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「ジャッカル=悪いもの」という図式の手放し方

NVC(非暴力コミュニケーション)を学び始めると、場合によっては「ジャッカル=悪いもの」という思いにとらわれてしまうと思います。

ジャッカルとは「NVC的ではないもの」の象徴で、多くの人が小さい頃から受けてきた教育やその後の成長過程によって身につけてしまった支配的な伝え方です。
たとえば、義務感を抱かせて相手に強要するような伝え方「部屋に入る前はノックをするべきだ」は、ジャッカルと表現されます。
ほかにも、正しい・間違っている、良い・悪い、罪悪感を抱かせる伝え方、羞恥心をもとに強要する伝え方などなど、NVCが目指す(お互いのニーズを満たすために人を思いやろうとする気持ちを引き出す)お願いとは対極にあるものは、ジャッカルの典型といえます。

NVCを知ると、周囲が「評価の言葉」で溢れ、また、ジャッカルの言葉が飛び交っていることに気づきます。
なるほど私たちの対立の種はこういうところに存在しているのかと納得する一方で、自分でもジャッカルを使っていることに気づき、それを少しずつ手放していくことでしょう。

さてそんなことを繰り返していくうちに、誰かとする会話のなかで、相手の口から聞こえてくるジャッカルが気になってしまうこともあります。
少しでも相手の伝え方を聞いて「ジャッカルだなあ」と思って、相手に対しキリンの言葉(NVC的な伝え方)をついつい期待するようであれば、この記事が役に立つかもしれません。

ジャッカルな表現は「満たされていないニーズがある」というサイン

本来NVCでは、相手がジャッカルな表現をしたということは、相手の側に何らかの「満たされていないニーズがある」というサインであり、ニーズや感情を推測するきっかけになります。

にもかかわらず、ニーズを推測するのではなくジャッカルな表現が気になってしまうのだとしたら、そこにはもしかしたら「ジャッカル=悪いもの」という図式が存在しているのかもしれません。

ジャッカルかどうかは、単なる分類

何らか行われた表現について「あれはジャッカルだった」と考えるとき、それはあなた自身が「ジャッカルという評価をした」ことになるでしょうか?
あくまでそれは分類のようなものといえるのです。

自分自身で考えると分かりやすいのですが、過去の発言がジャッカルだったかどうかを考えるにあたっては、何を動機とした発言だったか、相手を責める意図が自分のなかにあったかどうか、心の底から与えることを考えられていたか、ニーズを満たすためのリクエストになっていたか、などなど、あくまでNVC的であったかどうかを考えるひとつの指針といえます。

仮にそれがジャッカルだったと気づいたとしても、「それによって自分自身を責めるなら」それこそがジャッカル的な行為でしょう(悪いことをしたから責める、内なる教育者が自分のなかに存在するということです)

「いやいやそんなこといったって、NVCではジャッカル的な表現を改めようとするじゃない」と思うかもしれません。
ですがそれは、NVCが良いもので、ジャッカルが悪いものだからではありません。

ジャッカルにも良い面があるよという話?!

あえてジャッカル的に「良い悪い」という話をしますが、ジャッカルの世界で(つまり現代社会の大半において)メリットがなければ、ジャッカルな表現が使われることはないでしょう。

個人的には、ジャッカルな表現は、現代において有効なケースも多々ある"洗練された表現"の一面があると思っています。
要は、メリットがいくつかあるから使われているということです。

言い換えれば、ジャッカルな表現にも、使う人にとって「満たせるニーズがある」から、ある意味「流行している」といえます。

ジャッカルな表現によって満たしたいニーズの例

たとえば、待ち合わせをしていて、何の連絡もなしに遅刻をしてきた友人に対し「もー遅れるなら連絡ぐらいするのが常識でしょ?!」と言ったとします。
連絡がほしいというのは、そのひとが配慮を求めていたりしますが、ここではこの伝え方のジャッカルな表現に注目すると、「常識」というフレーズから「連絡をするべきだ」という義務感や正しいことといったニュアンスが含まれていそうですし、相手に自分の悪いところに気づいてもらって正してほしいというゆるく強要している面もあります。

これに対し OFNR を用いたお願いをするとしたら、たとえば「約束の時間を10分過ぎても連絡がなかったので、どんな状況か分からず困りました。遅れることが分かっていればお店に入って待つこともできたので配慮がほしかった。次からは遅れることが分かった時点でメールしてくれますか」と伝えることができるでしょう。
(あえて丁寧に書いていますが、たとえばここでは観察について省略したとしてもお互いに誤解が生まれたりということはないでしょう)

比較をすると、ジャッカルな表現のほうが短く、関係性によっては意図を端的に伝えられる可能性もあります。
ジャッカルな表現は「洗練された表現」といったのはこのことを指し、短いなかに(言外にも)多くの内容を含んだ、試行錯誤の末に生まれた伝え方なのだと思っています。

ジャッカルな表現を使うことには、効率のニーズが含まれていそうですね。
ほかにも、友人同士の「気楽さ」や「仲間」のニーズなどもあるかもしれません。

ジャッカルな表現を手放そうとするのは

そういったニーズを満たすために、ジャッカルを手放そうとしているあなたも、かつては(もしくは今でもときどき)ジャッカルな伝え方を好んで使っていたといえます。

NVCを知ってジャッカルな表現を手放そうとしているのは、あくまでNVC的な伝え方のほうが人生をより豊かにすると気づいたからでしょう。
そこにはどっちが正しいかという視点はなかったはずです。

ジャッカルも伝え方のひとつ

「ジャッカルは単なる分類」といったのも、これまで書いてきたように、伝え方のひとつであり、(NVC的な伝え方のほうが心からのYESを引き出しやすいという面はあるものの)決して「悪いもの」というわけではないのはおわかりいただけますでしょうか。

おそらく相手の発したジャッカルな表現が気になるということは、自分自身にも何かしら満たされないニーズがあるのでしょう。
それ以上に相手には(ジャッカルな表現を使うだけの)満たされてないニーズがあります。悲劇的な(あるいは自殺的な)表現で、それを伝えようとしているのです。

「ジャッカル=悪いもの」という図式の手放し方

「ニーズはなんだろう」「感情はなんだろう」と推測しながら、そこに意識を向ければ、おそらくジャッカルな表現が気になってしまうことはないでしょう。

自分自身のなかに「ジャッカル=悪いもの」という図式が残っていると気づいたら、自分なりにジャッカルとは何かを考えてみると、手放しやすいかもしれません。
この記事が、その一助となれば嬉しいです。

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