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音を捧げることができるならば

今日は、1月17日。
毎年、離れて住んでいる妹と共に震災に遭った時の事を話します。

あの時、親元から離れて祖父母と共に被災したんだったね、なんとかこの28年過ごしてきたんだね、と。

住んでいた木造家屋は、過去に2階建てに増築しようとしたところ、大工さんに家相が悪くなると止められて平屋のままだったおかげで、両隣の2階建て住宅が全壊になった中で半壊にとどまりました。
当時は車のアイドリング音さえも地震の地鳴りを想像させてしまって、眠れませんでした。
しばらく「この日」が来るたびに、「あの時刻」になると目を覚ましていたのでした。
今では、少々の音に対しては鈍感にはなりましたが、15年ほど前に淡路島に行って震災の再現展示を見たり体験した時は、やっぱり感情が表に出てしまって同行した家族を驚かせてしまいました。


毎年思い出したように、シューベルトの即興曲を弾いて当時を思い出します。
即興曲Op.90-3です。
どうしてこの曲なのかというと、学生時代にそれぞれが演奏を披露する授業で他の人が演奏していたのを聴いて心が洗われるような気持ちになれたからなのです。
その演奏者の誠実な演奏に、本当に心からステキだ!と拍手を送ったのを今でも覚えています。
人間関係に疲れて常に批判的な耳を持ち尖っていた心に、その曲は寄り添ってくれたのです。
それ以来、シューベルト作曲即興曲Op.90-3は私にとって心の拠り所となる曲の一つとなりました。


今日も、演奏しました。
毎日弾いている曲ではないので、ところどころ綻びはあるのですが、転調する箇所の美しさや左手の旋律にもしっかり耳を傾けながら弾きました。







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