見出し画像

【往復書簡】せめて普通になれる服。

ゆきさん、こんにちは。

先月の神戸三田プレミアムアウトレットのファッションアテンドの折には、ありがとうございました。
わたしは「オーガナイザー」という立場で、バタバタと言われるままに動いているだけでしたが、ゆきさんがそれぞれの参加者さんにぴったりな服を「ビビディ・バビディ・ブー!」すると、参加者さんの表情がどんどん明るく、存在感が強くなっていくのを見ているのは、ほんとうに幸せでした。

そんなゆきさんのファッションを使った魔法について、もう少しその謎に迫ってみたいなと思っています。しばらくの間、往復書簡にお付き合いください。

***

服に関するいちばん最初の記憶は何ですか?

もしそう聞かれたら、わたしは「アルプスの少女ハイジ」風のワンピースのことが思い浮かびます。胸の前に何度か紐を交叉させるタイプの飾りがあって、ほんの少し高い位置にスカートの切り替えがあるそのワンピースは、今考えるとそれほどハイジでもなかったのですが、わたしのお気に入りでした。
わたしの子どもの頃は(あるいはうちの家庭の文化だったのかもしれませんが)、服には「よそゆき」と「普段着」がありました。「よそゆき」の服を何のイベントもない日に着ることは許されず、「よそゆき」を着るイベントもそれほど多くなく、ほどなくわたしの成長とともにそのワンピースはよそにもらわれていきました。

母は、わたしとは感覚が違うものの、ファッションセンスの良い人で、出かけるときには必ず自分が選んだ服を着るように言いました。拒否しても母は決して折れず、わたしの方が根負けしてしまうのが常でした。服にこだわるのはムダなこと。その頃のわたしは自分にそう言い聞かせていたのかもしれません。

自分で服を買い始めたのは高校生の頃。とはいえ、バイト代から買える服は限られていたし、その頃には自分の容姿を卑下する癖がすっかり身についていたので、服を選ぶ基準は「せめて普通になれる服」というコンセプトだった気がします。

「せめて普通になれる服」
それは、その後長いこと、それこそゆきさんに会うまで頑なに守り続けたコンセプトになります。
そんなわたしでも、気分によっては無難ではない、わたしなりに攻めた服を買うこともありました。けれど、それらの服は多くの場合「攻めた服」でしかなく、しばらくして高揚した気分が落ち着くと「どうしてこんな服を買ってしまったのか?」と首を傾げ、無駄遣いを嘆くはめになりました。

表層的にはそれなりに自分に似合う服・好きな服を選んでいるし、おしゃれしてないという感覚はないんですよね。服を褒められた経験もあるし、服を着ることを楽しんでいた感覚もあります。
けれど今その頃の自分を振り返ると、”自分”という枠を作り、そこにちょうどよい服を当てはめるような作業をしていたような気がします。

と、ここでゆきさんに質問です。

ゆきさんにも服にまつわるストーリーはありますか?

***

ヒューマンデザインで手放してもいいなにかを一緒にさがしてみませんか?


サポートいただけると、とっても嬉しいです!いただいたサポートは、良きエネルギーとして循環するよう、素敵なことに使わせていただきます。