒の前でパフォーミングは出来るけど。で、それはすごい全力を尽くすし、かなり面白い授業をやろうとは思うけど。それはもう響かない人はなんかもう僕の中では響かせなくていいやっていうある種の自分勝手感みたいなものを感じたんですよ。
 うん。だからさっきのね、1個めのトピックのある編集者さんの自分勝手感ってのが我慢できないって自分勝手に僕が言ってるんだけど。僕自身は自分勝手に生きようと、その話とは違うけど今思ってるっていう圧倒的な矛盾を抱えながらこの話は進んでいくんですけど。でもなんかそんな風に自分勝手でいいんだってことを改めて思ったわけです。
 で、それってさっきの編集者さんの話とあえてくっ付ければ、だから他人の自分勝手は許してあげたいなっていうか。許そうと。その代わり僕の自分勝手も許してよっていう。僕がよく話してる話なんだけど。その許す、許さないってのもインタラクティブだからねっていうか。
 だから僕Twitterとかで何か言って、クソリプってやっぱり理解できないってのは、なんて言うんだろうな…、その人に対しての自分の正義感みたいなものを求めるみたいなものってやっぱり全然分かんないし。だから…なんて言うの?例えばタレントさんとかの不倫みたいなのって本当に心からどうでもいいなーと思うんですよね。
 家族問題とか。スポーツ選手とかで、そういうので潰されていく…お相撲の時とかもあったじゃないですか。あのとき僕本当に思ったもんな。相撲の勝ち負けとかで話すならまだしも、全然関係ないプライベートなところで議論が起こっちゃって。でもプライベートと言ってるけど、その人だって人間だから、やっぱりその人のメンタルの動きがモーション、身体の動きに繋がるから、ここって結局分けられないじゃないですか。だから心技体、全部完璧にいろよって言ってるのは分かるけど、別に心技体全部完璧である必要があるのか?っていう風なことを思ったりもするんですよね。うん、だからそんな事をね、すごい思わせてくれる感じだったんですよ。

ヒット作ないのに何で食えてるんだろう?

 でね。それから3つ目の。実は本題に行くんだけど。その幕張メッセでクリエイターの方と話すってなった時に、最初に10分ぐらい自己紹介するわけですよ。そうするとね、僕以外の2人のクリエイターはもう…なんて言うんだろう、人気コンテンツをバシバシ作ってて。こんだけYouTubeでバズるみたいなことをすごい紹介されるんですよ。それはすげぇなーと心から思いつつ。で、別にまたこれも悪口に聞こえちゃうと嫌だからあれなんだけど。当然こんな風に失敗しましたってのも教えてくれるから、すごい勉強になったし。で、結局ヒットさせるのは難しいよねって話になったわけですよね。
 で、その時に僕がね、言ったのは。このICUCで前も言った事あるんだけど。僕、角田陽一郎自身がね、ヒット作を作った事ってね、今までほとん…無いんだよなっていう事に、なんか…思ったって話をその登壇してる場で言ったわけですよ。そうすると司会の方が「いや、そんなことないじゃないですか。」って言うんだけど。でもね、さんまのからくりTV!ってのはさんまさんだし。なんだったら先輩たちが作った番組を続けただけだし。金スマっていうのはね、SMAPの中居くんの番組で、尚且つそれは自分がチーフディレクターとして作ったって意味では頑張ったけども。でもやっぱりあれってSMAPの中居さんというスーパースターがいるから、スーパーアイドルがいるから出来てるっていうところは否めないわけですよ。
 とすると。僕がなんかそういう登壇してこんなヒット作を作りました!っていう事って、口が裂けても言えない。だからこの作品には関わりましたって言い方は出来るし、今こんなことをやってますって報告は出来るんだけど。これをこんな風にヒットさせましたとは僕は少なくとも言えないというか、だから本当に言えるほどやってないからっていうのが僕として実感があるって話をしたわけです。

 でね、そこから思ったのって。でもそのクリエイター達ってのはどうやればYouTubeで視聴されるかとか、このICUCと真逆というか。もうすごいそういう事をたくさんおっしゃってたんですよ。こうやればバズるとか、こうやればヒットするとか。ああ、だからクリエイターってのはヒットを目指すものなんだなって(笑) 改めて、改めて感じたっていう事なんですよ。
 いや、言われたら、言われる前からそうだなーとは薄々思ってましたけど。自分ってそんなにヒットさせたって思いがないからか、なんか、なーんて言うんだろう、そんな事を自分が考えても出来ないしね、どうせ…みたいなね。なんかそんな事を思ってたわけです。
 でも、そうするとヒットクリエイター達は作品をヒットするとかっていう事をすごい、こんなに、考えてやってるんだなって気付かされた時にね、僕はどんな風に考えて…なんて言うんだろう、作品──あえて番組とか本とかあるから作品って言わせていただきますけど──作品を作ってんのかなーなんて、ちょっと思ったわけです。
 で、思った時に、つまりクリエイターって結局ヒットさせない限り生きていけないんだよなーっていう事はなんとなく…。いや、ちょっと先に注釈しとくと。僕だってそりゃヒットさせた方がいいと思いますよ。そりゃ売れた方がいいしと思ってるけど。まあ、出来ないなって。事実ないなって思った時に、どうやればヒットするかなーってそんなに考えてねぇなーていう(笑) ところがあるわけです。だからその2人と僕が、その2人も登壇の場だからクリエイターが語るから、ヒットのやり方みたいなのがお題だったからね、そういう話をあえてしたのかも知れなくて。実は実際作ってる時は僕なんかと大差ないのかも知れないんだけども。まあそんな風に感じたわけですよ。
 で、そう感じた時にね。僕が思ったのは、「僕、ヒットしたく作ってないのに、一応クリエイターの端くれとして、『え?なんで生きてられるんだろう?』」って(笑)ちょっと思ったんですよ。だって桑田佳祐さんだろうが、山下達郎さんだろうが、村上春樹さんだろうが、宮崎駿さんだろうが、すごい人って、皆んな僕より全然年上な方々だけど、すごいヒットしてるから食てるんですよね。『あれ?俺、ヒット作ないのに何で食えてるんだろうな?』いや、もう食えなくなるかも知れないですよね?実際…とかって思った時に、『あれ?クリエイターって何で食ってくんだっけ?』って、ちょっと思ったんですよ。
 で、思った時に、なんかね、昨日ぐらいに回答が僕の中で、あ!なるほど!そういう事なのか~!って分かったっていう事を、今日話したかったって事です。んふふ。

答えはムーンライダーズにあった

 でね。これも今日、前にSNS、インスタとかに動画にコメント入れて投稿とかしてるんですけど。そこに、つまりヒットしなくてもどうやって──う~ん、ヒットしないけど続けられるということがサスティナブルじゃんかってことはそのイベントの時に言ったんですよね。そうしたらその発想面白いって見ていた方がTwitterで書いてくれたりして。でも本当にそうなんだよなーと思った時に、ヒットしなくてもどうやって生きていけるか?みたいなことが分かったんですよ。
 で、分かったんだけど、今日のTwitterにも「分かった」しか書いてなくて。それが何なのかは書いてないんだけど。うん、このICUCでは言おうかなーと思ってます。ま、そんな見てないしねっていうか。んっふっふ!見られてないしねっていうか。

 で、何かというと。クリエイターが生きるっていうのは、1つはあるものを作ってヒットさせるってことですよね。で、もう1個の別の生き方として、全然ヒットしないんだけど、その筋の専門家、関係者にウケがいい作品を作り続けてる人っていうのっているんだよなーと思ったんです。で、例えが僕が好きなムーンライダーズってたぶん典型的にそっちなんだと思うんですね。だから実は回答はムーンライダーズにあったんだってことを、実はここで気づくんだけど。昨日気づいたんだけど。
 つまりそんなにヒットしてないと売れないってことは、ヒットするってのはそのミュージシャンが好きとか──だから桑田佳祐さんとかまで行けば話は別だけど。そんなに知らない人でもこの曲を聴いてとか、この作品を見て、面白い!みたいな。新海誠監督とかね──ってなるわけですよね。で、それってすごい知らない人も見るわけだから、Twitterで言えばクソリプが返ってくる確率も高いわけですよね。うん。で、知らない、万人にウケるために考えるってのがヒットなんだなーなんて思うわけです。
 で、それになんか僕は元々の抵抗を感じる。逆にいうとテレビ局で金スマとかからくりTV!とか作ってたけど、その世界にいたから、なんか…なんかそういうのが嫌でテレビ局辞めちゃったなっていうところがちょっとあるからかも知れないんだけど。分かんない。そういう風に思ってたからテレビ局に違和感を感じたって、どっちが卵か鶏かは分かんないけど。そういう様な思いがあるわけですよね。
 で、そうなった時に自分が…なんて言うんだろうな、例えばムーンライダーズって、でもこの業界にムーンライダーズが好きな人がたくさん沢山いるわけですよ。そうすると売れた、売れないとかじゃなくて。つまりすごいコアな人たちだけど、今度のニューアルバムを作りましょうって、やっぱりレコード会社が現れるというか。レコード会社のいち担当者さんがムーンライダーズで作りたいみたいな事ってあるんだなーと思ったわけです。で、そう考えるとこんな僕なんかに本を書きましょうって言ってくださるとか、じゃあそのイベントに登壇してくださいって言っていただけるとか。こんな、ここに連載持ちましょうって言ってくれるとかって。少なくとも言ってくださってる方が僕の過去の作品を見て、あ!この人ちょっといいなとか思ってくださってるってことですよね。
 で、それがたくさん沢山になればすごい大ヒットするんだけど。そういう人たちに向けて大ヒットさせれば当然そのクリエイターは生きていけると思うんですよ。でもそれって、やっぱりすごいクリエイターでも運と言うか、どうやればヒットするかって分からない。すごい打率が低いじゃんかっていう時に、だったら少なくともその関係者とか、その業界の人──すごい内に篭るって意味じゃないんだけど、その筋の人。アーリーアダプターと言うか、その事に関して興味がある人に、自分が作ったものが少なくとも刺さるってことだけはやり続けてれば、次のお願いもその人には来るんだろうなっていう事をなんか思ったわけです。
 で、僕が少なくともヒット作とか作ってないのに…。だからさっきの幕張メッセの Inter BEE の登壇で言うと、残りの2人の方みたくヒット作なんか作ってないのに、なんとか、なんとか生きてるんだなっていうのは、こいつのこの話面白いとか、こいつの作ったものってのはなんか面白いなーっていう雰囲気だけはなんとなくあって。その雰囲気があるから…、で、もしかしたらこのICUC見ている方とか──だからこの前、そのー、言ったっけ?言ってないか?コトブキツカサさんとやってる寿司特を見た方が僕にあるウェブ媒体に連載を持たないか?って仰ってくれる…メールが来たんですよ。寿司特見たから、と。で、そのウェブ媒体ってちょっと堅いんだけど、なんで僕のところに来たかと言うと、テレビとか映画とかのエンタメの、芸能界の話をしてるけど、そのエンタメの感じがどう社会的構造になってるか?とか、文化的構造になってるか?って話を僕がしてて。それを話してる話が面白いと思ってくれたんですって。そうするとそれを記事にしても面白いじゃないですかって思っていただけたって言ってて。それってなんかちょっと嬉しいんですよね。
 つまり社会的構造がどうこうみたいな話って、普通のすごい人気のYouTuberの番組にはたぶんないと思うんですよ。もっと広~く、誰でも分かるように喋ってるんだと思うんですよ。だからそっちはそっちでやれれば本当はいいんだけど。僕にはその能力がないとすると、でもその編集者の方がそれを面白いと思ってくれるという、ある筋の人は気づいてくれる何か、ピカピカ光るものみたいなものが、あの寿司特ですら埋まってるっていうのを見つけてくれたんだろうなと思うし。僕なんかにちょっとでも面白さを感じてくれてる人ってのは、その原石みたいなものを僕のところに見つけてくださってるんだなと思うわけです。
 そうするとね、両方できる人ならいいですよ?両方できない僕としたら、あとはどっちでいきますか?っていう、ヒット作を狙い続けますか?…色んな事を考えながら。当然ヒットはしたいってのは、だから必要十分条件じゃないから、ヒットはしたいとは思うけど。それよりも僕の面白さに気づいていくれる人のためにどう面白さを鍛錬するか?みたいな事をやり続けることの方が少なくとも僕にはストレスじゃないんじゃないかなーなんて感じた。それが僕がヒットしなくても生き続ける方法を思い知ったっていう事のお話でした。
 うん。まあこれは、そんなの当たり前じゃんと思う方もいるかも知れないし。でも僕は本当に昨日、あ!そういう事なんだ!ってね、思ったっていう事実があるんですよね、僕の中でね。だからね、なんかもう今からメール書こうと思ってるんですけど。ある仕事をね、断ろうと思って(笑) それはね、原石じゃない方だってことが分かったから。種じゃない方だと分かったから。それをやり続けても意味がないんだなーなんて思って。そんな事を思ったということをね、そのお断りのメールを書く前に、1回喋っとこうかなーと思って。このICUCをやった次第でございます。そういう事で、じゃあまた来週、よろしくお願いします。

文字起こし後の文字寝かし

(好き勝手に思った感想を書き残しておくことを文字寝かしと言うことにしました)

 点線面で言えば線も面もなく、点っぽいものがたくさんあるような気分なので。今回は思いつくまま点々メモ書き。

 自分勝手を許す代わりに、自分勝手をしていい。ちょっとだけと言うか、常識の範囲内で。
 恩送りと言われると必ずしも恩をくれた人に恩を返すわけではないと思えるけど、許すことも同様に、自分の自分勝手を許してくれた人の自分勝手だけを許すわけじゃない。角田さんのよく使うインタラクティブという言葉の意味には、”送り手と受け手の関係が固定的ではない”という意味がちゃんと入っている。角田さんが時々嘆き気味に呟いているのは、こういったいい事とか、根本的に全体的に生きやすくなるような事を、どうしてもっと送っていけないのかなーって内容が多かったと思う。

 角田さんの最近のリツイートその1、”正義は金のかからない娯楽とはよく言ったものだ”というもの。これは他人の行為を自分勝手だと愚痴ることと近いと思うけど、そこに何かしら正義を付け足せば非難に変わる。正義を付け足しても愚痴か非難にしかならない。”自分も同様の自分勝手を自由にしたいけど無意識に我慢させられている”という心理が隠れていて、快楽物質まで放出されるから中毒性があるというのがよく聞く話だ。許せなさから抜け出せない。

 角田さんの最近のリツイートその2、”誹謗中傷には反論する”というもの。反論しないで許そうよとは似て日なるもの。誹謗中傷はリツイ1の許せない病だし、自分勝手で済ましては駄目な行為だし、心が広いということは誹謗中傷さえも受け入れるという意味じゃない。時々クソリプに対して非常に上手く返した有名人の話ばかり覚えていて、有名人ならそのくらい自分からは遠く手の届かない存在でいてくれなきゃなんか困るんんだろう。

 自分勝手は常識の範囲内ならと最初に書いたけど、自分勝手は常識の範囲内のものを言うのかも。そもそもの常識の範囲の定義が難しくなりそうだから上手く言えないけど。そういう上手く言えないことを”たぶん理解できたよ”と受けとめてくれることは、”ちょっと自分勝手だと感じたけど、まあでいいよ”と言う事と、同じじゃないかと思った。

 11/21の西原宏夫さんのnoteには躾とは元に戻らないように癖づけるうことだという話があった。

 なんだかざわざわと心が落ち着かなくなってしまい、その理由を考えた。
・躾と同調圧力はすごく近い部分にあるな。・躾とはいい意味での日本人的な、協調的な同調、通奏低音部分のことか?・躾けができる大人がいないな。・躾には責任が伴うのでは?・自分の子に対しても自己責任。責任放棄。・その状態で躾をしては逆効果、強制しないは現時点では一理あるかも。
 日本人って手先は器用だけど、西洋に対する時の頭は不器用なのかも知れない。個性を大事にすることの表面的な意味に振り回されたのかも知れない。すっかり芯がブレちゃって、これは間違いなく正義だろうと思うところにしがみ付かないと立っていられない。通奏低音というか協調みたいなものも同調だけが残り、正義という圧力になり、クソリプの素になる。

 編集者さんほどの人なら肩書目当ての人も多いだろうに、幼馴染のお誘いには油断したんだろうか?この人の著作なら売れるぞ!とか、この人と一緒に仕事してみたい!という編集者さんの自分勝手について、編集者さんは誠意としてそれを相手に見せて仕事している様な気がした。幼馴染の方はもっと感情的というか、いつ、どう告白しよう?みたいな思いが多くて、編集者さんの目には不誠実に映ったのかも知れない。
 そう考えると、角田さんが感じた冷たいと感じたものは、誠実不誠実テストというか、ご自分の正義で付き合う人をジャッジされてる感じだったのかも。もっと露骨な自分の利益になるかテストなら、違和感なんてものじゃなく、近づきません!で済むけど。面白いな、恋愛なら最初に相手の嫌な部分は見えなくなる、相手の評価のハードルを下げて接近して、後々ハードルが上がり、マイナス面が見えてくるけど。仕事ではハードルを上げて接近し、ジャッジすることで、あるかも知れないプラス面を知らないままになる可能性がある。プライベートじゃないとか、仕事上の付き合いとかってのが薄いと言われるのはそういう事なんだ。
 私の場合は肩書きがないので、声がかかるとほぼカモだ。相手の目的はなんだ?経験として会うか?時間の無駄か?ひたすら自分の欲や妄想と戦うのみ。

 早口は熱量だ。溶かすようにゆっくり喋る熱量の高い人もいるけど、角田さんの場合は早口は高熱量で、自分の熱量を取り込んでまたエンジンがかけられる。すごくいい循環。コトブキさんに相談する様なぐにゅぐにゅ事も、熱量で元気なさまも、角田さんのピュアさだ。
 角田さんが元気な渦に入っててくれるなら嬉しい。YouTubeは再生速度を落とせるし、Don’t が実際に聞くと「ド ンッ」くらいに短く聞こえるみたいなのは角田さんにもよくあるけど聞き慣れてるし。

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