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なんでまた、PTAなんかに興味を持ったのか

今後記事を書き始めるまえに、書いておかなければ。

自分のnoteなので好きに書くつもりだし、なんなら偉そうなことを言うかもしれません。でも自分の意見のほとんどは、何かを見て、勉強して、知識をたくさん蓄えた末にたどり着いたものでもないです。
むしろ勉強不足だと思います。

完全に自分の主観・思いつきだし、自分だけの狭い思考で出した考え方は、前提が間違っている場合もあるだろうなと思うわけです。
そのあたりは、もし読んでいただいた方の中でご指摘あればぜひ教えて下さい。そしたら勉強になります。

PTA、全く興味ナシ

というわけで今回の記事の話。
ほとんどの人と同じく、自分もPTAなんかに興味はありませんでした。

自分が中学生くらいのとき、PTAって「ごっつええ感じなんて見てはいけないザマス」と押し付けてくるアレでしょ、みたいな物凄くステレオタイプの認識でしかなく、単純に記憶力がないのか、実際どんな人がいたのか全く覚えていません。
小学校時代はもっと覚えてません。

とにかく「学校のことに保護者が絡んでいるアレ」ぐらいのイメージでしかないです。

大人になったってもちろん興味が出ようはずもなく。
耳目に触れる情報に「PTA」があったとしても、それはネガティブな話題で取り上げられているものばかり。

だから自然と「ろくでもない」もんだと刷り込まれていました。そしてそれは、多くの人にとっても共通の認識なんじゃないかと思います。

いじめ問題を見て、思った

そのうち結婚して、長男が生まれ、すくすく育っていたある日のこと。
とある小学校で起きた「いじめ自殺」の報道がニュース番組で流れていました。

「学校ではいじめを把握しておらず」「調査の結果、いじめはなかったと判断」「担任は事の重大さを認識できていなかった」

いじめの報道のたびに見る常套句が並んでいました。
そして学校の校長先生と教育委員会の人が謝罪をする、これまたお決まりの光景。

それを見て、ふと疑問に思うことが一つ。

「PTAってなにしてるんだろう?」

ざっくりしすぎですが、その時はそう思ったのです。

いじめの発覚って、いじめられた子の保護者からの訴えによるものも多いですよね。それで何度も学校に掛け合ったのに対処してくれなかった、という顛末も良く見るなぁと。
仕方ないから教育委員会に訴えたものの、もみ消されそうになったり、とか。胸糞悪い話なんかも残念ながらありがちです。
とにかく学校が閉鎖的な空間になってしまっているせいで、突破口が極端に狭い。

もちろん当事者でなければ詳細わかりませんけど、多分いじめを訴えた保護者の人たちも本当に苦しんで、ちゃんと取り合ってくれない学校や先生に対して“恨み骨髄”だろうなと想像(妄想?)するわけです。

いじめられた本人だけでなく、その保護者も孤立しているという現実。
自分たちだけで先生や教育委員会を相手にしなければならず、同じ学校の中に味方はいない…
そして、最悪の結末を迎える。

こんなの絶望的ですよね。
そしてこう考えました。

どうしてこんなことになるんだろう?
誰もブレーキ踏めなかったの?
PTAってそういうの干渉できないの?

…いや、できるでしょ。

根拠もなくそう思った時、PTAが物凄く「自分ゴト」になってきました。

自分のこどもがいじめの被害者になったら。
もしくはいじめの加害者になってしまったら。

その時、親たちの存在が同じ学校の中に感じられたら、きっとこんな悲惨なことにはならないんじゃないだろうか。
PTAは、そういう存在になれるはずだ。

そんな風に考えてしまったら、PTAに入るしかないんですよね。
入ってみなきゃわからないこともそりゃあるだろうけど、とにかくやってみたい。
それからはPTAについて色々と考えるようになりました。

自分にこどもがいたからこそ、PTAへの興味が沸いたのは間違いありません。どんなことでも「自分ゴト」にするのが一番のめり込むキッカケなんですね。
我が子のためにも、良い学校であってほしい。

よし、寝よう。


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