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金銭的に不安が尽きない私が、会社員辞めるまで


始まりは高校時代から

おそらく物心ついた時から、金銭的に不安がありました。

実家は普通のサラリーマン家庭。

裕福ではなく、普通。

ただ、母の口癖は

「お金がない」

でした。

繰り返し聞かされていた事で、身体に染み付いてしまったのかもしれない。

そのせいか、高校生になってから常にアルバイトを掛け持ちしていました。

コンビニ、福岡ドーム(当時の名称)、ピザ屋、個別指導塾の先生、カットモデル、結婚式場等…。

15連勤なんかはしょっちゅう。

高校では珍しい服飾デザイン科というクラスにいた事もあり、材料費や服にお金が必要だったのもあります。

いつかは上京し、専門学校で学びたい。

その為にも学費と生活費を貯めなくちゃ。

親に出してもらうという思考は全く無かった。

バイト先の大学生に生活費はいくらかかるかリサーチしたり、必死でした。



高校卒業〜絶望の村上春樹

高校卒業しても慎重派の私はまだ上京は無理だと判断。

地元福岡の天神にあるファッションビルで販売員を始めます。

セレクトショップで、バイイングにも同行させてもらったりとても楽しかった。

バイヤーになるのもいいなぁなんて思った矢先、経営者が未成年に手を出したかなんかであっけなく閉店。

たぶん、ここが人生一番の絶望を感じた時です。

落ち込んで、人生を見失い、実家の屋根裏部屋で村上春樹の本を読み耽っていました。

だけど小心者の私は、このままじゃ社会不適合者になる!と改心。

改めて、上京を目指し、メンズアパレルのメーカーでアルバイト等を始めます。


晴れて上京。ギリギリ東京在住。

卒業後、3年間で200万くらい貯めて、学費は自ら返すからと宣言し親に借り、奨学金も借りて、晴れて上京。

ちなみに初めての一人暮らしの家は内見を一度もせず、ネットの画像で決めて借りました。
今考えるとすごい度胸。

西東京市にある、ロフト付きのアパート。家賃は5万2千円。

ロフトがある分広さはまぁまぁでしたが、隣の部屋のいびきが聞こえるほどの壁が薄いアパートでした。

休みの日はテレアポをしながら、貯金を切り崩して何とか生活。

専門学校では、周りより少し年上だというのもあり、ふざけてなんていられない!と、超真面目に課題に取り組みました。

友達が引くくらい真面目。
成績はなかなかの優秀。


就職。社畜から抜け出す方法

2年専門学校で学び、無事に就職先も決まり、アパレルメーカーでデザイナーとして働き始めます。

当時を今振り返ると、よくもまぁあんなに頑張れたなと思う。

お給料は手取り17万円くらいで、残業代なし。

毎日終電まで残業し、土曜日も出勤。

だけどとにかく夢中で働いた。

三年目くらいでいろんなところから引き抜きの話が来た。

どこも有名なアパレルブランドで計4社から。

あくまでメーカーのデザイナー職が気に入っていた私は転職する気はなかったけど、一度物は試しに社長に話してみた。

「他社から引き抜きの話が来ています。
 私はこの仕事が大好きですが、他社のお給料面と比べると正直迷っています。」

と。

そしたらすんなり年収100万円くらい上がった。

そこで私は学んだのです。

「自信を持って成果を出したと言えるなら、堂々とお給料交渉すべき」

と。

それからしばらく経って、27歳の時に当時の会社のNo. 1営業マンだった人に一緒に会社作ろうと誘われました。

その人とペアで担当しているお客様が大好きだったことと、やっぱりこの仕事が好きだったこと。
その中で新たな挑戦ができることに魅力を感じ、あっさり同意しました。


会社設立

新しい会社を作ってからは、さらに順風満帆でした。
初年度は社長と2人で、約半年で年商3億。

毎年業績を上げ続けて、6期を迎えた今では年商7億。

社員は増えたり減ったりで今6人。

お給料は気軽に交渉を続けて、やっと年収700万まであがりました。

交渉するたびに社長に言われた一言。

「この給料、アパレルの女性では破格だよ」

何も知らない私は少し優越感に浸ってました。

でも、彼氏(今の夫)に詳細話すと

「今すぐ独立した方がいいよ!」

と、すぐに独立の方向に話を持っていかれる。

でも独立=営業もしなくてはいけない。

私、コミュ力が圧倒的に低いんです。

営業なんて、1番やりたくない仕事。

デザイナーだから私はここまで実績を出せるのであって、独立となると話が違う。

頑なに拒否していました。

私はデザイナー職で収入を上げたいだけなんだから、話を逸らさないでくれと。

そんな喧嘩(?)をしつつも、彼と結婚。

29歳滑り込み。


結婚・出産。そして気づいてしまった

結婚した私達は、子作りについて考えます。

いや、結婚前から討論していました。

結婚すらしていないのに子育て方針について喧嘩したことあったなぁ。

共働きは大前提だったので、当時世田谷区に住んでいた私達は引っ越します。

なぜなら世田谷区は待機児童率がダントツだったからです。

待機児童率が低く、周りの平均年収が高い港区なら大丈夫だろうと、家賃は高いけれど港区に引っ越しました。

妊活をして、晴れて妊娠。

悪阻はほぼなく(無性におにぎり食べたいくらい)、お腹が大きくなる以外は順調だったので臨月まで働きました。

当時会社全体の売り上げの7〜8割くらいを私が担当していて会社が少し心配でしたが、経験者を2人雇うことで解決。

盛大にお見送りしてもらい、すぐに戻るからと約束し、産休。

9月に無事に出産し、育休。

その頃から、私の気持ちが変わり始めます。


あれ…復帰したくない…

12月に保育園の申し込み。

とりあえず見学をして、家から通える保育園6種類くらいを希望に書いて申し込みました。

その頃、産後の辛かった身体は回復し母性が溢れてきました。

あぁ…かわいいなぁ…。

ふにゃふにゃで、自力では何もできない赤ちゃん。

自分の存在意義を強く感じさせてくれます。

保育園は確か2月くらいに結果発表。

通知が来る日、ポストを見ると封筒が。

その時初めて自分の気持ちに気付きます。

“落選してますように…”

そう祈りながら封筒を開ける自分がいました。

そして結果は…


“合格”


少し、泣きました。

まだ働きたくなかった。

もっとこの子をしっかり見ていたい。

だけど経済的にいずれは働かなくちゃいけないのは事実。

会社にもすぐ戻る約束をしているし、夫もそれを応援してくれている。

保育園を断れば幼稚園まで働けなくなる可能性もある。

このご時世に保育園に入れるなんて幸せなことなんだから、喜ばないと。

そう言い聞かせて、四月から仕事復帰。


仕事、楽しくない

復帰後は、担当ブランドを減らして時短で働きました。

前任者が復帰前に辞めてしまい、その影響からか取引が少し減った。
とはいえ、年間3億以上はある上顧客なので、私も全力で取り組む。

だけど、なんか楽しくない。

気持ちが入らない。

毎日5時ぴったりに帰る事だけを考えていた。

元々倍量の仕事をしていたわけだから、正直余力がありすぎる。

でも、子供はいつ病気になって休むかわからないし、0歳児は延長保育もないから多くの仕事を引き受ける訳にもいかない。

そんな気持ちで日々過ごすうちに、


「会社辞めたい」


という気持ちが高まっていきました。

仕事にも、子供にも、全力を注げていない状況が嫌になったのです。

例えば子供が病気になった時。

呼び出しの電話が来たら、基本は私が迎えに行きます。

病院へ連れて行き、すぐには良くならないので次の日の保育園は休み。

そんな日は、病児保育という所に預けます。

病院に併設された保育施設で、¥2,000で先生と保育士さんが病気の子を見ていてくれるのです。

ありがたい施設なのですが、

・病気の時すら一緒にいれない罪悪感
・周りの子も病気なので、良い環境とは言えない
・保育時間が短く結局早退はしなくちゃいけない=会社には謝らないといけない

この、娘にも会社にも申し訳ない状態。


私が働く事=娘にも会社にも迷惑をかける事


こんな気持ちが常にありました。

そこまでして、やりたい仕事なのか?

逆に、働きながら娘にも会社にも迷惑がかからない方法はないのか?

あれ、私って迷惑な存在なのか?

そういった事を常に考えてました。



時短勤務は頑張っても低評価

そもそも、仕事が楽しくない事の根底に会社の評価基準があります。

妊娠を報告した時は、

「時短でもお給料かわらずそのまま出すから、早く帰ってきて」

と言っていた社長。

当然私はその言葉を鵜呑みにして復帰します。

でもいざ復帰してみると、

「時短分はお給料減らすから」

の一言。

理由は会社の業績が下がったから。

でもそれ私のせいじゃなくない?

私が休んでる間、社長は何をしていたの?

私以外に社長に強く言える人がいないから、ゴルフ三昧だったそう。

ほとんど出社しないで、出社してもゴルフの素振りしてばかりだったって。

それで業績落ちて私の給料減るの?

でも、担当ブランドは減らして、勤務時間が減っているのは事実。

何も言えなかった。

ボーナスは気まぐれなところもあるから、月給は変えずにボーナスで減らしてもらう方向で決着がついた。

その頃から、私の気持ちは明確になりました。

社長や会社に対して思うことがあるなら、自分で会社やりなよと心の中でツッコミが入るんです。

そう、悔しいなら、辞めればいい。

でも辞めれないならそれはわたしの実力不足。


まずは会社員辞めてみよう

転職も考えたけど、根は小心者の自分はなかなか踏み出せない。

お給料が減ったとは言え、時短で年収約500万は転職でなかなか見つからない。

ただ、時間さえあれば副業なり、投資の勉強なりができる。

今の自分に圧倒的に足りないのは時間。

そして、理想の働き方は家で好きな仕事をすること。

雇われの、他人にコントロールされる人生はもう嫌だ。

ある夜、思い切って酔った勢いで夫に相談した。

なにせアルコール度数6%のチューハイだったので、お酒弱い私はベロベロ。

包み隠さず、ジレンマやら夢やらを話しました。

そしたら夫が一言。


「会社やめなよ」


あれ、いいの…?

夫はブラックな美容室で働き、個人事業主を経て経営者になった人間なので、少しは私の気持ちがわかるようで。

収入減ったりはそんなに気にしないから大丈夫だよと言ってくれました。

そこで気持ちのブレーキが解除。

私の頭は会社を辞めることでいっぱい。

いや、会社を辞めるというよりは、会社員を辞めることで頭がいっぱいでした。

別に違う仕事がしたいわけではない。

社長に対しては思うことがあるけれど、同僚や取引先の人は大好き。

今の私にとってベストなのは、今の仕事のまま、業務委託にしてもらうこと。

家でできる作業は家でしたい。

時間の選択肢が欲しい。

空いた時間を会社で消耗せずに、違うことをしたい。

早速社長に気持ちをオブラートに包んで伝え、会社の税理士さんも交えて色々話し、晴れて会社員を辞めて業務委託になることができました。

話す前に相談した、自称オカマのお友達の名言です。



会社員辞めると人間変わる

自分次第でいくらでも時間が作れる状況になった瞬間から、私の仕事の効率化がものすごい。

ゲンキンな人間ですよね…

平日共働き、休日は完全にワンオペ(夫は仕事)な私は家での一人の時間に飢えていました。

ツィッター、ブログ、投資、読書、掃除、離乳食の作り置き、買い物…

したいことがありすぎる。

効率化した結果、今まで週5日、10時〜17時までやっていた仕事が約半分の時間で終わることになりました。

出社も週3日あるかないか。

さらに効率化するために、今まで紙とシャーペンやいろんな文房具とコピー機やスキャナーを駆使して描いていた仕様書を、iPadとiPad pencilだけに集約することも成功。

ちなみに独立してからのお給料は、独立前の額面のお給料そのままで契約となりました。

おそらく会社側はかなりメリットあるはず。

私は節税を学びつつ、空いた時間に収入を得られるように投資などを勉強しています。


以上が私の仕事の遍歴です。

ずっと変わらないのは、誰かに依存できないというところかな。

金銭的に、親にも甘えられなかった私は結婚しようが出産しようが働き続けるのは当たり前です。

夫の収入アップは一切期待していない。


ただ、歳を重ねいろんな経験をするにつれ、働き方に対する考え方が変わってきた。

同じ“働く”なら、自分が心地いい状態で働きたい。

何かに不満を抱きながら働くというのは、1日の起きている時間のうち大部分を荒んだ気持ちでいることになる。

選べるなら、心地いい方。

これからは、不労所得を増やして労働時間を減らすことを目標としています。


今の働き方に対して、不満がある人のお役に立てたら嬉しいです。

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