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故郷を想ふ

私は九州の筑後川という大きな川の近くで生まれた
幼い頃はよく「あなたは筑後川から拾ってきたのよ」とからかわれたものだ

そんな筑後川がこのお盆の時期に氾濫しそうなほどに荒れている

あの悠々と水をたたえたゆったりとした流れが、轟々とした荒々しい響きに変わっているのだ

小学校の頃、古い校舎の渡り廊下の天井には、木製の船が吊り下げられていた。昔はよく川が氾濫していたのだろう。もちろん実際に使用する目的ではなく、過去の大水害の歴史を語るものとして置かれていたと思うが

当時の私がその船に乗って登下校する、そんな妄想をしていたことを思い出した。学校から家まで船に乗って行くのである。あたり一面の水の中を小さな木の船にひとり揺られる姿はなんともシュールである

太古の昔から、人々は自然の脅威と対峙してきたのであろう。山の噴火や地震津波など、突然自分たちの今までの生活を壊され、それでもまた立て直していくそんな繰り返しだったと思う

私はつくづく人は偉大だなと思う

今回も水害やコロナで、今までの生活を奪われた人が多くいるだろう
これから先の未来においても、いつ自分の命が奪われるかもわからない

それでも、淡々と人々の生活は続いて行くのだ

「人生と何なのだろう」
私が幼い頃から抱き続けた疑問だ

ひとり木船に乗り自分の家を目指す妄想をしていた時からの問いである

大人になった私がその問いかけをされて、ひとつの答えを出すならば
「昔の人々が命を紡いでくれたように、何があっても淡々と自分の日常を続けて行くことが、人生の目的のひとつなのかもしれない」
そう答えるだろう

幼かった私を優しく抱きとめてくれたあの川の流れも、今人々の生活をのみこもうとするほどに荒々しいあの川の流れも、同じ川なのである

その日々刻々と変化する時の流れの中において、見失うことがない自分自身こそが、私が求め続けているものかもしれない


自然の猛威にはあらがえないものではある 
それでも、やはり、何事もなくこの雨の勢いがおさまってくれることを祈る






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