捉え


風車


 ノートと聞くと、かきものをするノートだが、noteと聞くとあのみんなやってるやつねと思うようになった。もともとあったものを更なる強いイメージが塗り替えるというのは、思い出話が大好きな私にとって複雑なときがある。よき友人であるロバとともに立ち向かう勇敢な騎士であったドン・キホーテが驚安ペンギンになったときひとはどう感じたのだろうか。しょうがない、未来の話をしよう。今日の夜ご飯とか。

テクニカル

 
 大学生なので授業を受けている。今回つかみ取った科目の一つに「日本語学」がある。念の為書いておくと、私は日本語ネイティブである。「日本語お上手ですね。」なんて言われた日にはムッとしてしまうだろう。だってネイティブだし、話者だし、ペラペラだし。
ちゅーわけで日本語学は語学の勉強ではない。あいうえおの形をなぞったり、カンジ―博士と戦ったりすることは無いのである。この科目でやるのはレトリックであり、工夫を凝らした日本語テクニックである。これは困った。私の趣味を列挙すると、お笑い、小説、エッセイ、日記などなどであり、テクニカルでございな創作活動に日々勤しんでいる。いくら授業が型にはめるだとか、定型を学ぶとかそういう言い訳に興じても、レトリック60点の文章はちょっとあれかもしれない。嗚呼、先ほどの趣味は例示列挙だよ法学部諸君。そういうわけで専門科目でもないが努力を重ねなければならない。ひかえめな上腕二頭筋にぎゅっと力を入れ今日も日本語を学ぶのだ。

京都2

―執筆中―


 暑い。35度とかを記録してしまっており。正気の沙汰ではない。エアコンが壊れ、ゼミ発表もあるので、大学の法学部学生研究室に入り浸っている。去年まで私しかいなかった研究室は誰かが紹介しやがったのか人数が増えてきた、くるしい。こんなに暑いのに梅雨明けてないの。嘘だ。梅雨前線異常アリ。助けろ、助けて。濡れた指。夏生まれがゆえに心に太陽を飼っている。じりじりに燃え上がる私の心は寒さに強く、暑さに弱い。俺ピクミンは火に弱い。大好きなエッセイを心のヒヤロンにして帰路につく。いや、あついよ。


むだ


 シャチハタがほしくて、はんこ屋さんに出向き購入を行った。今別府という苗字ははんこが大量に飼育されている回転ケースの中では確認することができない。特注しなければならないその名前は私の財布を吹き飛ばしたが、どこかすこし嬉しいような気分があった。この名前でなければ数千円があたしの血液になっていたのに。それでも、その無駄の中に嬉しさがあった。
 思えば、たいていのことは無駄と言えるかもしれない。美味しい料理を食べるのは、自炊すればいいし、なんなら、全部が詰まった栄養ドリンクを飲めばいい。音楽は聴かなければいいし、服はある程度清潔なものが服の形状を模していればいい、部屋は眠れるだけあればいいし、世界は手のひらにあればいい。貯金をして人間が向かうものなど完全に効率化した生き方ならば無駄でしかないだろう。しかし、無駄こそが幸せである。意味のないものに意味をつけるのが人間らしさであり、この世のものはすべて意味がない存在として産まれ、意味を獲得して育まれていく。無駄とはその人がなにに妥協できないかだと思う。無駄な音楽が、無駄な文章が、無駄に背伸びした食事が、私の中で、その、ひとつひとつが宝物になっていく。無駄なものなどなにもない世界で、むだを探して生きていこう。


世界のおわりにずんだを食べるのだ


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