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わたしが報道記者を辞めた理由

わたしは2年前まで報道記者をしていました。アイキャッチ画像は取材のためランニングマシーンで走っているわたしです。
なぜ記者になったかはそんなに深い理由はないので書きません。

テーマを決めて、アポを取って、取材をして、原稿を書く。これを何サイクルも繰り返すかなり特殊な仕事をやらせてもらったと思っています。給料よかったです。


だけど辞めちゃいました。
記者になって感じたことや辞めた理由、ちゃんと言語化しておきたかったので文章で残しておこうと思います。
(マスコミ志望の人に読んでもらえたら嬉しいなとも思います。)


辞めた理由は、一言でいえばわたしが小心者だったからです。

報道記者って、取材相手に謝礼を支払えないんですね。それは謝礼目当ての誤情報を生み出しかねず、公平な報道につながらないから。

でも、人の時間を奪って全国に晒して商品にして利益を受け取って、それなのにわたしはその人に何のお礼もできない。この搾取感が小心者のわたしにはかなりしんどかった。
悩みを相談すると先輩たちは「そんなこと気にしたこともない」と言います。


もちろん仕事です。慣れなくてはいけないこと。
だけど慣れてしまってはわたしのいいところが消えてしまうとも思った。

別にわたしが優しいって言いたいわけじゃないです。
報道の最大の役割は権力を監視すること。権力が暴走しないよう、事実を俯瞰して大衆に伝えるのは、私たちの生活を守るために意義のあることだと思います。

目の前のたった一人の感情を深読みして勝手にしんどくなる人より、それを超えた社会貢献に目を向けて真摯に仕事をできる人の方がきっと優しい。

ただ、わたしには向いてなかったんですね。


でも、記者楽しかったです。心が動く瞬間に立ち会えること。誰かの心をほんの少しでも動かせること。伝えたいことを自分の言葉で美しく表現できた時の高揚。

新卒のわたしの選択は間違っていなかったと思います。

でも、仕事をする上で自分の気持ちの違和感を尊重できたことも間違っていなかったと思います。

小心者のわたしは、社会への貢献より目の前の人の幸せを目指す方が好きな自分でいられることがわかりました。

わたし本当に仕事が嫌いですぐサボっちゃうんですけど、この気付きを忘れないようにすればもうちょっと仕事頑張れるかななんて思って改めて言語化してみました。


仕事、自分の好きな自分でいるための手段として使えたら結構幸せなことですよね。金をもらうための作業とみなしてこなすにはあまりに人生に占める割合が高すぎるなと思うので、良い向き合い方をできるよう模索中です。

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