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つれづれ…なるままに。178。

今日は、なんとも悩ましいことに直面しました。
発達障害についてです。

今の学校教育で、発達障害などの児童は「合理的配慮」によって普通教室で授業を受け、特別支援への通級などで対応することが多くなりました。その子の「特性」と呼ぶこともあります。

ただ、ここには「大人側」の差がでてきます。

親御さんが、自分の子どもの特性を認めない場合、これはある程度…理解できます。
「自分の子どもは普通だ」と思いたい、その気持ちはわかります。

が、逆に学校が「この子には支援が必要だ」と感じるときには…少し意味が変わってきます。

「扱いにくい子ども」
「すぐにキレる子ども」
「指示通りできない子ども」

みんなが全て「発達障害」ではないはずです。

でも、レッテルを貼りたがる。
特別に「めんどくさい」子どもだからという目でみている、と感じるときがあります。

通級に行っている子どもに、と支援学級から絵本などを選んでほしい、と言われます。
何人かの、複数のリクエストがあるので、まとめてお渡しします。
(そこが、私の説明が足りなかったのですが)

「〇〇さんには難しすぎる」

と、きました。理解できないと思ったようです。

一応、他の子どものものを含めていることなどを説明しましたが。

どうも、この先生は〇〇さんのことを誤解している…と感じました。

もちろん、言いません。専門外ですから。
でも、モヤモヤが残りました。

知的には悪くない、ただ少し頑固すぎる、人の話を聞いていないように見える、理解しているかどうかあやしい…だけです。

実際、授業で調べ学習などは黙々とやりますし、集中力もあります。

場合によっては、生育環境の問題も絡みます。

だから「決めつける」ことは、ちょっと心配になりました。

昔、仕事をしていた学校に「片付けを絶対しない」お子様がいまして、学校全体で問題になりました。保護者に聞くと

「うちは、帝王学を教えています」

と仰って…先生たちと
「なんじゃそら!」となったことがあります。

家庭環境で、社会的なことを学べない子どもが増えたように感じます。
それを「発達障害」とは言わないでしょう。
最近は「自閉傾向」というヘンテコな言葉も使われ始めました。

そんなことを言い出すと、小学校は凸凹も多く、生まれ月でかなり能力の違いがあります。
実際、読書の質も「読めない」のか「読めるけど楽をしたい」のか、判断は難しいです。

そこは、いろいろと試したりはしますけど。

しかし、最近の「レッテル貼り」は少し心配な域になってきました。

本当に「発達障害」で悩み、苦しんでいる人たちといっしょにしたらいけないんじゃないかと…言葉が一般化されて、違う心配が出てきたように感じました。

うちの本棚にもありますが『ケーキの切れない非行少年たち』は、ある意味ショックな内容でした。

大人の「気付き」を大事にしなくてはならないと、自戒した1冊です。

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