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「NFTはアートじゃない」の馬と鹿、それぞれをはじめた話し

◇ 世界が変わるのはあっという間だった

中途半端な中年の美術作家であるボクが、そろそろアート1本に仕事を絞ろうと考え出したのが、2019年の年末でした。
(芸術、美術、ARTなどありますが文中では「アート」を使用します)

10年以上続けていたアートスクールは、引っ越しを機に規模を縮小して行なっていおりましたが、作品の制作面では様々な国際アートフェアや各種美術館での展示を経て、絵画の制作や過去の大作への購入、海外から作品キャラクターの商品化までいくつものオファーが入っておりました。

国際結婚で未だ不安な妻や受験を控えた息子兄弟の顔も大いにチラつきましたが、ボクはボクの運命と努力に賭けるつもりでアートの道以外の仕事を断ち切りました。

その1ヶ月後、世界はコロナウィルスに侵されました。

最初は自分の身体と画材があればできる仕事に感謝して、自宅で制作可能な絵画作品を描き溜めていました。
しかしコロナ禍は終息することなく、しばらくすると国内外で作品を行き来させながら展示や販売を行なっていたボクにとって、まさに絶望的な状況が訪れました。

作品の発表、販売の機会が次々、延期、消滅していきました。
アートスクールは東京都の指導で休止を余儀なくされました。
収入も減り続け、気力も削がれていき、疲弊し、心は病んでいきました。

アメリカ人のデジタルコラージュのNFT作品が75億円で落札されたなんて話もどこか他人事で、へぇすごいね何か知らんけど、という感じでした。

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自宅にて。まだ元気なとき、小さな絵を描き溜めていた。
マスクが手に入らなくて、カーテン素材で作ってもらった。

◇ 少年はブラウン管の向こうに神を見る

遠い昔、30年以上前のこと。
小学生のボクはまだ丸みを帯びたテレビ画面の前で口を開けたまま立っていました。
ブラウン管の向こう側では印象派の画家、クロード・モネが描いた睡蓮の絵が展示されていました。
それも美術館の大きな部屋の壁一面ぐるり360度。

ひとつひとつの荒々しいタッチが、全体で見ると睡蓮の花や池の水面、そして光になるのです。
ナレーションで、たしかそんな感じのことを言っていました。

漫画家になりたかった少年は打ちのめされました。
神を見たのです。
絵の具をキャンバスにたった一筆(筆ですらなくナイフだったが)擦り付けたソレは、緻密に描き込んだ具象画や写真、もっと言えば実物の睡蓮の花よりも本物に見えました。
テレビ画面の光が、目を通り抜けて脳を通過して心に突き刺さった瞬間でした。

この人は、たったひとつの動きで世界を作り出している。
ボクも生きているうちに、あんなことができるようになりたい。

こうしてボクの夢は、絵描きになること、に変わりました。

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モネ「睡蓮」(パリ オランジェリー美術館)

◇ 助けてくれたのは妻とアートとNFT

一年前。
コロナ禍で精神的に病み、身動きが取れなくなって、絵も描けない抜け殻のようになっていたころ。
一時期の勢いが嘘のように作品展示の機会は減り続け、とうとう展示予定なしの状況になってしまいました。

見かねた妻から、とにかく何でも良いから毎日描けば?と言われ、絵日記を描き始めました。
Facebookでいつものウサギをモチーフに、日々のなんてことない日常を綴りました。
決まりごとのように毎日。

ボクのNFTのベースはこの絵日記です。
今まで、絵画作品以外で版画やプリントやグッズなど色々な形での販売を試みましたがどれもいまひとつピンと来ませんでした。
それがNFTでキャンバス絵画とのバランスがピタリとはまりました。

感覚的、臭覚的なものですが、アートとNFTは相性が良い。
そしてその交点は、新たなる表現、もしくは他のナニモノカになり得る。
NFTに3ヶ月以上触れてみて、この感覚は揺るぎません。

世界各地の展覧会場に導いてくれたアートとの出会いから30数年後、仮想空間や未だ見ぬ世界に導いてくれるNFTに出会ったのです。

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過去のインスタレーション作品と自身のNFTやロゴを組み合わせた水彩イメージ(群馬 有鄰館)

◇ NFTはアートじゃない!というけどアートって何?

Twitterで影響力のありそうな方が「勘違いしている人が多いけど、NFTはアートじゃないよ」とツイートされていました。
普段ほとんど反応しないのですが、つい反射的にコメントしました。
「NFTはアートじゃないですが、NFTとアートの相性は良いですよ」
わーっと反論が来て、後味悪く論破されるのかなとも思ったのですが、そうですよねといった反応で拍子抜けしました。

自分自身、何であんなに感情的に動いたのかと思い返してみると、アートという言葉の意味を知らずに使われていたからなんです。
感覚的に、何となくアートという言葉を使っているのだと思うのです。
ボクもNFTについてまだまだ知識不足な部分があり、偉そうなことは言えませんが、NFTはそれ自体の歴史も浅く急速な発展途上にあります。
虫が良いかもしれませんが変化についていき、ともに発展していくつもりです。
一方アートにはラスコーの壁画から二万年の歴史があり、追体験するには時間が長すぎます。

そもそもNFTはボクの理解ではデジタル認証されたデータ。
どちらが良い悪いではなく、全く別物のアートとNFTをイコールかそうでないかを語るのはナンセンスだし意味がないはずです。

しかしながら、だからこそ、だからこそ良いのです。
遠いのに相性が良く、全くの別物で共通点がある。
高みに登れば登るほど、遥か遠く彼方に見える交点。
その場所を目指し、ボクももう歩き出しました。
病んで、消えて無くなってしまいそうだったけれど、今はワクワクしています。
ボクにも生まれて来た意味がある、またそう思える確信があります。



◆「月と太陽とウサギ」 NFT Collection @OpenSea

 以上、4つのコレクションを運営しております。ぜひご高覧くださいませ。琴線に触れられましたら幸いです。

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