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【読了】たゆたえども沈まず(DAY321)

池上本門寺の、長い下り坂を思い出した。


あれは上野の博物館に行ったあと、
亡き祖母が若い日を過ごした街を感じたくて、

ゆらゆらと電車に揺られて出かけた日のこと。


天にびったり張り付いた太陽は
晩秋のくせに白くて。


ああ。

そうそう、
あの日のわたしは

上野公園の、
カフェとレストランの中間みたいな場所で、

苛立ちを紛らわせるように
麦酒を喉に流し込んだんだった。


翌日は、ヲタクの祭典だった。

・・・祭典だったのに、
私はまったくと言っていいほど
モチベーションが上がらなかった。

出展者として参加するのに。

自分が書き、
そして印刷製本してもらった本を
頒布しなきゃいけなかったのに。


表現のことで、もがいていた。


今なら鼻で笑って
終わりにするであろうことに対して、、、


傷つき、


もがいていた。


もがきが苛立ちを生んで、

その感情が、
上野公園のカフェで、
麦酒に指を伸ばさせたんだった。




池上本門寺へ参拝した帰り。


駅へと向かう私を阻むように、

アスファルトから陽炎が起きた。


坂道が揺らめいていた、ゆらゆらと。


私の視界も、次第にぐらぐらと、

いや、ぐわんぐわんと歪み始めた。


軽い熱中症だった。

晩秋なのに。


大井町のホテルに戻って、

体と心を鎮めて。。。



(ねえバカみたい。

 勘違い、してさ。

 あたしなんか、
 これっぽっちも才能なんてないのに、)



夕暮れ。

私は再び出かけた。


今度は、
クリスマス色にはしゃぎはじめた
恵比寿のガーデンプレイスへ。


ゴッホの映画を見に行ったんだ。


とにかく「色」が印象的な映画だった。


赤。

青。

黄色。


こんな世界があるものかと思った。


どこまでもまっすぐで、

脆くて切なくて苦しくて、

そして、
美しい世界。



一面の、麦畑。黄金の。


ぐらぐらした。
季節外れの熱中症のせいだけではなく。





そして、

私はなぜ、文章を書いているんだろうと

どうして「表現」をしているんだろうと

心に疑問を落とした。




それはじわじわと波紋を広げ、

やがて心がソレ以外に無くなってしまったとき、


私は、筆を折った。……





あれから数年の時を経て、


私はまた、文章を書いている。


自分のためだけに書いていた、
あの頃のヲタクの文章ではなくて、


誰かのための文章だけども。




でも、だからといって


あの、
胸の奥から絞り出すように葛藤を紡いだ、

クリーム色の書籍用紙の上で叫んだ言葉たちは
決して無駄ではなくて。……




今回、ご縁があってめくった本。

『たゆたえども沈まず』。

誰も知らない、ゴッホの真実。天才画家フィンセント・ファン・ゴッホと、商才溢れる日本人画商・林忠正。二人の出会いが、〈世界を変える一枚〉を生んだ。1886年、栄華を極めたパリの美術界に、流暢なフランス語で浮世絵を売りさばく一人の日本人がいた。彼の名は、林忠正。その頃、売れない画家のフィンセント・ファン・ゴッホは、放浪の末、パリにいる画商の弟・テオの家に転がり込んでいた。兄の才能を信じ献身的に支え続けるテオ。そんな二人の前に忠正が現れ、大きく運命が動き出すーー。『楽園のカンヴァス』『暗幕のゲルニカ』の著者によるアート小説の最高傑作、誕生!2018年 本屋大賞ノミネート!

幻冬社webページより


…たゆたえども、沈まず。

そのタイトルのとおり、

天を仰ぎ、揺らぎながらも
力を抜いてカラダを水に委ねてさえいれば、

循環する思いのなかで

彩りは変わってしまったとしても、
私は、「わたし」で居られる。



そんなことを感じた。



そしてあの日の、
池上本門寺の坂道。

いままで、

祖母の記憶、
筆を折ったときの記憶とともに
思い出していた。


これからは、
あの、陽炎に揺れる坂道とともに、

『たゆたえども沈まず』に登場する
セーヌ川のシーンも併せて思い出しそう、


そんな予感がする。




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