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流浪の民と隠れ家サロン(後編)

名刺には「予約は電話かインスタのDMでお願いね!」と書いてあった。
私は電話が苦手だけど、それに輪をかけてインスタが苦手だ。だってInstagram怖くないですか…?あいつらキラキラの棍棒で殴ってくるやん…

少し迷って、電話で予約をとることにした。

私は何事も衝動で動く人間なので、思い立ったらすぐに行きたい。来週とか再来週とかそんなチンタラした予定は待っておられず、開口一番「明日行きたいんですが」と聞いてみたら運良く空いていた。

美容院はまぁ何とも分かりづらい場所にあった。ここ何年も開いているのを見たことがない寂れた煙草屋の横の細い階段をのぼった2階。外からは店の雰囲気どころか存在すら隠されていて、ははぁこれが隠れ家サロン…!

ドキドキしながら店内に入ると、思ったより広くて明るい。スタイリストはほぼ女性で、雰囲気も良く期待が持てる。

出迎えてくれたチーフの女性と軽く会話して、どんな風にしたいかを説明する。
「カットと白髪染めを!」と端的に伝える予定だったのに何故かパッションが溢れてしまい、己のどうしようもない髪質や生えぐせの悩みから、顔の丸さ・目の小ささ・絶望的なパーツの配置のまずさに至るまで、見た目のコンプレックスを洗いざらい早口でぶちまけてしまった。

チーフも、朝から初対面のおばさんに溜まり溜まった怨嗟の声を聞かされるとは思わなかったであろう。ごめんなおばちゃんストレス溜まっててん…

チーフはめちゃくちゃ明るく「じゃあこんな感じのイメージにしましょうね!」と私の理想ドンピシャの美女の写真を見せてくれた。え、マジ?今のやり取りでそこまで掬い取れた?凄いな???

このサロン、どうやら技術と薬剤にかなりの自信があるようで「カラーもパーマも髪の毛傷めません」「めちゃくちゃ丁寧にその人に合わせてカットします」「安易な客引きはしたくないからホットペッパービューティーとかにも情報載せてません」とのこと。
主に駅前や近所の公園で名刺を配り、クチコミで地元のお客さんを集めているそうだ。この令和の世に草の根活動が過ぎるのでは…?

じゃあ始めましょうという段になって、急にちょっと価格が気になった。何しろ衝動で生きる私なので事前にメニューも価格もなんも見てなかったのだ。

(カットとカラーで初回30%オフなら6,000円台かな…)と頭の中でソロバンを弾く。私がいつも行っている床屋は大体そんな感じなのでまぁ大きく外れることはなかろう。

チーフはめっちゃ笑顔で「13,500円くらいですね!」と言った。

は?

は……???

カットとカラー、そんなするもん…???

ここは青山ではない。めっちゃ家の近所。下町。30%オフで…?そんなする…???たっか…

予想外の金額で頭の中がパニックになった。
とはいえここで引き返すことは流石にできないので、努めてエレガントに「はい、わかりました」(震え声)と言った。

※恐らくこれを読んでくれている方々にとってはごく普通の価格帯なんだと思う。しかし私はいつも2,000円くらいでカットして白髪は家で染めたりしていたのだ。そして浮いたお金はご存知の通り香水に全ブッパして生きています。

まずはカラーから。
私の白髪は生きる喜びとエネルギーに溢れていて、太いわギラギラに輝くわ上に上に飛び出るわで非常に厄介なのだが、ホームカラーでは実現し得ないたっぷりの薬剤と死ぬほど長い待ち時間を経てツヤツヤに染まった。

濡れ髪のままざっくりカット。
こんな濡れた状態でザクザク切っちゃって大丈夫なんですかね…と不安になったが、当たり前だがプロなので完成形が見えているんだろう、実に迷いない手つきでテンポ良くカットされていく。

ここまでが1時間くらいで、あら割と早く終わりそう!と思った。「シャンプーと、あとトリートメントしますね」とシャンプー台に導かれる。
カットの価格が高いのは、どうやら髪質改善のトリートメントが標準装備されているからのようだ。1回でも効果を実感できるが、定期的に施術を受けることで硬くゴワゴワのうねり髪も外国の子供みたいに柔らかでふわふわの質感になるそう。

私の人生において髪が柔らかでふわふわになった経験は一度もなく、なんなら自分の髪が垂直に指に突き刺さって負傷したこともあるし、抜け毛を夫に拾われて「俺の5本分の太さや…きっしょ」と心無い罵倒を受ける毎日である。

トリートメントの薬剤が塗られていく。
1剤→2剤→10分熱を加えて放置→冷まして5分放置→シャンプー→3剤→席で10分放置→洗い流す→4剤→ミスト状の何か→10分放ch

…いやいやいや長い長いめっちゃ時間かかる肩凝って死ぬ…

お手軽トリートメントだと舐めてかかっていたら、釉薬を何層にも重ねて陶磁器を作るがごとし。ドえらい時間がかかる。トリートメントだけで1時間かかるって正気ですか私の肩がもう限界…尻の筋肉までが痛い…

チーフやアシスタントの方がいちいち「今塗ってる薬は~」と説明してくれるが、途中から疲れと眠気で半目で聞いていた。何度か意識を失ったので多分気絶してたと思う。

しかし、果てない待ち時間を終えて洗い流して乾かしてもらうとそこにはふわふわ世界が広がっていた。

…!指に髪の毛が刺さらない…!?(※普通は刺さりません)

きもち柔らかくなっていて、自分の髪ではないみたいである。えーすごい。すごい効果だ。今まで家でやってた市販のトリートメントis何…???

そのままカットの仕上げに入る。生えぐせと毛流れを慎重に見ながら、物凄く細かく切ってくれている。
「手ぐしとヘアオイルだけで朝もサッと勝手にキマるようにカットしてますからね!」何と心強い…!

因みに「髪はすぐに、秒で乾かしてますよね?」「朝はどうされてますか?ヘアミストとドライヤーとスタイリング剤って感じですか?」「普段はミルクとオイルどちらを使うことが多いですか?」と矢継ぎ早に質問され、

「乾かさんと寝ることも多いですね…基本自然乾燥で」
「朝はなんもしてません…なんかした方がいいですか」
「一番近くにあるものをぺーっと…塗ってます…」

と返したら「ダメだこいつ何とかしないと」みたいな目で見られた。すみません…

仕上げにおすすめのヘアオイルをつけてもらった。
これがまぁアールグレイティーのなんとも良い香りだった。ベルガモットの渋みと華やかさがぶわっと広がって本当に淹れたての紅茶を前にしているよう。

アンダーバープラスヘアオイルというらしい

軽やかでとても満足いく仕上がりになった。
気まぐれで訪れたサロンだったけど、普段の2,000円カットと明らかに違うし来てよかった。髪もまぁ…こんなにふわふわになって…!

お会計の時に、凄い勢いでサロン専売品をプレゼンされた。
水だけどただの水じゃない凄いミストとか、さっき付けてもらったヘアオイルとか、全身にも使えてしまうハイパー寝癖直しとか(懐が寂しかったので買えなかった)

「1ヶ月半ごとに通わされるのを推奨してます、次はいつにされますか」とカレンダーをズイと出される。わ、割と圧強いな…?もう通うの確定な感じ?次は30%オフがなくなるからカット&カラーで2万弱…?香水1本買えるのでは…???

技術には満足だが、通うごとに2万飛んでいくのは心理的抵抗があった。今まで2,000円カットと798円のヘアカラーで生きてきたからそりゃそうだろう。浮いたお金で香水を~が出来なくなる。死活問題だ。

私は心に山賊を飼う荒々しいおばさんだが、「断る」ということが全然できない。頼み事をされたら「あ、はいやってみます大丈夫です全然大丈夫なんでふふふ」と安請け合いしてしまう。NOと言えない日本人の極みである。流石に1ヶ月半は厳しいので2ヶ月後に予約した。

ホットペッパービューティーや雑誌に載っているお洒落な人達は、みなお金と時間をかけてあのふわふわをキープしているんだな…と全然知らない青山の民の努力に思いを馳せる。

ふわふわの髪と5cm切って様変わりしたシルエットにニコニコしながら店を出る。家族は何と言うだろうか。可愛くなったね髪の毛柔らかい感じになったねと褒めてくれるだろうか。

美容院に行くとは告げていなかったので反応が楽しみだったが、家族は誰一人として私の変化に気付かず完全にスルーされた。
たまらず自分から夫に切り出してみたが、「30cmぐらい切らんと気付かんわ」と一蹴される。くそっ…お前は良いよな髪質も良くサラサラの直毛で白髪もなくてよぉ…ぶん殴りてぇな…(山賊)


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