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どうしよう

まだたまに死にたくなる。どうしよう。

10代の折り返し地点から、自意識が暴走機関車のようにふくらんで、毎日毎日、必死に、自分のスペックじゃ間に合わない、かといって生産的でもない難問にしがみつき泥水をすすっていた。

人間は生き抜くために思想をこさえなくてはいけない。虚無は思想ではない。坂口安吾がそう書いている評論をみた。感銘を受けた。殴られた、という方があの感覚を表現するには適切かもしれない。
題は「不良少年とキリスト」だったか。
太宰治が自死してしまったのは、虚無に酔って思想をつくりあげられなかったからだ、という論旨だったと思う。

そこから僕は、生きるための哲学を探そうと古今東西いろんな思想を公園のハトよろしくついばんでは半端に投げ出し、生きる意味など存在しないのだと開きなおっては退廃的な生活に美を見出したり、そしてまた他人の思想をかじったり。

こうしたせせこましい時間稼ぎでしのいでいる内に、自意識暴走列車は随分ゆるやかなものになった。気づけば7,8年が過ぎていた。

いつしか、僕は同年代の人間よりも小難しいことを話す青年になっていた。それでいてとくに秀でた頭脳はない。タナトスとか、環世界とか、そういう実用性のない語彙を覚えるのに忙しかったから社交性もない。ただ、長々と文節を連ねて喋りつづける能力だけが健やかに伸びていった。

僕はまだ生きている!
まわりに恵まれている。本当に!
でもまだ死にたくなる。どうしよう!
ざまあみろ!自分にそう吐き捨てると楽しい。


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