空を泳ぎたかった話

1度でいいから泳ぎたかった。

小さい頃の私は体が弱かった。
小学校3年生に上がるまでプールには入ることが禁じられていた。
そんな私にはプールのいい思い出など微塵もなかった。

幼稚園の時は同級生がバスに乗って市民プールへ泳ぎに行くあいだ、未満児保育の赤子の面倒を見させられた。
兄弟がいない私にとってはひとつの経験なのかもしれないが、汗で張り付いた服を着替えさせるよう幼稚園の先生から言われた時はこんな苦行はないと思った。
やっと自分の着替えを何とかしてる幼稚園児だ。赤子の着替えなどさせられるわけが無い。
いうことを聞かない知らない赤子のヨダレと汗にまみれた服を触るだけでも気持ちが悪かった。
当然うまく着替えさせられることなど不可能で、なぜちゃんとできないのかと怒られたため非常に不快な思いをした。
今冷静に考えると私の子供嫌いはこの辺りにルーツがあるのかもしれない。
言い方を変えれば同級生はプールで楽しんでいるのだ。
なぜ私だけ罰ゲームを毎度毎度受けなければいけないのかという気持ちになった。

小学校でもプールの時間はやってきた。
しかしだいぶマシだった。
日陰で見ていればいいことがほとんどだったからだ。
たまに草むしりをさせられたが、見学者の人数が多い時だけだったので、赤子の面倒を見させられた過去とは比べようもないほどマシだった。
たまに水をかけられることもあったが、逆に新鮮だった。同じ空間に同級生といられて、何をしているのかは見えていたから仲間はずれにされている感じは無かったし、髪の毛が濡れたままの授業は不快そうだったので、なんとも思わなくなっていた。

小学2年生だったと思う。サウンド・オブ・ミュージックのビデオを見たのは。
夏風邪なのか中耳炎なのか休んだ理由は忘れたが、とにかく学校を休まなければいけない病気にかかる子供だったので、1ヶ月間の皆勤賞さえほとんど取れなかった。
その間に母親は色んなものを私に与えてくれた。
ものを作ること、陶芸や紙芝居
知識、百科事典や本
芸術、写真や絵画、音楽

その中で印象的なものの一つにあるのがサウンド・オブ・ミュージックだ。
この中のワンシーンに空中を浮かぶシーンがある。
これを見て泳いでみたいと思うのだ。
いいなーと、羨ましそうに眺めていただけのプール。
空を泳げたらどんなにいいだろう。
毎晩毎晩夢に見た。

空はまだ泳げていない。
宇宙空間なら泳げるらしいということになり思いを馳せたこともあった。

でもプールは泳げるようになった。

3年生になると深く潜らなければいいと医師からOKをもぎ取った。
生まれて初めてのプールは、全く泳げなかった。

もうみんな最低2年間、小学校で授業を受けているのだ。運動音痴でもビート板があれば浮くし前に進む。

ゼロから追いつかなければいけないのだ。
級によって泳げる程度のランクをわけられていた。
10級は水に顔をつけ浮くことが出来る、9級がけのびができる。といった内容だったと思う。
5級からは丸いアイロンで水着につけるようなパッチがもらえた。
水泳の授業を安全にするために便宜上のものだったと思うが小学生には魅力的なコレクションに見える。当然、最低5級には上がりたい。

5級はクロールで25メートル泳げるといった内容で、泳いだことがない小学3年生にはとてもハードルが高かったが、私は結論からいえばその夏に意地だけで勝ち取った。

ただ失ったものもあった。
失ってもよかった程度のものかもしれないけれども。

親友という言葉が合う関係だと思っていた。彼女のことは尊敬していたし、いいライバルだったし、尊重していた。
お互いそうなんだと思い込んでいた。

私は5級の進級テストを受けた。
無様だった。全く進まない。
15メートルを過ぎた頃からはもうほとんど溺れていたようだったと思う。
どのくらい暴れていたのかよく覚えていない。他の子達はもうとっくにテストを終えていた。
それでもなんとか前に進んでいるし、体力的には十分に余裕があった。

恐ろしいほど長い時間をかけて25メートル、無様に暴れきった。
きちんと泳げたとは微塵も思っていない。

プールから出た私にクラスメイトたちは、事情を知っている人も多いからか、「頑張ったね!よかったね!」
と声をかけてくれたが、
親友と思っていた彼女だけは
「あんなダサいことよくできたね。」
といってのけたのだ。

人間の目に止まらない、鳥にでもなって空を泳ぎたかった。

#平成最後の夏
#プール
#与太話

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