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最後の誕生日。

星よみ系のひとたちがSNSで「太陽が天秤座に移動しました。」なんて書いていると、わたしは「あぁ、お誕生日月間が終わったんだな」と思います。
うちの家族はみんな乙女座だからです。
夫とわたしは一日違い。そして長男のそれは少し遅れて9月の後半にやってきます。

だから、8月に入るとお互いの誕生日に何を食べたいか?ケーキは何系がいいか?欲しいものはあるか?などお互いにインタビューし合ったり、自分の希望を表明したりと、なんだかそわそわした気分になります。

わたしと夫の誕生日は一日違いなので、ゴージャスな食事の日とケーキの日に振り分けることになっています。夫の誕生日は食事の日。この日は彼の希望で近所の美味しいお寿司屋さんに行き、舌鼓を打ちました。これは、わたしの奢り。
次の日のケーキは最近できたおしゃれなケーキ屋さんに、わたしが自らサイズやフルーツなどをオーダーしておき、当日のケーキは長男に買ってもらいました。

長男の誕生日は一日で食事もケーキもいただきます。正直、年々消化管のスタミナが目減りしているわたしたちには、かなり厳しい段取りですが、今年は長男の誕生日を祝ってあげられる最後の年になりそうなので、胃袋にムチ打ってがんばりました。
彼は来春、就職と同時に家を出る予定なのです。

長男は今年で24歳。つまり、わたしと夫は親になって24年生。
わたしも夫も幼少期に屈託があるタイプなので、すくすくと竹のようにまっすぐ育った長男には、誇らしさと眩しさを感じずにはいられません。

以前書いたような気がしますが、わたしにとって子育ては親の価値観やエゴを子どもに押しつける事です。それは良いか悪いかに関わらずそういうもので、親子関係は利害関係でもあると思っています。
だからわたしは彼が産まれた瞬間から、彼をたくさんの人に育ててもらうことに決めました。いろんな人の全く異なる価値観の中で、価値観を選び取っていくことを学んでほしかった。
もちろん、これもひとつのエゴなのですが。

そして、わたしの子育てにおいてやりたかったことを全て実現したと感じた時に、彼にこれまでのことを謝罪し、親業の終了と、一生何があっても味方になるという宣言をしました。
不思議なもので、それまでは仏頂面しか見せず、用があるときしか話しかけてこなかったのが、その日を境にコロッと態度が変わったのです。

とはいっても、それ以降わたしが彼の分の食事を作らなくなったり、洗濯しなくなったりしたわけではありません。けれどそれらが「やってもらって当たり前」という前提はなくなりました。
わたしは人生の先輩として、彼に自分で自分の身体や生活をケアすることをしつこく伝え、年に1回だけバレンタインの日にチョコレートと一緒に手紙を渡すようにしています。
それも、あと半年で終わり。

終わりがあるって、素敵なことです。
彼はちょくちょく「おかんは俺のこと愛してるからな」と言います。
そして、毎日のようにわたしを笑わせようとし、笑ったら「成功や!」とドヤ顔をします。
彼がわたしに対して全く屈託を持っていないとは思いませんが、
親であることをやめたこと、そして巣立ちの日をきちんと決めたことがこんな幸せな時間をくれたのだと思うのです。

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