見出し画像

ICUC-060_2021.5.16【自己啓発本の活用法】

【ICUC知的好奇心向上委員会】の知的好奇心の向上&趣味の文字起こし。I see, You see ! Intellectual Curiosity Update Committee

参考図書サイト
角田陽一郎 オフィシャルwebサイト>WORKS
Amazon>角田陽一郎 作品一覧、著者略歴

角田陽一郎60「自己啓発本の活用法」ICUC知的好奇心向上委員会
自分は結構の数の自己啓発本を書いていますが、実は自己啓発本を読むのはあまり好きでありませんでした。
でも、最近それが変わってきたのです。
角田陽一郎の自己啓発本の活用法、もしよかったらご覧ください。

角田陽一郎 オフィシャルwebサイト

mireva channel

動画の内容(+文字起こしメモ&感想)

半袖の

  おはようございます。バラエティプロデューサーの角田陽一郎でございます。ICUC 知的好奇心向上委員会の5月16日かな?の日曜日の朝でございます。
 今週もですね、私、ちょっと今、週刊プレイボーイの moving movies っていう連載がありまして。映画の連載なんですけど、「カメラを止めるな!」の、カメ止めの上田慎一郎監督との対談があったんで、朝から出かけましてですね。今ちょうど取材を終えて、ちょっとまた別の場所に移動している最中でございます。

角田陽一郎のMoving Movies~その映画が人生を動かす~

 そんなんで今日もまた車でですね、くっちゃべりながら、どうせ移動するんだから移動してみようかなーなんて思っております。
 変わったことと言えば、今ちょっとだけ雨降っておりますが。まもなく梅雨になりそうですけど。梅雨ってでも6月…。早いですね、もう5月も、まだ半ばと言えば半ばなのに、なんかもう九州とかはね、梅雨になったって言っておりましたけども。そういう意味で…あれなんですね、どんどん季節の変わり目みたいなものが変動してるんでしょうね。ボクも今日半袖です、半袖(笑) もう長袖な季節から半袖の季節に。先週くらいから夏な感じではございますが。
 で、先週もそうだったと思うんですが、ちょっと夏風邪気味で。あぁ、でも先週はまだギリギリ大丈夫だったのかぁ。日曜日に撮って翌日の月曜日にね、ボクいつもラジオを。いつもレギュラーでやってるんですけど、声が出なくなっちゃってね。これ…流石にそろそろコロナかなーなんて思ったりしてPCR検査を受けました。受けたら結果コロナじゃなくて。まあ良かったんですけど。ただ、なかなか色々大変な感じというか、なんか疲れが出たと言うかね。もしコロナじゃなければ普通に季節の変わり目。まさに半袖に変わるタイミングでなかなか体調が季節の変わり目に対応できない(笑) これ年々歳取ってくると…。若い頃とかそんなに気になってなかった、暑いときは暑いとか言ってただけだったと思うんですけど。だんだん…こうね、自分の体をその季節に馴染ませるのにちょっと時間が掛かるタイムラグみたいなことろで、ちょっとこう風邪気味になるんだよなーなんて思いながら。
 今日もね、ちょっと声枯れてるんですけど、もう治りかけと言えば治りかけかなーなんて思いながらですね、今日はそんな感じで喋っております。

自己啓発書に対する思い

 なに話そうかなーなんて思ってるんですけどですねぇ。今日は自己啓発書というものの使い方みたいな。読み方みたいなものを話してみようかなーなんて思うんですね。
 自己啓発書ってそもそも何なんでしょうね?ビジネス書と自己啓発書の違いみたいなのって境界は曖昧だよなーなんて思いながらですね。ボクも13、14冊くらい出してるんですけど、ボクの本の中では

なぜ僕らはこんなにも働くのだろうか?

とか、

「好きなことだけやって生きていく」という提案

とか、

「中の人」から「外の人」へ 出世のススメ

とか、

天才になる方法 本当に「頭がいい」とはどういうことだろう?

とか。

読書をプロデュース

とかもそうだとすると、ボクの本の半分以上は自己啓発書ですね。

運の技術 AI時代を生きる僕たちに必要なたった1つの武器

とかね。世界史とか地理の本とかは世界史の本だったり地理の本だったりするんでしょうけど、それ以外の本はね、そういう意味では自己啓発書的なものなんだろうなーなんて思うんですね。
 でね、自分がそんな感じで自己啓発書をですね、まあ何だかんだ言って10冊くらい書いてるにも関わらず、ボクは自己啓発書、嫌いっひっひっひ(笑) なんですよ。自己啓発書しか読まないって方もいる…、ビジネス書とかもそんなに好きじゃないですね。やっぱり何かのトピックについて書いてある方が読む意味があるのかなーなんて思ったりとか。当然、小説とかは好きですけど、ただ小説って好きだけどそんなに読みたくない時と超読みたい時がボクの中ではすごいブレてるんですよね。常に飲める…(笑)飲めるじゃない、常に読めるのかって言うと読めないんですよね、小説って。でもなんかそういうフィクションの、作り話を読みたいよなーなんて思うときはすごい小説が読みたくなるんだよなーなんて思うんですよね。
 でね、ビジネス書とか自己啓発書ってのはむしろ若い時は読んでたんだけど、簡単に言うとなに読んだって一緒じゃんみたいな風に思うわけですよ。いや、みんな良いこと書いてあるけど…みたいな。なおかつ成功者の人が成功する理由を書かれても、それができないから成功しないんだよなーなんて思ってて、そんなに読んでなかったですかね。
 読んでなかったと言いながらも思考は現実化するとか、ナポレオンヒルのとか。あとなんだっけ?タイトル忘れちゃった。箱…から脱出する方法でしたっけ?ちょっと違うな…とか。あとは7つの週間。7つの習慣はね、むしろ番組をやったことがあるんですけど。そういうような感じで、全然読んでないというよりは、比較的読んでるけども、もういい歳になるとそんなに自己啓発書でわざわざ自己啓発しなくてもいいよなーなんて思うようになったと言うかね。
 ただ一方でね、ボク自分がね、10冊くらい自己啓発書を書いてるってことは、…(咳) すいません、咳ちゃい…?咳ちゃいました、咳しちゃいましたけど、やっぱり依頼があるからというところもあるんですよね。ってことはやっぱり自己啓発書ってある一定の需要があるから出版社の人は出すんだろうなーと思うと、それを読みたい人がいるというか、つまり自己を啓発したい人がいると言うか、悩んでる人がいるからだろうなーとは思いますよね。
 ボク個人はそんな感じで、そんなに好きじゃないんだよなーなんて思いながらですね。でもね、最近結構読んでるんですよ。その ”最近なんで結構読んでるのか?” って話が今日の一番話したいことなんですけど。

なぜ僕らはこんなにも働くのだろうか?/アスコム
「好きなことだけやって生きていく」という提案/アスコム
「中の人」から「外の人」へ 出世のススメ/日本実業出版社
天才になる方法 本当に「頭がいい」とはどういうことだろう?/大和出版
読書をプロデュース/秀和システム
運の技術 AI時代を生きる僕たちに必要なたった1つの武器/あさ出版

新版 図解 思考は現実化する/田中孝顕/きこ書房
自分の小さな「箱」から脱出する方法/アービンジャー インスティチュート/大和書房
7つの習慣-成功には原則があった!/スティーブン・R. コヴィー/キングベアー出版

砂から貝を拾う

 自己啓発書って読んでることを全部自分に当てはめてみるみたいなことって、真面目な人は、真面目な人ほどやろうと思うんですよね。「この人はこういう風に生きてる。素晴らしい。じゃあこの人の生き方を真似てみよう。」みたいな。で、ボクが自己啓発書とかがそんなに…こう、苦手だったのは、つまり ”それ、できないじゃん” ってっていうところがやっぱり多かったんだと思うんだけど、逆に言えば ”そういう風に読まなきゃいいじゃん” って割り切れば、結構その良いこと…良いことというか心に刺さる言葉みたなものってのをすごい啓示的に自分の中に受け止められるんだよなーって思うと、ある自己啓発書を読んだ時に、ほとんどのことはなるほど、なるほどなーと斜に構えて見てたとしても、ある一行の ”このフレーズ” みたいなものがすごい刺さる…「あ、この一行は今のボクの心境に…ボクのために言ってるのではないかな?」なんてね。なんかそんなことを思える。
 砂浜に行ってね、貝殻が落ちてたりして。綺麗な貝殻を拾おうかなーっていうような感覚。今まではこの砂を全部集めて、その砂自体を自分の身の上に全部ぱらぱらぱらとやらないと自己啓発書ってダメなのかなーなんて思ったんだけど。むしろそういう拾い読みでいいんだなーっていう風に思うと、たまたまパッと取った自己啓発書の、ばらーっと、ボクはむしろ速読否定派なんですけど、ゆっくり読んだ方がいいって言うんだけど、なんか本当にわーっと読んでて、ちょっとだけ気になったところになったら急に読む速度をゆっくりにして、その言葉を、まるで砂浜から貝殻を拾うかのようにね。─ ガタゴトンッ 通行できます ─ はい、すいません。今ちょっとETC入ったんで通行できますって入っちゃいましたけど。
 そういう感じで砂浜からね、綺麗な貝殻を拾い集めるかのように掬う(救う)。それって自己啓発書の一番楽しみ方というと語弊があるけど、効用なのではないかなーなんて思ったりするわけです。そうすると自己啓発書って満更でもないよなーという風に、思った。
 でね、この”思った”という変化もまたちょっと面白くて。だってじゃあそれを思ったのがいつかというと、ここ1ヶ月くらいなわけですよ。じゃあこの1ヶ月前くらいのボクの発言を聞いてる人は、「あれ?角田って自己啓発書否定派じゃなかったけ?」みたいな話になっちゃうじゃないですか。でも今は別に自己啓発書的なものを自分の貝殻に、砂浜で拾った貝殻にするのはいいんじゃないかなって思ってるって思うと、つまりその本を書いてる著者だってその本を書いてる時に思ってることを書いてるだけで、今それを本当にそう思ってるかどうかってことはそんなにリンクしてないんだよなってことにもまた気づかされるんですよね。だからその著者が30代なのか40代なのか50代なのか60代なのか分かんないけど、その瞬間、その人生で、その著者も色んなことがあったんでしょうね。その色んなことがあったその瞬間にそういうことを思ってるんだよなってことを、その瞬間に書いてるという、その瞬間のアーカイブであるものがその”本”なんですよね。
 だからその本を鵜呑みにするのではなくて、その瞬間の断片断片を自分がインスピレーションとして受け取るというのはすごく…なんかね、人生の瞬間瞬間を大事にするという意味ではとっても大切なことなんじゃないかなーなんて思うんです。
 だからそれって別に本に限ったことじゃなくて、人との出会いで…。ちょっと人とご飯を食べてて、その中でなんか珠玉の『ひとこと』が…。99%は下らないことを喋ってたとしても、ひとつだけいいお言葉が頂けたなって思ったら、なんかそれって印象に残ったりするじゃないですか。それって別にテレビ見ててでも、映画見ててでも、あると思うんですよね。だからそういう風に考えれば、なんかそれ自体が…。バラエティ番組を見てていい『ひとこと』を頂いたなってなったときに、「バラエティ番組くだらないよね、じゃあ見るのやめよう。」とか、「自己啓発書とかってそんなに好きじゃないよね、読むのやめよう。」って思うほど、そんなに毛嫌いする必要ないんじゃないかなって思ったってことなのかも知れないです。

今までなかった生き方への経緯

 まあ毛嫌い、そもそもしてないんですけどね。ボクはバラエティ的に何でもいいじゃないですかって言ってるからというか。で、そういう風に思えたのって何かって言うと、やっぱりちょっとボク的には2月ぐらいから色々あって。なんか気分的に落ち込んでる時とかがあったりして。
 気分的に落ち込んでる時にFacebookとか見てると知り合いの方とかがね、この本を読んで感動したみたいなこととかを上げてたりしたときに、面白そうだなと思ったらすぐ買っちゃったりしてるんですけど。ボク、基本、本は全部紙で買うタイプなので、この YouTube の ICUC 見たら本棚にわーっと本が並んでるのを見られると思うんですけど(笑) なので基本的には紙で買うんですけど、むしろ自己啓発書とかは Kindle で買っちゃおうみたいな。だからその方とかがちょっとオススメしてたやつとかがあったら、それをなんかパパパパッと Kindle で買っちゃって、まさに落ち込んだ朝とかにさっきみたく拾い読みするわけです。そうすると、なんか本当に…拾い読みだからそんなに時間かけずに1時間とか2時間で読み終わっちゃうわけです。
 でね、読み込んでるときに、なんかやっぱり…なんか一つの言葉というか、一つの意思みたいなものが、その刺さる言葉とかを頂けると、その日の朝、なんか自分が元気ないよなーとか、なんか人に騙されたなーとか、人に裏切られたなーなんて思ってたとしても、それを…。例えば自己啓発書を読んでてね、それを裏切りと取るか?騙されたと取るか?は自分自身の問題なんですよみたいなこととかが普通に書いてあると、なんか普通に…(カーナビが喋り出す)
 あのーすいませんね、また渋滞情報をやってくれちゃってますけど。はい、ごめんなさい。えーと、どこから話したっけ…、、そうそうそう、だからそういう朝とかね、落ち込んだ時とかにむしろ自己啓発書とかパーンと Kindle で買っちゃって、それでパラパラと見ながら自分がちょっと興味あるところの一節とかからね、『ひとこと』頂くとね、なんか結構それで今日一日頑張れるよなーみたいな気持ちになったりするんだなーなんて思ったりして。
 それってなんか今までのボクにはそんなに無かったんだと思いますね。無かった生き方というか。それって何かって言うと、なんかこう…やっぱりこう…、自分がおっさんになってきて、またボクの中では去年の、父が亡くなったとかね、友人が去ったみたいなこととかも結構大きいんだけど。その自分の感じる孤独感みたいな中で、ある言葉みたいなものとかが…別に言葉じゃなくて、もしかしたらお金でもいいかも知れないし、愛情でもいいかも知れないんだけど、なんか自分が生きてるというものの担保というか、…担保と言うとちょっと違うな。自分が生きてるということの保証?(笑) より良くないか、保証の方が。自分が生きてるということの礎みたいなものってのがぐら付いたときに、それをちょっとでも補強して頂けるものが、それが愛情でも、お金でも、言葉でも、人間関係でもいいのかも知れないんだけど。なんかね、所詮人間なんて孤独なんだよなーなんて思った時に、自分の考えてた、自分が生きてきたこととかを間違ってないんだよって言って頂ける『ひとこと』みたいなものが、その言葉が、本みたいなところから出てくると、すごい救われるんだなーなんて思ったりするわけです。

喪失にも意味がある

 だからそれってね、最初に思った時にはなんかこう・3月ぐらいかな、裏切られたなーみたいな風に思った時に、これ今、運転中なんでそんなに喋ってる言葉とか紹介してる本とか、結構いい加減かも知れないんですけど。後でYouTubeとかにはちゃんと書いておきますけどね。なんかこう、最初に裏切られたなーって思った時とかは
対象喪失の乗りこえ方
っていう本をね、なんか普通にAmazonで見つけて読んでたら、結構なんか救われたんですよね。そこの一言一言みたいなものとかに…とか。あと普通にベタでいうとマーフィーの法則のマーフィーの本、
新版 マーフィー世界一かんたんな自己実現法
とか。マーフィーとかってむしろ読んだこととか無かったんですよね。でもまあそういう意味で言うと3冊ぐらい買ったんですけど、どれも一緒だなーなんて思いながらも、でもやっぱり1冊読んでみて、自分への肯定感を持とうみたいなことって足りなかったじゃんって思うと、そんなに毛嫌いする…毛嫌いするというか馬鹿にする…馬鹿にもしてないですけど、そんなに自分から敬遠するものでもなくて。そのマーフィーの中に書いてある絶対肯定感とか、そういうものってすごい自分が生きていく上でちょっと元気にしてくれるんだなーなんて思いました。
 だからホントにね、自分が元気ないなーとか、自分に自信をなくしたなーと思った時に、もう朝パッとこう…。例えば心屋仁之助さんの本もね。最近なにもかもうまくいかないと思ったら読む本みたいなやつ。タイトルちょっと微妙に間違ってるけど。
仕事・人間関係 「最近なにもかもうまくいかない」と思ったら読む本
そういうような本と かもね、なんかすごい読んでてね、うん…ほとんど読まなかったな、ぱらぱら見ただけ。だから速読ってそういうことなのかも知れないけども、でもその中でやっぱりちょっと刺さった言葉があるなーと思ったし。
 嫌われる勇気のね、岸見一郎さんの本で
「今、ここ」にある幸福
っていう本とかね。何なんだろうこれ?とか思いながらね、そういうのを読んだりとかね。だからこの前話したショーペンハウアーの哲学の話とかも。
ショーペンハウアーとともに
ショーペンハウアーもこういう感じで自己啓発書みたいなものを読んでたら、その中にショーペンハウアーの言葉があったんで、ああ、ショーペンハウアーって読んだことないなーと思って読んでみようと思ったっていうとこなんです。
 とかね、あとなんだろう?…あれだ、ボクの知り合いの明治大学の先生の堀田秀吾先生のね、
「考えすぎない」人の考え方
って本をね。それこそボクの知り合いの静岡の西原さんっていう、西原グループという餃子とかトンカツ屋さんを経営している会長がいらっしゃるんですけど、その方がすーごい読書家で、いつも本を紹介してるんですけど、その中に紹介されてた堀田先生の本。むしろ知り合いだったんでそんなにこう…知り合いの本ってむしろちょっと読むのボクの中では躊躇しちゃったりして読まなかったりしてたんですけど。考えすぎない人の考え方っていう本は、ボクは考えすぎるタイプなのでなかなか勉強になりました。
 その中で、また西原さんが勧めてた
人生を変えるモーニングメソッド
っていうね。つまり朝、1時間でも2時間でも早く起きてやること…瞑想だったりアフリケーションだったり、イメージングだったり、みたいなことをやりましょうみたいなね。そういうようなものとかが書いてあって。それも読んだりして。
 その感じっていうのがすごく自分の中で救われてるなーと思います。何て言うんでしょうね、その本のその言葉と、その日のその気持ちで出会うっていうマッチングのタイミングの感じって、すごく面白いなーと思うんですよね。だってもしボクがそのとき元気だったら、その本を読もうかなーなんて思わないわけですよ。まあ元気なんだから読まなくてもいいじゃんとも思えるし、むしろ元気じゃなかったからその本と出会えて、その本の中に価値ある言葉があったとするならば、その価値ある言葉と出会うために実は神様が元気をなくしてくれてたんじゃないかな…なんて思うと、もう何が、どこまでが時の流れで、どこまでが運命なのか?とか、どこまでが自分の意思なのか?みたいなこととかが、だんだん見えなくなってくるなーなんて思いながら。
 でもそれって。今ボクは自己啓発書で言ってるけども、あらゆる、あらゆる人間関係とか出会いとか別れとか、仕事とか、そういうあらゆるものもきっとそれでしかないなって、ちょっと割り切れるんだよなーと思ったんです。この割り切れるって感じが、割り切れない世の中ですごいボクの中では割り切れたんですよね。うふふふふふ。自己撞着してるかな、この言い方は、うん。
 どうせ割り切れないんですよ。どうせ割り切れないんだから、割り切ってみてもいいじゃん!みたいな。その割り切れるってのは、自分が割り切れないわけだから、自分だけじゃ割り切れないんだけどその時にね、その本の中でその一節みたいな言葉を頂くと割り切れるじゃんっていう。それが何かね、ちょっとした救いになるんだよなーなんて思うわけですね。
 だから「対象喪失の乗り越え方」っていう本とかってのは、本当に色んな…この方が、こんな有名人が、こんなことを言っていますとか、色んな事例が出てて。なるほどなと思うことも、いやそれはちょっと違うんじゃないかなと思うこととかもあるんだけど、でもそれってすごい意味がある。つまり対象喪失で言えば対象喪失ということすら、何かを失うということすら意味があるんだなっていうこと、そんなことを感じたりもするわけですね。

対象喪失の乗りこえ方/加藤諦三/大和書房
新版 マーフィー世界一かんたんな自己実現法/ジョセフ・マーフィー/きこ書房
仕事・人間関係 「最近なにもかもうまくいかない」と思ったら読む本/心屋 仁之助/KADOKAWA
「今、ここ」にある幸福/岸見一郎/清流出版
ショーペンハウアーとともに/ミシェル・ウエルベック/国書刊行会

最先端研究で導きだされた「考えすぎない」人の考え方/堀田秀吾/サンクチュアリ出版
コーヒーを飲むより「ちょっと運動」/西原宏夫note

朝時間が自分に革命をおこす 人生を変えるモーニングメソッド/ハル・エルロッド/大和書房
人生を劇的に変える「アファメーション」/西原宏夫note

ポジティブとネガティブの先

 これってネガティブだポジティブだって話は前回したと思ったんですけど。ネガティブだポジティブだっていうその先なような気がちょっとするんですね、ボクの中では。で、ネガティブだポジティブだっていう状況に一喜一憂しないというか、一喜一憂しないからって、それってもう何にも感じないぜっていう不感症って意味ではなくて、感じている自分こそ全てだと思ったときに、その感じることってのは喜怒哀楽、悲しみや…喜、怒、、怒る……喜ぶ、怒る、哀しい、楽しい、みたいなこともあるし、もっと妬みとかね。ジェラシーとかね、落胆とか。色んな、色んな色んな思いがあるんだと思うんですけど。そういうものが楽しいからいい、楽しくないからいいじゃなくて、色々あるんだっていうことを…楽しもうって言うとだからまたちょっとだけ語弊がありますよね。その波に乗ろうみたいな。ride on the wave みたいなことなのかなーなんて思うと、どうせその波に乗るしかないんだよなーなんてのも思ったりもするわけですよね。
 そう思うとね、なんか自分がこの世界についてどう思うか?という思いとか、なんなら夢みたいなものもあるし。夢って夜見る夢もあるしね、昼間見る妄想みたいなものも夢というかも知れないけども。そういうものと現実世界というものってどこまで差があるのかなーみたいなね。もうそうするとカント哲学とがそういうような認識とかね、なんかそんな…理性とは何か?みたいな話とかに…うん。ハイデッガーみたいな話になっちゃうのかも知れないんだけど。そこまで哲学的な話じゃなく、この世界というものを自分がどう感じるか?でしかないんだったら、その感じることが楽しいことや良いことばかりであるわけがないし。だったとするなら、むしろ退屈じゃねぇかななんてちょっと思える。
 ん〜、でも実際悲しかったり辛かったりすることがあると辛いわけですよね。だからそういうものは嫌だなーなんて思う反面ね、そういうものがあるということがむしろ必然だとするならば、その必然自体も楽しんでしまうしか、もう人間は生きられないのではないかっていう、またショーペンハウアー哲学の方に戻って行くんだけど。そんなことを思ってるから自己啓発書みたいなものの一節が心に染みるようになったのか?そういう自己啓発書の一節が心に染みるようになったからそういう思いがボクの中で沸々出てきたのか?それはわからないんですけどね。ボクの中では。ただ、そんなことも思うわけです。
 だから島倉千代子さん、すごいっすね。人生いろいろって歌ありますけど(笑) うん、人生色々なんですよね、本当にね。で、人生色々の中でみんな正解を求めすぎちゃうんだろうなーって。みんな正解を求めすぎちゃうんだろうなって今「みんな」って言ったけど、自分はちがいますよって、角田陽一郎自身は言ってたのかも知れないけど、でも何かあって落ち込んだりするのって、やっぱり自分が思ってた正解にはこの世界がなってないことで落ち込んでるんですよね。あらゆることがね。仕事だったり、人間関係だったり、お金だったりなのかも分かんないけど、なんかそんな…愛だったりとかね。
 とするとね、やっぱりこう自分の中でのイデアみたいな、正解みたいなものを作って、それとこの現実世界が齟齬していると、人は驚いたりもするけど、悲しんだりするんだけど、その時に自己啓発書とかで貰える言葉っていうのは…。何回も言ってますけど、自己啓発書じゃなくてもいいんですよ。それが小説でもいいし。ボクも小説とかからでも主人公の想いとかそう言うものから色んな言葉を貰えてるよなーなんて思ったりもするけども。そういうような、なんか、”世界の悲しみは世界が救え”みたいなね。その世界の悲しみを救うためには、その世界からやっぱり何かを貰わない限り人は立ち直れないんではないかなーなんて思ったりする時に、その世界というのは本当にリアル世界でもいいし、人との出会いでもいいんだけど、自然との触れ合いでもいいんだけど、本との出会いというのはやっぱり思考する生き物、人間としての自分の中で結構大事な要素なんだなーなんて思ったりもします。

フォロワー減少の考察

 なんかどんどん自分の中で自分というものの価値観が本当にこの2月くらいから変わってきてるんだなーなんてことは思っててね。最近Twitter…。ボクのTwitterフォロワーは1万人ちょっとしかいなかったんですけど、1万60くらいまで言ったあと、どんどん、どんどん減ってて。今日の段階で9,960くらいまで減っちゃいましたね。つまり100人くらい減ってるわけです。別に増えてる減ってるという意味で言うと、もっと増えた方がいいなーなんて思いながらも、積極的に増やす必要はあるのかな?なんて思いながらも。1万を切ってるというのは結構いやだなーなんて個人的には思ってはいるんだけども。
 でもどんどん、どんどん減ってるのってのは、なんとなく、ちょっと分かるんですよね。それって一番大きいのは新たな出会いがやっぱりコロナだから無いですからね。もしコロナでなければ色んなトークイベントとかやって新たな人とトークイベントをやったりすると、その新たな人のファンの方がボクを知ってくれたりすると、もしかするとボクのフォロワーさんになってくれたりするんだろうけど、そういう要素ってのが今ほとんど無いから、既存のボクの知ってる人の中で目減りして行ってるというのが目減りの理由だとは思うんですよね。
 まあそれは一つあるとは思うんだけど、それともう一個違うところで。ボクが例えば今まで話してたことってもっとこのビジネスではこうすべきだとか、この世界はこうあるべきだっていう、ポジティブなこともネガティブなことも…ネガティブのほうが7割くらいかも知れないけど…7:3くらいの割合でね、結構呟いてたんだけど、最近はもっとこう…ポエム的なっふっふっふ(笑) うん、ポエム的なものしかつぶやいてないような気がするんです。感性的なものというか、センス的はものというか。そうするとボクをフォローして下さってた方はもしかしたらボクの中でのバラエティプロデューサー的な、ビジネス的な、そういう呟きとかに共感を持ってるからフォローしてくれてた人が、「あれ?角田いきなりポエムっぽいものばっかじゃんか」っていう。夢とは?…とかね。
 自己啓発的なもの…自己啓発という意味で言うと他者啓発ではなくボクの中では本当に自己啓発なんですけどね。ボクが落ち込んだ時にこう思ってますっていうことを言ってるだけだから、本当の意味で自己啓発なんだけど。という言葉みたいなものはすごく嫌悪感がある、あるいは嫌悪感まで行かなくても聞かなくてもいいなーみたいな人が減って行ってるんだろうなーなんてのも思います。でもまあそれは自分の中での変化だから、致し方ないなーなんて思ってるんですけど。ただ、そういうボクなんですっていうところってのを、やっぱりこれは…もしICUCとかも含めてね、この動画も含めて、配信してて、ちょっとでももし心に刺さったりして頂けると、ボクとしては嬉しいなーって思います。
 今週まとまってるかな。何言ってるか。まあいいか。こんな感じでーす。知的好奇心向上委員会ICUC、バラエティプロデューサー角田陽一郎でございました。

画像1

文字起こし後の文字寝かし

(好き勝手に思った感想を書き残しておくことを文字寝かしと言うことにしました)

 先週の日曜は大丈夫で、月曜のラジオでは暑いからもうボクは夏ってことにしたから半袖だと言うものの、リスナーさんからは「今日はなんかいい声」と言われ、そして寿司特ではヴィックスドロップを口に放り込みつつ、わざわざPCR検査を受けてから病院に行ったのに病院は無下にするもんだからちょいとゴネてやったんだとコトブキさんに愚痴り。早くしっかり治りますように。
 友人などからは「季節の変わり目=彩は具合を悪くする」が定番の私だけど、実は年々自分の体調の癖の研究が成果をあげ、ここ10年で一番楽な日々…だった。というのも5~10年くらいで体調の崩し方の癖がぐっと変わり、今年がその当たり年。だから今年はちょっと大変ではあるけれど、無闇に心配しないで済んでいる。若い頃から不調が多いのも、なかなかどうして得だった。

 自己を啓発したい人。明確な目標はなくとも成功したいから読む、読んでるから努力したという感覚が得られる、そういう自己啓発書が本棚にびっしりの男子を揶揄する女性が描かれることも多い。やっぱり自己啓発書とビジネス書にはそういうイメージがある。角田さん的には分かりやすく解説したもの、自分で考えるという広がりがない本というイメージもあったのかも知れない。
 でも結局は自己啓発書もビジネス書も、読書をプロデュース的に読んでいいということなんだ。読書の対象にあっていい本。小説、漫画、詩集、歴史や哲学書と同じように出会うだけ。簿記やプログラミングの専門書だって、少ないけれども著者の思いが書いてある部分があるもので、そこで『ひとこと』に会うかも知れない。ただ、5分で分かるとかバズりそうな題名だと手に取りにくいかも…ということは、それって本の方が名前で損してるとも言える。

 速読というより拾い読みの方がしっくりくる。読書という行為はゆっくり読もうが拾い読みしようが、どうも占いに似ている。今日は健康運がいまいちだから緑のものを持ちましょうなんていう占いは、本でいえば5分でわかる云々みたいな数式と結果だけの本で。角田さんがやってる易などは受け取りようは様々で、どう心に刺さるか分からない。それよりもその時その言葉に出会った感が強い。私は一日一つことわざ辞典からことわざを拾って書いているけど、これが占いのようで面白い。読書をプロデュース流の読書は、この拾う、掬うを本から行う読み方なんだと実感しているところ。

 救いの『ひとこと』を本から掬うことが角田さんにとっては大事なんだ。本への愛着、愛情があるから。「その言葉が、本みたいなところから出てくると、すごい救われる。」少し距離を置いてた自己啓発書という本からでも『ひとこと』が届くということ、本というものに対する愛情の中から救い届くということが嬉しいんだ。

 ポジティブ・ネガティブの先の話というのは、明暗の先、有無の先、高低の先。陰陽とか表裏とか言うけど、1つの物事を表裏で1つと捉えることだと思う。つまり不感症とは逆というか、気持ちの迷子にならない。気持ちに座標みたいなものがあって、気持ちの現在地を知ることで今までよりはっきりと感じると思う。
 裏切られた話し。聞きたいような、聞きたく無いようなだけど、対象を喪失するということは、無くした分だけ新しいものを迎えられる。結果失ってない。
 迎えられるというのは、迎える気があれば…という意味で。例えばその裏切られたなと思う人なら、悔しい!悲しい!腹立たしい!だけでいっぱいだと迎えられないんだと思う。悔しい悲しいの反対面も見ると現在地がはっきりして、その人がいた部分、気の置けない友人だとか、尊敬できる人だとか、そういう部分を新たに担ってくれる人を迎える。その人に会いに行く。その人がその先を歩いてくれるんだと思う。
 そうか!分かった!私は負の感情を手放せと言う人のことを腹立たしく、なんならちょっと馬鹿にしてるくらいだった。悲しいことをどうして悲しく無いにせにゃならんのだ!と思うから。そうじゃなくて、手放すというのは悲しいことは悲しいまま、現在地さえ知ればいいだけなんだ。たぶんね。手放すより置いてくるの方がしっくりくるな。

 角田さんは辛いことがこの世から無くなるわけでもなく…と哲学してるうちに、自己啓発書の一節が心に沁みるようになったのか?心に沁みるからショーペンハウアーとか読んだのか?初めの初めは見えないほど小さいんだろう。見えるようになった時にはもう卵と鶏の循環の中。人の想いなんてぐるぐる回ってしまうから、正解も不正解も回っていくのかも知れない。だから人は中心にいる自分が正解だと思うんだろうけど、自分が渦の中心なんじゃなくて、渦の全てが自分なんじゃないか?その渦な自分は世界の渦の中にいるだけなんだろうな。じゃあ、ちゃんと、ゆっくり考えて、考えたことを時々人に話して、自分の好きなことがはっきり分かる人、礎を大事にしてる人になろうじゃないか。

 本は著者の文字のアルバムだ。当時のその人が写っている。今はもうずっと歳を重ねてたり、もう他界してたりもする。1冊の本になってるけど、著者の人生の内の数ページだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?